赤襦袢・2

 

「着てみたよー!どおー?」
アルフォンスの嬉しそうな声が聞こえた。アルフォンスが風呂に入っている間ずっと読んでいた本から目を上げ、エドワードが声の主の方をちらっと見て、
「・・・・・・」
そしてその場で固まった。アルフォンスは温まって少し上気した素肌に、その襦袢をすらっと一枚のみ羽織っていた。流れるようなラインが首筋から肩にかけて美しく浮き彫りにされ、真っ赤な生地に白い襟が映える。腰を縛った紐はバスローブの紐のように使ってあり、少し高い位置にある。真っ白なその絹の紐は、身体の正面で蝶結びにされていた。一本引っ張れば、すぐに全てが脱げそうである。なんだかその結び方がどこか間違っている気がするが、それはそれでえもいわれぬ際どさがある。エドワードは、なんだかこの襦袢の醸し出す色香に、思わずくらっときそうになった。目の前にいるのはいつものアルフォンスのはずである。が、広く開いた襟元から見える鎖骨、前の合わせの隙間から覗く白い足、それに
「ほらー!」
と言いながら兄の前でくるりと回って見せた後ろ姿。アルフォンスは、どうやらエドワードに背を向けて、鏡で全身を見るのにご執心のようだった。
「うーん、やっぱり綺麗だね。」
などと言いながら、至極ご満悦の様子だった。
「あー、肌触りも最高!こんな布、初めてだよー。」
しかしエドワードにとってはそれどころではなかった。後ろを向いたアルフォンスのうなじから背中にかけてのラインが、少年には刺激的すぎた。エドワードは、さっきから自分の周りの温度が2〜3度上昇したような気がした。風呂に長く入りすぎた人のように、のぼせそうだった。
「んー、これ脱いじゃうのもったいないな。今日はこれで寝ていい、兄さん?」
ぼーっとしている間に、どれほど時間がたったのか分からなかった。よって、アルフォンスがそう上機嫌に言って、寝室に行こうとした時も、
「あ、ああ・・・」
としか返事できなかった。
「じゃ、お休み兄さん。」
そう言って、アルフォンスが目の前から姿を消して、やっと我に返ったエドワードだった。
 

『は!オレは今、何を見てたんだ。なんかアルが風呂から出てきたと思ったら、あの服を着てて・・・で、なんか頭がくらっとして・・・っていうか何だよあれはーーーー!!!すごい勢いで、なんて言うか・・・官能的だぞ大佐!!』
そしてはっと、大佐に昼間言われた言葉を思い出すエドワードだった。
『着せればきっと君にもわたしの気持ちが分かると思うのだがね。』
やっとエドワードには、その意味が分かった。言われるまでもなくはっきりと。そして、なぜ中尉がそれを拒んだのかも、なぜ大佐がそれを中尉に着せられずに残念がっていたのかも。
『分かった、分かったぜ大佐!確かに今、オレとアンタ、どこかでつながったぜ・・・!!』
そうしてこぶしを握り締め、思わずガッツポーズをしてしまったエドワードだった。
 

 次の朝、なんだか悶々としてしまって寝不足のエドワードは、いつもであれば絶対にまだ熟睡モードだろうというような早い時間に起きてしまった。昨日のアルフォンスの姿を想像していると、もうどうにもこうにも頭の中が過熱されすぎて眠れずにいたのだった。かと言って、それが元で何か行動を起こすには、エドワードには何かが足りなかった。あえて言うならば大佐のような大人な考え方と行動だろうか。まあそれがあるのも善し悪しだと思われるが。とにかく、そんなこんなで目の下にくまを作ったエドワードは、隣のベッドに眠るアルフォンスを起こすことにした。気分を変えようと、よっと軽快に起き上がり、ふるふると頭を軽く振った。そして出来る限りさわやかに、いつもどおりに朝の挨拶をしようとして
「おーい、アルフォ・・・」
失敗し、その場に固まってしまった。そこには、昨日の赤襦袢一枚でシーツの上に横たわる弟の姿があった。寝苦しいほど暑かったのか、アルフォンスは上に何もかけていなかった。真っ白なシーツに真っ赤な襦袢の裾が広がっていた。そしてこんな滑りの良い布地で眠ったらどうなるか、容易に想像が付くものである。つまり、昨日の襦袢は相当にはだけていたのだった。かろうじて紐は腰にあるが、その上も下もはらりと布がめくれていた。その間から覗く白い胸元、首から鎖骨にかけてのライン。すらっと伸びた少年の足は、膝よりもずいぶん上の方までめくれてしまっていた。ごくっと、エドワードが喉を鳴らす音が、不自然に大きく部屋に響いた気がした。しかし、兄の事情などお構いなしに、そんな状態でも、アルフォンスは気持ちよさそうに眠っていた。時折寝返りをうっては、幸せそうに、にこっと笑うのだった。
『あぁ、』
エドワードは思った。
『このまま少しぐらい見ていたって、バチは当たらないよな。うん、オレは別に何もしてないわけだし。アルに強要したわけでもないし、それにアルだって喜んでたし。元はと言えば、オレにこれを押し付けた大佐が悪いんだし、捨てるのはもったいないよな、やっぱり。』
そうして散々言い訳を並べておいてから、少し罪悪感にかられて視線を外し、わざと大きな声を出してアルフォンスを起こした。
「おい、起きろよアル。朝飯にしよう!」
「んー、ああ、おはよう兄さん。」
そうしてまだ寝ぼけ眼でむくっと起き上がり、こしこしと目を擦るアルフォンスは、なんともけだるげで危うい表情をしていた。エドワードは、はっと口に手をあてて、ずざざざざざーーっと壁際まで後退した。
「?・・・どうしたの、兄さん?」
「な、な・・・ななんでもない!なんでもないから早く着替えろよー!オ、オレは先に行ってるからなーーー!」
すごい形相で部屋を飛び出していったエドワードの後姿を見送って、アルフォンスは訳が分からず呟いた。
「変な兄さん。」
そして少しだけ考えるような仕草をしたが、一瞬後には
「ま、いいか。いつものことだし。」
と言って、何事も無かったかのように普段の服に着替え始めたのだった。
 

