夏祭り
「夏と言えばこれだろう!!」
そう言ってオレがアルを連れて行った場所は、デパートの子供用浴衣コーナーだった。
今がいつの時代でどこの国だって、そんな細かいこと気にすんな。とにかく夏だぜ!夏と言えばアレだ、ホラ、浴衣美人だろ?そうに決まってる。というわけで、オレは近所の河原で毎年恒例の花火大会と、それに便乗して神社で開かれる夏祭りにかこつけて、アルに浴衣を買ってやろうとしていた。弟のアルフォンスは、中身は14歳なんだが訳あって9歳の外見をしている。兄のオレが言うのもなんだけど、とにかくかわいらしいの一言に尽きる。性格は素直で、あくまで優しく、オレに似た意志の強そうな目はきらきらと輝いて・・・
「ちょっと!兄さん!兄さんってばー!」
オレはアルに呼ばれてふと現実の世界に引き戻された。オレのTシャツを下からアルがひっぱっている。
「ねえ、どうしちゃったの兄さんってば。」
あー、そんな顔で見上げないでくれよ〜、抱きつきたくなるだろ・・・いやいや、そんなことはこの公衆の面前ではしない分別ぐらいはある。というわけで、オレは妄想を無理やり引っ込めて、アルとの買い物を楽しむことにした。ここに連れて来るのだって一苦労だったんだからな。何しろアルが浴衣を着るのをテレるんだ。いまさら子供用のなんか・・・とか言うから。それをどうにかこうにか説き伏せて、浴衣を買うところまではなんとかこぎつけたんだ。この機会を逃してなるものか。子供用の浴衣が着れるのは、せいぜい10歳までだ。だからオレは、手元の、目をつけていた浴衣をぴらっと広げて、アルに聞いてみた。
「なあ、これなんてどうだ?」
オレが選んだのは、白とピンクのグラデーションになった地色に、赤やピンクの小花を舞い散らしたとても可愛らしいデザインの子供用浴衣だった。これをアルが着たら、さぞかし可愛いだろうな・・・せっかくオレがそんな風にほわわーと考えていたのに、アルの口から出た言葉は、それをすぱっと否定してくれる事ばかりだった。
「えー、それ?もっとかっこいいのがいいよ。」
「子供用のは今しか着れないんだぞ。」
「そういう問題じゃないって兄さん。だってどうみてもこれ女の子用じゃん!」
「え?そうか?」
われながら白々しいと思ってしまった。まあ、確かにこれは女の子用の浴衣・・・なんだろうな。肩幅は華奢に作ってあるし、腰のラインだってほっそりしている。なーんだ、アルにぴったりじゃん!まさかそんなことは口が裂けてもアルの目の前では言えないので、他の柄もアルに見せてみた。
「これとか・・・これならいいんじゃないか?」
オレが見せたのは、今度は白地に金魚とか、白地に朝顔とか、典型的な浴衣の柄だった。ただしまだ女の子用のだったが。
「ちょっともー、いいかげんに赤系統の浴衣はやめてよ!」
さすがにちょっとむっとしたのか、アルが下から眉毛をへの字にまげてオレに抗議してきた。
「兄さんに選ばせると、みーんなこんなになっちゃう!まったくもう。ボクは自分で着たいのにするよ。いいね!」
その怒る姿もかわいいなーと、また頬がにやけてしまう所だったけれど、なんとかこらえて、
「分かった、分かったよ。お前が選んだのにする。オレはもう邪魔しません。」
と、それだけ言ってオレは引き下がった。
「本当だよ?いいから、兄さんはそこで待ってて。」
そう言われてしまったので、オレは浴衣売り場から少し離れたベンチに座ってアルを見ていた。店員さんに、あれこれと聞いて、アルは自分の好きな柄を選んでいく。あー、お兄ちゃんはちょっと悲しいぞ。一緒に選ぶのも夏の醍醐味なのによー。
そうこうするうちに、アルが少し困ったような顔でオレのところに戻ってきた。
「ねえ、兄さん。」
「ん、何だ?」
「あのね・・・」
座ったオレと、立ったままの、子供の姿のアルの目線はほぼ同じだ。思わず、なんでもないことなのにオレはドキっとしてしまった。
「ななな、何だよ?なんか困ったことでもあったのか?やっぱりオレがついてないとダメか?」
「そこまで言ってないでしょ。そうじゃなくて、帯がね、へこ帯しかないんだって。」
へこ帯の何が悪い?オレは思わず脳内で叫んでしまった。ゆれる蝶結びが子供らしい、ふんわりとした絞りの入ったへこ帯。どこか懐かしくて、お手軽な上に可愛らしい。それの何が悪い?
