絶対的既視感 3・少年

 

 その村に、妙な薬屋の噂がたったのは、一体いつの頃の事だったのだろうか。とにかく、少年は噂を聞いた。地を流離う、まるで子供のような容貌の薬屋がいると言う。そしてその薬屋は、どんな薬でも処方してくれると言う。少年には時間がなかった。もうすぐで、冬が明け、そして春が来る。恐ろしい春が。春が来る前に、何としてでも少年にはやらねばならない事があった。全ては少女のために・・・。

 その妙な薬屋に出会えたのは、偶然だったのだろうか。少年にはそれは必然と思えた。自分の想いが、遠い何か神と呼ばれるようなものに届いたのだと思えた。噂とは少し違うが、少年の目の前には、確かに妙な薬屋がいた。彼は自分を「アキ」と名乗った。小さな木の箱を背負い、まだ雪もまばらに降るような冬の日にでも薄い服と薄いコートだけを羽織り、それでいて寒さなど何も感じないような、全くの無表情をしていた。光の灯らぬその薄い茶色の瞳はそれでも美しく、髪は北風にふかれて絹のように艶めいて揺れていた。しかし何より、信じられないほど整ったその顔は、女と見まごう程美しかった。
「何がしてほしいの。」
アキは何の感情もこもらない声でそう言った。その声も、容姿と同じように美しく耳に涼やかに残った。一瞬その声に目的を忘れかけた少年は、はっとしてアキに縋りつくように言った。少女を救ってくれと。少女を正気に戻す薬を売ってくれと。
「どういう事?」
アキはそんな少年の心の機微など意に介さぬと言うように、冷たくそう言い放った。ただし、話は聞いてやると、言外に含まれているように少年には聞こえ、そしてそれが偽りを許さぬ絶対的な命令にも聞こえた。身に感じる寒さ以外の何かを背筋に感じ、少年は口を開いた。否、口を開かされていた。そして気がつくと、全ての事をアキに話していた。
 

 村の噂で、アキが何でも薬を作ってくれると聞いた事。この村の泉や崖に纏わる不可思議な伝説の事。そしてその伝説と同じように死に掛けている少女が今またいるという事。少女は、崖から聞こえる声に身も焦がれ、発狂しそうになっているという事。伝説によれば、声に恋した人間は春を待たずに泉に身を投げて死ぬという事。あと少しでこの村の冬が明けてしまうという事。

そして、その少女は少年にとって何よりも大切な存在だという事。

 全て聞き終わったアキは、しばらくの間ぴくりとも動かずに黙っていた。沈黙に耐えかねて少年がアキに縋ろうとしたその時、アキが口を開いた。
「じゃあ、協力してもらう。」
何でもすると少年は意気込んだ。するとアキは、荷物を探っていたかと思うと、良い香りのする大量の葉を少年の手の平に載せた。
「これを、村の全ての井戸に投げ込んで三日待てばいい。その子には、その井戸で汲んだ水を毎日与えればいい。それ以上の事はなにもするな。そして何も詮索するな。」
その言葉を聞き終わった瞬間、少年の頭に何か冷たいものが無理やり突っ込まれたような衝撃が走った。あまりの痛みに葉を持ったまま蹲った少年が、痛みが治まり次に顔をあげた時、そこにはもはや誰もいなかった。そして少年は、どうして自分がそこにいるのかも分からなくなっていた。ただ、この手に大事そうに握っていた葉を井戸に投げ込まなければいけないという事だけを覚えていた。それをしさえすれば少女が救えるのだと、ただそれだけを覚えていた。

続く。