絶対的命令
「なんか違う。」
淹れたての紅茶ポットを持ってリビングに来るところだった座木の耳に、L字型に組まれたソファーの角に陣取って先ほどからガサガサと何かをやっていた秋の声が聞こえた。
「何がですか?秋。」
「ん、歯がキシキシする匂い。」
相変わらず自分にしか分からないような比喩を使う秋に、座木が苦笑しながら応えた。
「ええ、セイロンです。今日はちょっと他の葉も混ぜてみましたから、それほど強くはないですよ。」
紅茶の薀蓄を語らせたら一晩ではとても足りない座木だったが、ここは自分の趣味よりも秋の言動が気になって、そこで黙ってポットを秋の前のテーブルに置いた。数瞬の心地よい沈黙の後、秋はおもむろにソファーに胡坐をかきなおして、静かにカップの用意をする座木を見上げた。
「この前、ザギが作ってたアレ。」
「この前・・・ああ、あれですか。」
いつ買ってきたのか、秋の手元にあるコンビニエンスストアの袋と、そこからはみ出た菓子パンの空き袋を見た座木がにっこりと笑って答えた。
「クイニーアマンと言います。」
それは一週間前、座木が作った菓子だった。
「フランスのブルターニュに伝わる菓子です。地方の言葉で『バターのお菓子』を意味します。私はザラメをふりかけるだけのものが気に入っているのですが、この前はシロップ漬けのチェリーを入れてみました。それで、クイニーアマンがどうかしましたか?」
すると、秋がひらひらともう食べたのであろう菓子パンの袋を振った。昼食後なのに全部食べたのかと思うほどの大きさだったが、どうやら秋だけが食べたのではなさそうだった。ソファーの隅っこには、リベザルが口を動かしてテレビを見ていた。どうやら大半はリベザルの胃袋の中に納まったようだった。
「ああ、コンビニで買ってみたんだ。珍しい菓子だろ?だから、見た事あるものが売ってるなと思って買ったんだ。そしたら、それほど美味しくはなかった。コクがないのに甘すぎて、カラメルが口の中を切るほど硬かった。」
そこで秋は、自分の唇の端をういーと両手でひっぱって口の中を座木に見せた。
「少し切れていますね。でもこれくらいは大丈夫でしょう。」
「うん、それはいいんだけど。今度は口の中が切れないやつが食べたい。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
今度は妙な沈黙が二人の間に落ちた。秋はにやっと笑っているような顔なのに、どことなく本心が掴みにくい表情をしていた。その色素の薄い綺麗な瞳を見つめたまま座木は眉をしかめたが、ふっと力を抜いてため息と一緒に言葉を漏らした。
「素直にまた作ってくれとおっしゃって頂ければいいものを・・・」
そして、しょうがないですねとでも言うように、座木は肩をすくめた。そしてもう一度ふうと一つため息をつくと、諦めたように笑った。
「分かりました。午後のおやつはそれにしますね。」
「ホントですか兄貴!?」
今まで熱中してテレビを見ていたはずのリベザルが、おやつという単語にすばやく反応して二人の方へ振り向いた。
「おれ、おれもそれ好きです!何か手伝える事ありますか?」
くすっと笑って、座木はそのやわらかい笑顔をリベザルに向けた。
「じゃあ、買い物に付き合ってもらおうかな、リベザル。バターが少し足りないんだ。」
「はいっ!」
歯切れよい返事をして、リベザルがテレビのスイッチを切って座木の後をぴょんと跳ねながらついてきた。それを微笑ましく思い、座木は後ろを振り返った。その甘い菓子のような甘い笑顔のまま。それを見て何を思ったか、秋が後ろを向くとぼそっと言った。
「あまじょっぱいのがいいな。」
「・・・はい、分かりました。」
菓子に面白い注文が入ったと、一瞬びっくりした座木だったが、すぐに嬉しそうな笑顔になって上着を着た。
「では行ってきます、秋。」
「いってらっしゃい。」
心地よい声に耳をくすぐられるような感覚に少しだけ浸って、リベザルをあとに連れた座木はドアを開けた。外は身震いするほどに寒いのに、ほんの少しだけ陽だまりの暖かさを感じる風が吹いていた。澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んで、座木はそんな小さな幸せに緩む頬を隠せなかった。
冬の空のように気まぐれな、そんなあなたの小さな希望は、私にとっての絶対的命令。
おわり
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