お風呂場の誘惑

 

 ある日エドワードとアルフォンスは馴染みの宿に泊まっていた。時刻は夜10時半。辺りも静まってくる時間帯・・・

知っているとは思うが、アルはオレの妹だ・・・と思う。実はオレも長いことアルの生身を見ていないので、アルが女だったか男だったか、そんな細かいことは覚えていない。今の声を聞いている限りなんだか妹だったような気がするから、まあ妹でいいや。というわけで、最近アルに新しい身体をプレゼントした。ウィンリーには「思いっきりあんたの好みでしょ!」って言われたけど、オレはこれがアルだと思う。華奢で、綺麗で、ぷにぷにしてて、可愛くて。自慢の妹だ。そう思って、オレはバスルームの鏡の前でそんなアルの姿を想像してにやにやしていた。

 その時、バスルームのドアをノックする音がした。バラ色の夢の世界は、ひとまずここまでだ。
「誰だ?」
「ボクだよ。ねえ、終わった?さっきからずっと待ってるんだけど。」
「ああ、アルか。いいぞ、終わったから。」
宿だからアルしかいるわけないということを思い出してそう言ったら、アルがその可愛い顔をのぞかせて入ってきた。
「兄さん、どうしちゃったの?また自分に見とれてたの?」
そう言ってアルはくすくすと笑った。そしてオレもつられてにやっとしていた。
「そうさ、悪いかよ?」
「悪くないけどね。ボクは兄さん綺麗だと思うし。」
そう言って、またアルはくすくすと笑った。タオルを身体に巻きつけたまま、バスタブの蛇口をひねり、お湯が熱すぎないかと手で確かめる。そんな仕草の一つ一つがとてもいい。そしてバスタブのふちにちょこんと腰掛け、オレを上から下までじいっと眺めた。
「うーん、兄さん、なんだか変だよ?」
「そうか?」
オレはなんだかアルのことを一人で考えていた自分の顔がそんなに緩んでいたかと思って鏡を覗き込んだ。
「変か?」
「うん、どこがどうってわけじゃないんだけどね、なんだかいつもと違うかな。」
「気のせいだろ。いつもと一緒、同じだ。」
「ううん」
アルが首をふった。
「違うよ、違う。絶対。」
アルの声はなんだか少しいつもと違う色を帯びていた。ここでお湯がいっぱいになったので、アルはいったん口を閉じ、わきを向いて蛇口をしめた。そのとき、かがんだひょうしにオレの目はアルのうなじに吸い寄せられた。どうしたんだ。急に口がからからに渇く。
「ええと、さっきも言ったけどね、なんだかこう・・・・・」
と話しながらアルが振り向いた。そしてオレの目を見てはっとした。
「兄さん?」
おびえているのか?
「ねえ、兄さん、どうし・・・」
さえぎるように右手をさっとあげたら、アルが急に口をつぐんだ。目を見開いて、黙ってオレの指先を見つめる。その指をオレはそっとアルに差し出した。
「ここへおいで。」
気が付いたら、オレはそう唸るように言っていた。いつもより、声がぐんと低い。アルが素直に立ち上がって近づいてきた。目がなんだかうつろでぎこちない。まるで眠っているようだ。そしてアルはオレの前で立ち止まった。その首の輪郭を、オレは指でなぞった。息づかいが荒くなる。変だ。アルがぼうっとかすんだ雲の向こうにいる。オレはごくりと唾を飲み込んだ自分に気が付いた。そういえばバスルームが、妙に熱い。かまどのようだ。アルの顔を、玉の汗が流れ落ちる。オレはアルの後に回った。両手はさっきからアルの肌に触れたままだ。やさしくなでるとその滑らかな肌の感触が伝わってくる。自分で用意したアルの体だとはとても思えない。アルの首のつけねをぐっと押したら真っ白な肌が少しだけ赤くなった。なんて美しいんだ・・・この身体を切り裂いて、全部アルを飲み干してしまいたい。アルの体がボクを食べてと手招きしている。ああ、すぐにお前を・・・オレはそっと口をあけ、前に屈みこんだ。唇がアルの首に触れる・・・

 その時、後一歩というところで、鏡に映った自分の姿が目に入り、オレは愕然とした。おかげでオレはすんでのところで、なんとか踏みとどまれた。鏡の中にいたのは、まるで見覚えのない、歪んだ醜い欲望だった。血走った目、欲に溺れた唇、そして不敵な笑い。オレは思わず顔をあげ、目を凝らした。間違いない。確かにオレだ。でも、いつものオレではない。ひょっとしてオレの身体にふたつの人格が、ごく普通の人間と、凶暴な夜の獣がひそんでいるのか?

 鏡をひたと見据えるうちに、その醜い欲望はだんだんと消えた。アルをほしい、早く、と求める気持ちも嘘のように引いていく。オレはぞっとして、アルを見つめた。よりによって、アルを欲しがるなんて!妹を欲しがるなんて!そんな馬鹿な!オレはああっと叫んで飛びのき、両手に顔を埋めた。どうしたらいいんだ。自分が怖い。アルがオレの目にどう映るか、こわくてとても見られない。そのすきに、アルがふらっと後によろめいて、ぼんやりとバスルームを見回した。
「・・・なんだか、おかしな気分だよ、ボク。お風呂に入りに来たんだよね?ええっと、兄さん?」
「ああ、入れるよ。」
それだけ言った声がかすれた。ああ、アル、オレも入れるよ。間違った愛情の世界に、いつでも入れる!
「オレは出て行くから、入れよ。」
そう言い残してオレは外に出た。そのまま廊下の壁にもたれて、しばらく深呼吸を繰り返し、なんとか落ち着こうとした。だめだ。今のオレは、もう自分を押えきれない。アルが欲しい、欲しくてたまらない。今はもうアルを見なくても、アルを思い浮かべるだけで、オレの中の怪物がばっと頭をもたげるようになってしまったんだ。


 オレはよろめきながら、なんとか部屋までたどり着き、ベッドにどうと倒れ込んだ。涙が溢れてきた。もうこれ以上普通の兄弟として生きるわけにはいかない。いままでどうりのエドワード・エルリックには、永遠に戻れない。オレの中には怪物がいる。言う事なんて聞いてくれない。いずれとんでもない過ちを犯して、アルを傷つけるに決まっている。それだけはだめだ!アルだけは・・・どうして・・・

 エドワードの苦悩をよそに、アルフォンスはバスルームでひとりごとをちょっと残念そうに呟いていた。
「あーあ、兄さんったら。最後の意気地がないんだから。今回はお風呂だったし、いいシチュエーションだと思ったんだけどなぁ。やっぱり鏡は外した方がよかったかなぁ。兄さん意外なとこで引くんだもん。」
こうして今日も兄妹の夜は更けていくのだった。

おわり?