メープルシロップ
兄弟が元の姿に戻り、セントラルの軍施設が林立する街に仮住まいを設けてから既に幾年かになる。背の低かった兄も(と言っては必ず誰それかまわず殴られるが)いまだに平均身長よりは低いものの、それなりの体格になってきている。それに伴ってか、性格もずいぶん丸くなったようだ。主にそれは同居している弟の根気のいる兄馴らしの成果なのだが、その話は長くなるので割愛させていただく。今日は久しぶりに二人そろってリゼンブールに帰るようだ。彼らの家はまだない。しかしたまに休みが取れたときは、家族同様のロックベル家に挨拶がてら無事である報告をしに出かけるのが彼らの習慣となりつつあった。 「よう、帰ってきたぜ。」 さて、そんなこんなで彼らはロックベル家から少し離れた村の宿に泊まっていた。毎回帰ってくる際には、彼らはその宿を愛用している。顔見知りの宿の主人は、兄弟のために台所までついた広い部屋(夫婦でも親子でもすごせるアパートメントのような広さだ)を提供してくれる。それはもちろん国家錬金術師であるエドから支払われる宿代が魅力的だということもあったけれど、それ以前に、宿の主人は兄弟のことが気に入っていた。気の強い兄も、優しい弟も。それであるので、主人は兄弟に頼まれた食材を用意して今回も待っていてくれたのだ。 季節は冬。雪はかろうじてまだ降っていないものの、風は冷たく、外はコートなしには出られないような天気が続いている。そんな時、休暇中の彼らは家の中でのんびりすごすことにしていた。主に「せっかく帰ってきてるんだし、のんびりした時間をすごすのだって悪くないでしょ?」というアルの意見なのだが。以前であれば、エドが「つまんねー!」だとか、「暇なのはオレに合わねえんだよ!」とか言ってバタバタ騒いでいたのだが、最近はおとなしくしている。アルは、きっと兄さんも大人になったんだな。と喜んでいるのだが、実はそうではなかった。エドは人の形に戻ったアルを自分の近くに感じていれば、それで満足なのだ。以前は一緒に動いていないと心配でもあった。つまり家の中でじっとしている鎧姿の弟を見ていると、言われもない不安に囚われてしまっていたからだ。このまま、動かなくなってしまうのではないか?と。しかし今はどれだけじっとしていても、呼吸が聞こえる、その鼓動まで聞こえる気がする。エドはその生きているという証に安心して、のんびりすることを承諾しているにすぎないのだった。まあ、そんな日が3日も続けばまた暴れ出すのだが。 さて、兄弟は主人の用意してくれた食材をありがたく使って、リゼンブール2日目の夕食をしていた。帰ったその日はロックベル家で、皆で食べた。ばっちゃんやウィンリィが腕によりをかけて作ってくれた料理やら、近所の人々が持ってきてくれた新鮮な果物やらで、豪華な夕食になった。それは生身に戻ったアルに、今までの分も、と食べさせたがるウィンリィの心遣いによるものが大きかった。そこにはもちろんグレイシアさん直伝のアップルパイもあった。ここにいつまでもいたらボク太っちゃうよ。というアルの冗談も、あながち間違ってはいないことになる。 というわけで、今晩の夕食は簡単なものにあいなった。アルはコンロに向かい、ホットケーキをぽいぽいと器用に投げて皿に重ねていた。その上にはメープルシロップがかかっていた。彼はホットケーキを沢山作ったのだ。自分と兄の大好物だからだ。その様子をエドは満足そうに見ながら、つみあげた自分の分を半分ほど既に平らげていた。黙っている兄がいかにも美味そうに食べる様子にこれまた満足した様子のアルは、やっとコンロの火を消して食卓についた。アルは重ねたホットケーキの一番下のを取って食べていた。そしてそれとは別に、高く積み上げた2ダースほどのホットケーキに、メープルシロップが流れているのがまだ手付かずにおいてあった。 ちょうどその時、誰かが部屋の戸を叩いた。 にこにこしながらアルの正面に座ったウィンリィは、手をつけていない皿の、うずたかく重ねてあるホットケーキの一番上のをもちあげて、その下から熱いシロップのいっぱいついたのを幾枚か引き出した。 そんなわけで、エドはフライパンから狐色に焼けたハムを一切れとってウィンリィの皿にのせた。かなり分厚く切ってあり、フォークとナイフが必要そうだ。エドもアルも自分の分は既に食べてあり、おかわり用にとっておいたものだけどちょうどまにあって良かったと、三人にコーヒーをつぎながらアルは言った。 エドがそう言うのも無理はなかった。これは兄弟が自ら採ったものだったのだ。北へ任務があった時に、彼らは吹雪で冬の森に閉じ込められたことがある。吹雪は止んでも、いかんせん雪に埋もれて列車が動かない。軍に協力的な農場の主人が、任務どころではない兄弟に面白いことをさせてやると、連れて行ってくれたところが楓の森だった。幹にうっすらと傷をつけて樹液を少しだけもらう。その代わり、その木を一年中倒れないように、虫に食われないように世話する。それはこの森で行われている等価交換の現われだった。というわけで、そこで手に入れたメープルシロップを、兄弟は今も大事に使っているのだった 「でもさ、なんだかふわふわしてて、すっごく生地もおいしいよアル?なんか、泡みたいに軽くて、シロップがしっかりしみこんでるって感じ?」 そうして、三人は真っ暗になるまで昔話に花を咲かせていた。胸の苦しくなるような話題は、無意識のうちに避けていたけれど、今日は何だか自然にトリシャ・エルリックの話が多くなっていた。それは、もしかしたらアルのホットケーキのおかげだったのかもしれない。メープルシロップの甘い香りと共に、懐かしい思い出が部屋中にあふれていた。それは、幸せの象徴でもあった。そして兄弟はそれぞれの胸の中で、もう一度北へ行ってみようかなと、ひそかに思っていた。 おわり |