 エドワードが朝食もろくに取らず、早々に軍に出かけてしまったので、アルフォンスはちょっとだけ暇になった。いつもなら、なかなか起きない兄を起こしたり、世話を焼いて持っていく書類を揃えたり、何かに忙しい朝のこの時間帯である。騒々しいエドワードがいないのは、まあ静かで良いのだが、ちょっと手持ち無沙汰になり、アルフォンスは朝の散歩にでかけることにした。清々しい朝の空気を吸い込みながら、アルフォンスは上機嫌でどこへという当てもなくただ歩くことを楽しんでいた。自然とアルフォンスの足は、兄のいる軍部へと向けられていた。夜遅くなったエドワードを迎えに行ったり、図書館で調べ物を手伝ったり、忘れ物を届けたりと、通いなれた道である。と、アルフォンスは少し前を歩く、見覚えのある後姿に声をかけた。
「中尉、おはようございます。」
それは出勤中のホークアイ中尉だった。
「おはよう、アルフォンス君。」
私服の中尉はおろした髪をふわっとなびかせて、アルフォンスの方へ向き直った。
「あら、今日はエドワード君と一緒じゃないの?」
「ええ、今日はなんだかバタバタと慌てて出て行きました。何か朝早くにあるんですか?」
「いいえ、そんなことないわ。」
少し小首をかしげた中尉だったが、特に気にせずアルフォンスとの会話に戻った。
「それにしても、この道でアルフォンス君一人に会うなんて、珍しいわね。」
「そう言えば・・・いつも二人一緒のことが多いかな。あ、そうだ。中尉。」
「何?」
上目遣いにきらきらとした少年の目で、アルフォンスが続けた。
「あの、兄が大佐に東洋の着物をもらったんです。で、事情を聞けば元は中尉のものだったそうで、ありがとうございました。ボク、あれすごく気に入りました。綺麗だし、すごくさわり心地もいいし。本当にもらってよかったんですか?」
アルフォンスにしたら、本人の了解を改めて取っただけという、ごく当たり前の行為だったかもしれない。しかしそれは、中尉には心理的大打撃を与えたのだった。
「・・・!アルフォンス君!?」
「は、はい・・・?」
急に肩を両手で掴まれて名前を呼ばれたアルフォンスは、驚きで目を白黒させて返事をした。
「あなた、大佐に何か変なことされなかったの?!」
「え・・・?何のことですか?先週からマスタング大佐には、ボクは会っていませんよ。もらってきたのは兄ですし。」
「は、そう。そうだったわね。」
そこでやっと落ち着いたのか、中尉はアルフォンスの肩から手を離した。
「エドワード君に、何かされるってことはないわよね。そうよね、あの人じゃないんだから。は!ちょっと待って。エドワード君があの人に何かされたから今日慌てて出て行ったとかそういうことは無いのかしら?!ありえないとは言い切れないわね・・・」
遠くを見るような目つきでぶつぶつと独り言をもらす中尉は、なんだか空恐ろしい雰囲気を醸し出していた。
「え?何ですか?」
聞き取れず、思わず問い返してしまったアルフォンスの声に、中尉はやっと我に返ったように笑顔を見せた。
「何でもないわ。気にしないで。それじゃ、私は先に失礼するわね。朝の散歩を楽しんでね。」
そうして、きっと前を見据えて、すごい速さで歩き去ってしまった。
「・・・皆一体どうしちゃったんだろ。」
そしてそこには、やはり何も分からず呆然とするアルフォンスだけが取り残されていた。
 

「大佐っ!!!」
すごい剣幕でホークアイ中尉が大佐の執務室に入ってきた。朝一番の挨拶にしては情熱的すぎた。
「やあ、おはよう中尉。昨日は良く眠れたかい?」
相変わらずそんなことを言いながら、大佐は新聞を机の上に広げて読んでいた。
「おはようではありません!」
ばん!と片手で机を叩かれ、びくっとした大佐が視線を上げた。目の前には片手に銃を持ち、もう片手を机に付き、怒りで顔を染めたホークアイ中尉がいた。
「な、何だね朝から。」
あまりの剣幕に、おそるおそる大佐が口を開く。言葉も相当に慎重に選んでいるようだった。
「少し、お話があるのですが。よろしいでしょうか?」
「よ、よろしいとも。その前に、その右手にある物騒なものを定位置にしまってくれるとありがたいのだが・・・」
「そうですか。では私にそうさせたいと言うのでしたら、例の物がエルリック兄弟の手元にある理由をお聞かせ願います。」
「例の物?」
「お忘れですか!?あの、赤襦袢ですっ!」
見る見る間に、大佐の顔から血の気が引いていった。
「な、なんでそれを・・・」
「今朝、アルフォンス君に会いました。アルフォンス君は何も知らない様子で、無邪気に喜んでいました。そんな子供になんて物を与えたのですか!」
「そ、それはだな、鋼のが・・・」
「エドワード君にも何もしていないでしょうね!?」
「何もって、私が何かするわけなかろう・・・それにだな、」
「言い訳など聞きたくはありません!さあ、正直にあったことを話して下さい。」
目の前には銃口、そして世界で一番美しくて危ない人の突き刺さるような冷たい視線。

そうして大佐は再び生命の危機に晒されたのであった。

 おわり(「赤襦袢・おまけ」に後日談あり。)