「ボクさ、もっとしっかりしたやつがよかった。ほら、なんていうか、こんなふうにぴらぴらしてなくて、もっと渋くて、腰の下の方でしめるやつ。」
「それって、甚平とか温泉の浴衣の帯だろ?」
「ああ、そう、そんな感じかな?」
「だめだ!だめだ!そんなの許さないからな。」
「だから、許さないもなにも、子供用の浴衣ならへこ帯か、女の子用の飾り帯しかないんだって。」
「じゃあいいだろ。お前、女の子用のがイヤなんだろ?だったらへこ帯でいいさ。」
「うーん、まあ、飾り帯よりはね。」
「それにだ、ほら、へこ帯ってちょちょいと結ぶだけだろ?それならオレにだって着付けできるよ、きっと。」
じゃあ買うのをやめると言われないうちに、オレは必死になってそんなことを言っていた。だが、アルは思わぬところで反撃してきた。
「えー!兄さんが着付けするのー?なんだかイヤだなぁ・・・ボクもできないけど、兄さんだってやったことないじゃん。」
「なに、ちょっとネットで調べればすぐできるさ。信用しろって。」
「兄さんに着付けされるんだったら、ウィンリーやホークアイ中尉にやってもらう!」
何気なく酷いアルの言葉だったが、ウィンリーはともかく、ホークアイ中尉ならきちんと着せてくれそうだ。だから、オレはとりあえず着付けのことは後回しにして、アルの選んだ浴衣をレジに持って行った。
アルの選んだものは、いかにもアルらしい、清楚でシンプルなものだった。やわらかく織り上げた白い軽そうな生地に、空色の花がそっとさりげなくデザインされている。帯はグラデーションのかかった水色。さいごまでしぶっていたけれど、結局絞りの入ってふわっとしたへこ帯。ついでに買った下駄も色を合わせて、さっぱりした白木の台にさわやかなブルーの鼻緒。いかにも涼しげで健康的な雰囲気をかもし出している。ちょっと色合いに華やかさがないけれど、まあこれでも十分イイ感じか。アルの落ち着いた金髪と目には似合うだろう。オレは満足して、荷物を抱えた。
電話で連絡を取ると、ホークアイ中尉は快く着付けを頼まれてくれた。アルのご希望どおりになったと言うわけだ。さあ、オレもしっかり中尉の着付けの仕方を見ておいて、来年からはちゃんと着付けてやるぞー!そう思っていたのに・・・
「兄さんはここまでっ!」
ホークアイ中尉の家のドアの前で、オレは一人だけ締め出されてしまった。
「な・・・なんでだよっ!」
「ごめんね、エドワード君。アルフォンス君が、どうしてもって言うの。まあ、着付けは今度君が着る時にでも教えてあげるわ。」
いや、オレの着付けじゃなくて、アルのを見たいんだー!そんなオレの脳内を見透かしたように、アルがどこか楽しそうに言った。
「というわけだから、Tシャツに短パンの味気ない兄さんは外で待っててねー。」
くっそー、というわけで、オレは一人で蚊にさされながら、暑い外でアルを待つことになった。
蚊に何箇所か刺されて待つことすでに20分になる。うーん、着付けってこんなに時間がかかるものだったかと、オレはもうそろそろ我慢の限界に来ていた。早くアルの浴衣姿が見たいと思って、虫除けスプレーの毒をかいくぐってオレのところに来た勇敢な蚊を、吸血未遂の時点で叩き潰した。
「待たせてごめんねエドワード君。これでよかったかしら?」
「ごっめーん、お待たせ兄さん。」
その途端、オレは腕やら足やらがかゆいのもどこかにいってしまった。浴衣姿のアルが出てきたのだ。さすがとしか言いようのないびしっとした着付けは、まるでホークアイ中尉の性格をそのまま反映しているようだった。
「いや、とってもいいんじゃないかなーと・・・ありがと中尉!」
きりっとした襟元には一筋のしわもなく、帯もふんわりかつキュッとしまっていてきれいだ。歩きやすいように、すそは少し短めにしてあり、細くて白いアルの子供らしい足がちらっとのぞいている。くー!たまんねえ。ただ少し注文をつけるなら、多少襟をつめすぎではないのか?というところかも。いやいや、浴衣はそのうち襟元がはだけてくるから、今のうちはそれでいいかとオレは数十分後の姿を予想してにやりと笑ってしまった。
