大人たちの憂鬱 3 〜ケイン・フュリー曹長の場合〜

             八月十四日 午後一時

 

 今日、ホークアイ中尉にこんなことを言われました。
「フュリー曹長、今後軍務規定時間以外でエルリック兄弟を呼び出す際は、電話回線を利用します。」
それは急な申し出で、僕はびっくりして中尉を見上げたのです。
「はい、分かりました。でもどうして僕に?」
「それはあなたが一番時間外にエルリック兄弟を呼びに行っているからよ。それに回線を一任されているでしょう。」
「そうですが、なんでまた今更そのようなシステムに変更になったんですか?」
「それが・・・」
いつも中尉の言うことは筋が通っていて明快なんだけど、今日のそれはちょっと違うみたいです。言ってる中尉自身もなんだか納得のいかない表情をして、僕を見ているのです。
「それが、ここからは推測もあるけれど・・・どうやら大佐がエルリック兄弟の宿にご自分を含めた誰かが行くのがお気に召さないらしいのよ。」
え?と僕は思いました。どうしてあの兄弟の所に行くのを避けようとするんでしょうか。僕が時々エドワードさんを呼びにいっても、いつも『ごくろーさん』とか言って、素直に来て頂けるのに。時々エドワードさんが行きたくないって時もあるけれど、そういう時は大体アルフォンスさんが『だめでしょ、兄さん。せっかくフュリー曹長に来てもらったのに。すみません、フュリー曹長。お世話かけます。』とかにっこり笑って(いるように僕は思います)言ってくれて無事に仕事が済むんですが。

 

中尉の話によると、どうやら大佐の気が変わったのは昨日の夜からだそうです。僕がいなかったので仕方なくなのか、暇だったのか、大佐はご自分でエドワードさんたちの宿へ行かれたそうです。そして帰ってきてそう決めたと。うーん、さっぱり分かりません。昨日残っていたハボック少尉に聞いても、
「さあてなぁ。大佐の気まぐれじゃねえの?」
と軽く流してそれでおしまいでした。そんな疑問を抱えたまま、僕は今日も仕事をしていました。

 

 仕事も終わりに近づき、夜も遅くなってきました。僕は今日はファルマン准尉・ブレダ少尉と一緒に残っていました。僕は、今日最後の書類を、明日の朝一番に大佐が見られるように、大佐のデスクに提出しに行きました。相変わらず机の上には書類が山積みになっています。大方、大佐がお帰りになった後に、中尉が置いていかれたものでしょう。そして僕はその書類の山を見て困りました。置く場所がありません。それでも目につく所に置こうとして・・・僕は書類の一山を崩してしまったのでした。

 

「ああぁ〜〜!」
多少間抜けな声をあげて、僕は倒れゆく書類の山をなすすべもなく見つめていました。中尉の作り上げた芸術的な山は、見事にきれいさっぱり崩れ落ちて、そこに残ったものは床に散らばる書類と、僕の残業が増えてしまったという確信だけでした。
「あーあー、しょうがないなぁ。」
そう言いながらブレダ少尉がよっこらしょと腰をあげてこちらに歩いてきました。ファルマン准尉も無言で微笑んで手伝いに来てくれました。
「す・・・すみませんブレダ少尉!ファルマン准尉!」
「いや、いいって。」
そう言って、お二人ともにこやかに手伝ってくださいました。そして大体床が片付いたと思ったので、僕はお礼を言いました。
「ありがとうございました。助かりました。」
しかし僕はこの後、とんでもないものを見てしまったのです。

 

さっきまで気がつかなかったのですが、書類と一緒に机の上から落ちた一冊のノートが机の下にありました。あれ?と思い、僕はそれを拾い上げようとして、その手が止まりました。そのノートは、あるページを開いて落ちていたのです。そこには大佐の字で、びっしりと文字が書かれていましたが、その内容は、ん?と不思議に思うに十分なものでした。

 

 僕は、このノートを読んではいけないと思いました。しかし、そこには僕の名前とエルリック兄弟の名前があったのです。ですから、どうしても好奇心に逆らえずちょっと読んでしまいました。そして読むんじゃなかったと後悔しました・・・ごめんなさい大佐!

 

『昨日の今日でこんなことを書くのは、私としては大変不本意だが、あまりに目にあまったので書き記したいと思う。今日もエルリック兄弟がイチャついているのを見てしまった。こんなことを気にしているのは私だけなのだろうか。昨日ホークアイ中尉にそれとなくどころかかなり突っ込んで聞いてみたが返事は芳しくなかった。それに、今日の出来事に状況は違えど同じ場面に遭遇したフュリー曹長の態度もごく普通だった。しかし私は今日見た出来事を忘れることができないでいる。

 

