BETTER HALF <克哉×克哉> 夢をみた。 暗く深い夢だった。静まり返る、永遠に続く水平線。暗闇と、そこに広がる深淵。音のない静寂の世界。光は見えず、ただ感覚だけが存在する。 微かな浮遊感と片隅で感じるほのかな痛み。無音の世界にどこかから聞こえた声。何かを掴みたくて手を伸ばす。そこは鏡のように磨かれた水面。指先が、ふと触れる。波紋は円を描き、ゆっくりと、ゆっくりと広がっていく。外へ、外へ。幾重にも重なって、遠くへ。自ら生み出した小さな波を見送る、永久とも思われる時間。 ふと、足元を見る。しかしもうそこには変化はない。ただ、真っ暗な水が深く広がっているだけ。吸い込まれそうな漆黒。そこに映るのは自分の影。光のない世界に影だけが落ちる。 世界が、揺らめいた気がした。まるで先刻作り出した揺らぎを、自分にも与えられたかのような。何か別の感覚が交錯し、得体の知れない不安が吐き気となって襲い掛かる。何かが足りない、このままではいけない、生きていけない、動くこともできない、呼吸もできない。 そしてまた、声が聞こえた。自分を求める声が。どこからだろう。必死にその声を辿る。感覚だけを頼りに。目を動かすのに、周りはよく見えない。暗闇に押し潰されそうになり、息が止まる。まるで溺れているような感覚。苦しい、助けて、ここから出して、忘れないで、泣かせて、本当の、もう一人の自分。 叫び声は水の中から聞こえた気がした。手を伸ばす。そこにいるはずの、もう一人の自分へ。水に触れる感触はなかった。ただ、空間が引っ繰り返ったような強烈な眩暈が襲い掛かってきた。それでも必死に手を伸ばす。声に向かって、もう一人の自分へ向かって。 何かに触れた。温かかった。滑らかな肌、伝わる体温、その触覚、全てが指先に馴染んで、その何かと溶け合いそうになった。溶け合って、交じり合い、そしてそのまま消えてしまいそうな恐怖。それでも温もりを手放せなかった。 水面が騒いだ。音はなく、自らの力で引き上げられたそれは、自分と同じ目をしていた。もっと近くへ、もっとその存在を確かめたくて、引き上げたそれを抱き起こすようにして自分に近づけた。 滴り落ちる水、濡れる手。美しいもう一人の自分、醜い封じられた心、綺麗な身体、呑み込まれそうな瞳の色。薄く開けられた唇からは、音が零れ出ることはなく、ただ静かな吐息となって一人だけだった世界に新しい何かを吹き込んだ。 これは自分なのだろうか。これを見ている自分が自分なのか、見られている自分こそが本当の自分なのか。確かめたくて、その肌をなぞった。溶け合う感覚と、吸い付くような温かさ、見詰め合う瞳。そこには何も映ってはいない。ただ、深淵が覗くだけ。深く蒼い湖のような色。そこに映るはずの自分はいない。それでも自分を探したくて、目を凝らした。 急に、両手で掴んだはずの感覚が消えていった。また一人、世界に取り残される。それなのに、闇から目が離せない。吸い込まれていく。記憶が閉ざされる。もう届かない。もう、届かない。表と裏と、どちらかが欠けた世界。一人では、生きてゆけない。求めるものは、ただ一つ。二つに分かれた、自分の愛しい片翼だけ。 そんな、夢をみた。 おわり |