「・・・兄さん、何考えてるの。」
そんなオレに、アルは釘をさすことを忘れなかった。
「何でもないって。もうそろそろ屋台が出始めたぞ。」
「ほんとかなぁ。ま、いいや。」
「中尉は?どうすんだ?一緒に行くのか?」
オレは、アルと二人きりで行く方がもちろん嬉しいんだが、せっかくだから中尉も誘わなくていいのかな、と思っていた。
「ありがとうエドワード君。でも今日は二人の邪魔はしないわ。」
そう言って中尉はふふっと微笑んだ。
「中尉は今夜も仕事だって。なんかね、お祭りの日ほど忙しいんだって。」
「ま、そうだよな。」
オレは中尉が少しかわいそうになった。こういう日こそ、軍部は働かなきゃならないんだよなぁ。でも、アルが
「さ、行こっか?」
とかわいくオレに向かって微笑んでくれたから、もうなんだかどうでもよくなってしまった。
さて、花火を見に来たわけだが、本番はまだらしい。空は完全に真っ暗ってわけじゃない。時折音だけの空花火があがって、雰囲気を盛り上げていた。屋台もずらっと並んで、だんだん人で神社の境内や、それに続く堤防が埋まってきた。オレたちはいい場所を探すために、屋台の間をすり抜けていった。
ふと、アルが一台の屋台の前で立ち止まった。
「ねえ、兄さん・・・あの、これ・・・」
「ん、いいぞ。」
どうせ今夜は夕食代わりに屋台で色々買って食べてすまそうとしていた。だから反対する理由もなくて、オレはアルの後ろから、屋台をひょっこりのぞいた。でもそれは、どう見てもお腹を満腹にするものではなかったのだ。
「っていうかこれ綿あめ・・・」
微妙に甘いものが苦手なオレは、アルの視線の先を見てがっくりしてしまった。でも横からは、アルがいかにも物ほしそうな顔でオレを見ている。
「・・・ダメ?」
ダメなもんかーーー!!心の中で、浴衣で上目づかい万歳!とか叫びながら、オレはアルを見て再びにやけそうな顔を引き締めた。しかし、
「しょうがないなぁ、まったく。」
と言ったオレの声は、きっとふにゃふにゃだったと思われる。
「そう?じゃおじさーん、ひとつ。」
許可をもらったアルは、(財布はほとんどオレが管理しているからな)本当に嬉しそうに、綿あめを屋台のおっさんに作ってもらっていた。だがっ!
「んー、おじょうちゃんかわいいねー。いくつ?」
屋台のおっさんは器用にくるくると割り箸を回しながら、そんなことを言いやがった。かーっと赤くなったアルとは違って、オレは思わずどなりつけてしまった。
「だーれがおじょうちゃんだー!アルはオレの弟!お と う と。分かる?れっきとした男だっての。」
「は、す・・・すんませんお客さん。」
まあ、こんなにかわいいから間違われてもオレとしてはまんざらではないんだけど、それをアルが嫌がることをオレはもうたくさん!というほど知っていたので、そう言ってやった。そして作られたピンク色の綿あめを奪い取って、小銭をばんっ、と置いて、オレはアルをひっぱってその場から離れた。
「うわっと、兄さん?!ちょっと待って待ってってばー!」
びっくりしたようにアルは袖をオレに引っ張られながらついてきた。でも、その顔にはやわらかい笑顔が浮かんでいた。それに、
「・・・ありがと。」
アルが小さくそう言ったのをオレは聞き逃さなかった。
それから同じようなことを繰り返して、どうにかこうにか夕食がわりになるようなたこ焼きやらお好み焼きやらを二人分入手したオレたちは、本気で場所を探すことにした。もうずいぶん暗くなってきているとはいえ、まだ花火の時間には遠い。それなのに徐々に増える人、人、人の波に、オレたちは何度もさらわれそうになった。
「兄さん!ちょっと待ってー!」
アルがどこか必死に叫んでいるのが聞こえる。でも声の主はオレには見えなかった。
「アルー?アル!どこだー!」
ここではぐれると家に帰るまで会えない可能性だってある。うわ、そんな最悪の事態だけは避けたい!オレも必死にアルを呼んだ。すると・・・ひょっこりとアルがオレの足元から現れた。
「あー、よかった!はぐれちゃうかと思ったよ。」