朝、私が司令部に行こうとすると、どうしてもあの兄弟が宿泊している宿の横を通らなければならない。嫌な予感がするので、急ぎ足でその宿の横を通り過ぎようとした。すると、私がまだそこに差し掛かる前に、宿から兄弟が出てきた。荷物を持っている。そうだった。彼らは今日からまた東の地域に出向くのだった。これで私の悩みもひとつ減るかと思って安心したのも束の間、彼らは私の存在に気がつくことなく、楽しそうに小さな声でしゃべりながら歩いて行く。なんとなく見つかりたくなくて、私はこっそり兄弟が歩き去るのを待っていた。

 

 彼らは、手をつないでいた。少年の左手と、鎧の右手で。それだけでも十分おかしい。昨日から言っているようだが、彼らは兄弟なのだ。姉妹ならまだしも。しかもそれだけではなかった。時折彼らは、お互いの耳(とそれらしき鎧の一部)に口を寄せて、内緒話をするような様子をしていた。そして、そのたびに顔を見合わせてくすくす(こっちは弟の反応だ)とか、ははっ(こっちは鋼のだ)とか笑い声を零していた。会話は遠くて聞こえない。朝だから彼らが近所に遠慮して小声で話しているせいもあるのだろう。まぁ、聞きたくないのだからいいのだが。しかし会話が聞こえないせいで、余計にその仕草だとか微笑があやしいものに思えて仕方なかった。すると、二人の前にフュリー曹長が現れた。今日も来るのが早い。ここは寮からもすぐの場所であるので、彼が居てもなんらおかしなことはない。しかし、フュリー曹長は、エルリック兄弟をみつけて普通に挨拶していた。その間も、兄弟は手をつないだままである。曹長が現れたことで、声のトーンをあげたのか、ちらっと声が聞こえてきた。

 

「おはようございますフュリー曹長。」
「おはようございます、アルフォンスさん、エドワードさん。」
「ほら、兄さん挨拶は?」
「ん?ああ、おはよーゴザイマス。」
「んもう!挨拶くらいちゃんとしなよ。」
ここで弟は、兄の頭をむぎゅっと押して頭を下げさせた。するとフュリー曹長が笑ってこう言った。
「お二人とも仲がよろしいですね。寮生活の僕はちょっと羨ましいです。手をつなぐなんて、僕は何年していないでしょう。」
曹長、それは直球すぎないかね?私は思わず心の中でそう突っ込みを入れてしまった。しかし兄弟はなんと思うこともなく、平気で答えている。
「ああ、これは兄さんが。」
「ばか!余計なこと言うんじゃ・・・」
「兄さんが、お前の手もオレの体温になるまであっためてやるって言ってきかないんですよー。困った兄ですよね?」
「へー、そうなんですか。」
そうなんですか、って、それだけかね曹長!もっとそこで何か突っ込むべき点があるだろうに!そんな私の心の叫びが聞こえることもなく、彼らはしばらく一緒に歩いていって、そして駅と司令部に道が分かれているところで手を振って去っていった。

 

 全く、なんてことだ。あんなことを口にする弟も弟だと思うが、それより前にあんなことを弟に対して言っている鋼のの顔が見てみたい。私に対する態度となんという違いだ!と、そういうことを言いたいのではなくて、問題はあんなこっぱずかしいセリフを、まあよくも堂々と言えたものだということだ。世間一般の恋人たちだってそんなこと言うものか。私だって言わないだろう・・・多分。というわけで、私は昨日の苦悩をさらに再確認する形となってしまって、憂鬱になった。あの兄弟仲には恋愛感情よりすさまじいものがあるのではないか?という苦悩を・・・』

 

え?兄弟で恋愛感情?僕は一瞬考えて、ああ、あれってそういう意味だったんだ!と分かりました。そして分かったとたん、僕は、なんだか目の前の世界が何倍にも広がって見えました。今まで何気なく当たり前だと思っていた事が、実はすごいことだったんですね。そう言えば、僕がよくエドワードさんたちの宿に行くと、お二人が仲良くしていました。それに手をつないでいるのなんて何度も見たことがあります。それって、単に仲がよくてそうしてるんじゃなかったかもしれないということなんですね!

 

 しかし、ここまで考えて、僕は大佐と同様憂鬱になってしまいました。ああ、僕が大佐の日記を見さえしなければ、こんな事実に気がつきはしなかったのに。なんてことをしてしまったんでしょう。日記はこっそり大佐の机に戻しておけばいいとして、気がついてしまった僕は、これからどうやってエドワードさんとアルフォンスさんと向き合えばいいのでしょうか。でもひとつだけ助かったことがあります。大佐のおかげでもう直接エドワードさんを宿に呼びに行かなくてもよくなったということです。もしこれを知って、僕が呼びに行って、お二人の仲睦まじい様子を見てしまったら、僕は再起不能に陥るかもしれません。ああー、そんなことは避けたいものです。でも、これは僕の胸の中だけにしまっておきましょう。他の皆さんは今までどおり、エドワードさんとアルフォンスさんの行動を、美しい兄弟愛として認識し続けることを祈って・・・

 

つづく