奇跡
いつかの時代の、どこかの国に、救世主が生まれた日には、奇跡が起こると言われている。奇跡は鐘の音に乗り、どこまでも広がっていくと言う。これは、そんな日の兄弟のお話。 エドワードとアルフォンスは、旅の途中である街に寄った。そこはとある救世主の生誕の地だと、他の旅人は二人に言った。そして、今日がその救世主の生まれた日だと。二人は、特にエドワードは宗教には興味はなかった。しかし、その街の人々は、この特別な日にこの街を訪れた二人を暖かく歓迎した。誰も彼も、子供と鎧の二人のことを奇異の目で見なかった。それは、この日だからなのだろうか。 夜になって、街は静かになった。それは厳かな静けさだった。部屋の中にいた二人だが、綺麗だから教会にでも行ってらっしゃいという宿の主人の言葉で、外に出ることにした。エドワードは白い息を吐いて、誰もいない交差点にアルフォンスと二人で立っていた。他に出歩く人はいない。みな、家の中で祈りを捧げているのだろうか。二人には、名前も知らぬ救世主に。街は、その生を喜ぶように、美しく着飾られていた。それが、妙に切なかった。 エドワードとアルフォンスの間に、粉雪が舞う。空を見上げたエドワードの頬にも、真っ白な雪が降りかかる。アルフォンスの鎧の上にも、天は同じように雪を降りかける。 エドワードとアルフォンスは、誰もいない街角を行く。教会まではあと少し。エドワードはアルフォンスの手を取り、何も言わない。アルフォンスも、何も言わなかった。アルフォンスは思った。 『もし、今日が特別な日ならば、すこしだけボクに夢を下さい。願い事はひとつだけ。ほんの小さな願いだけ。兄さんの、暖かさを感じさせて下さい。このつないだ手に、兄さんの体温を感じさせて下さい。他には何もいらない。兄さんがここにいるのだから。今日が特別な日ならば、きっと、奇跡は起こる。だって、歌にもあった。昔聞いた歌に。誰もがほんの少し誰かを思えば、奇跡の鐘が鳴るのだと。鐘が鳴り響く時、愛の灯火がともるのだと。だって、今日は特別な日。ボクの兄さんへの愛があふれそうな日。泣きたくなるくらい、切ない日。きっとボクに奇跡は起こる。』 美しく光がもれ出る教会にたどり着くと、中からは静かな音楽が聞こえてきた。聞いたことがないはずなのに、どこか懐かしいメロディが。雪は、その音を消すことはない。ただ、静かな時を二人に与えるだけだった。 エドワードとアルフォンスは、誰もいない教会のまえにいた。音楽だけが、やさしく響いてくる。エドワードは、アルフォンスを見つめたまま何も言わない。エドワードは思った。 『もし、今日が特別な日だと言うのなら、すこしだけオレにも夢がほしい。願い事は・・・。ほんの小さな願い。今日は特別な日なんだろ?奇跡も、信じてやろうじゃねえか。ほんの少しだけ。アルのやさしい言葉が聞けるのなら。オレたちの愛の絆が見えるのなら。今日が、特別な日だと言うのなら、奇跡くらい起こしてみせろよ。このオレに。頼むから。少しだけでいい。だって、今日は特別な日なんだろ?オレの、アルへの愛があふれそうな日。泣きたくなるくらい、悲しい日。きっとオレにも奇跡が起こる。』 いつの間にか、教会からの歌は止んでいた。今は静けさだけが二人の周りに漂っていた。粉雪と共に。 鐘が鳴り止み、エドワードが唇をアルフォンスから離し、そっと目を開けた。そこには、やっぱり変わらぬ鎧姿があった。降りかかった雪は溶けることなく積もっている。 いつかの時代の、どこかの国に、救世主が生まれた日には、奇跡が起こると言われている。奇跡は鐘の音に乗り、どこまでも広がっていくと言う。これは、そんな日の特別な話。愛の鐘が鳴る日に起きた、たった二人の兄弟の小さなお話。 おわり |