そしてアルは嬉しそうにオレに飛びついてきた。あわわわわ、ありえねー!どうしたんだ、アル!この暑さとお祭り気分でいつもの固いガードが外れたのかー!?オレが頭の中でぐるぐる回るそんな思考を手なずけようと一生懸命になっていたら、アルが言った。
「兄さん?どうしちゃったのさ。こんな人ごみだと絶対離れ離れになっちゃうよ。そうならないように・・・ね?」
そう言って、アルは綿あめを持っていない方の手で、オレの手を握った。夢じゃないのかと頬をつねっていたら、
「変な兄さん。」
と言って笑われた。どれだけ笑われてもいい。もう、この手を離したくないと思った。
そうしてオレたちは、人が少ないけれど、花火も見えるであろう穴場に陣取った。人ごみから逃れたのはいいものの、せっかくの着付けが結構な勢いでぐちゃぐちゃになっていた。帯は変な方行にゆがんでいるし、襟元は予想どおりというか、期待どおりというか、かなりはだけてしまっていた。
「あーあ、帯がー・・・」
綿あめは食べ終え、他の荷物をそこらに置いたアルがつぶやいた。何、帯を直してほしいって?オレは、これこそオレの出番と張り切っていた。今日のアルはガードが緩い。オレが直したって文句は言わないだろう。それに、子供用の浴衣だろ?ついている紐をしばって、へこ帯をちょいと結ぶだけだ。
「大丈夫だよ、アル。オレが直してやる。ここなら人あんまり来ないしな。それにお前は傍から見ればたかだか9歳の子供だ。誰も兄に帯を直してもらってたって、おかしいとは思わないさ。」
「そりゃそうだけどね。でも、着付けできるの兄さん?昨日は無理だとか言ってたような・・・」
「ま、任せとけって。」
オレは中尉の結んだ状態を頭の中に思い浮かべて、それに近づくようにすればいいんだとたかをくくっていた。しかし、結びなおしはじめて10分、すでにオレとアルは後悔の嵐の中にいた。
「ちょっとー、兄さん?花火はじまっちゃったよ!」
空はいつの間にか真っ暗になっていた。そしてどーんという音と共に、花火が夜空に咲き始めていた。そんな風流な背景なのに、オレは必死に帯と格闘していた。
「ちょっと待て!これをこうして・・・」
つまりは、ぐちゃぐちゃになったへこ帯を、ほどいたはいいが、やっぱり結べなかったんだ。どうしても最後の超結びが縦になってしまう。なんでだよ。
「もー、兄さん、これでいいよー。」
とうとうアルがあきらめたようにため息交じりでそう言った。それは、前から見れば結構完璧に近いものになっていた。さすがオレ。襟元だって、アルが詰める方がいいって言うから、はじめよりもしっかりしているぐらいだ。でも後ろは・・・やっぱり縦結びだった。しょうがない。これ以上は無理だ。だから、オレも今回ばかりはあきらめることにした。
「これくらいで許してくれ。な、頼むよアル。」
少しだけしょんぼりして、オレはそう言ってみた。
「しょうがないなー、まあ思ってたよりずっと上出来だよ兄さん。これでいいよ。どうせ暗いしね。さ、見ようよ。」
あああ、なんて優しいんだオレのアル。にこっと笑ってそう言ってくれたアルが、オレには天使に見えた・・・言い過ぎだってのは分かってる。分かってるからこれ以上突っ込まないでくれよな。
というわけで、今年も何千発もあがった花火はとってもきれいだった。今年の新作は、赤い色のハート型の花火だった。時々打ち損ねて歪んだハートだったり、さかさまになってたりしたけれど、とても可愛らしくてよかったと思う。アルも
「あー、ハートだよ兄さん!かーわいいー。」
とか言いながら、夜空を指差して喜んでいた。いや、そういうお前こそかわいいぞ!弟よ!他のオーソドックスな花火も、枝垂れ柳も、河原いっぱいを使った仕掛け花火も、みんなみんな綺麗だった。それを見てかすかに微笑むアルを見て、これを、今年もアルと見られて幸せだと思った。来年も、再来年も、ずーっとアルと見られたらいいなぁと、オレはしみじみ思った。アルも同じように思ってくれていることを祈って・・・
おわり
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