夜の学校 2

 

セキュリティーを教室の入り口だけ、ほんのちょっと和希に解除してもらって、普通なら入ることができない真夜中の学校の教室へ。啓太は怖いとは思わなかった。和希が一緒だから。何があったって、和希となら平気。いいや、お化けだってきっとアトラクション並みに面白いに違いない。啓太はそんな風に軽く夜の散歩を楽しんでいた。本当に一番何が危ないかと言う事も考えずに。

 真っ暗な教室の中は、昼間と違ってどこか不思議な雰囲気で満ち満ちていた。喩えるならば、電気を消した水族館の水槽の中のような静寂。それは決して気持ちの悪いものではなく、どこか何かに還っていくような感覚。星明りだけが、教室の中を静かに満たしていた。
「うわぁ・・・」
足音を忍ばせ、音も立てずにここまで来た啓太だったが、思わず感嘆の声が上がってしまった。どうした?と言うように、和希が無言で啓太の顔を覗き込んでくる。その表情すらいつもよりもずっと綺麗に見えて、啓太はほうっとため息をついた。
「いや、なんか綺麗だな・・・って。」
今まで沈黙を守って静寂の仲間入りをしていた和希はクスリと笑うと、啓太の耳元に唇を寄せて囁いた。
「お前の方が綺麗だよ。」
「・・・っ・・・!」
顔を離す瞬間に、和希が小さく頬にキスしたその感触が、先ほどまでの甘ったるい時間を啓太の中にフラッシュバックさせ、啓太は思わず顔を赤く染めて身を引いた。覚えのある、背筋を駆け上がる何かの感覚が自分を支配しないうちに、本来の目的を果たさなければ。慌てて和希から離れて、啓太はバタバタとマフラーを探しに自分の机に駆け寄った。後ろで声もなく笑っているだろう和希の顔が、見なくても容易に想像できてしまって何だか悔しい。余裕がないのはいつもお互い様だが、こういう雰囲気では圧倒的に啓太が不利だった。幸い月明かりもほとんどない教室の中では、赤面している事は分からない。そんな事も忘れて、啓太は自分の焦りをごまかすように、やや乱暴な仕草で机を探った。

「見つかったか?」
小さく囁くような声で和希が近づいてきた。
「うん、引き出しに突っ込んであった。どうしてこんなところに押し込んじゃったんだろ、俺。」
うーんと不思議そうな顔で啓太が首を傾げると、和希がふっと笑ってさらに啓太に近づいた。自分の机と和希の間に挟まれて、啓太はほとんど身動きが取れなくなっていた。それでもそんな近くで和希のこっそりした低い囁きを聞くのは嫌ではなかった。むしろずっと聞いていたいような、そんな蕩けるような声だった。
「帰り際は、バタバタしてたからな。仕方ないよ。急がせた俺も悪かったんだし。」
「う・・・うん。」
少し俯いて和希の上着の裾を握ると、和希の微かに笑ったような気配がした。そう啓太が思った瞬間に、くいっと下向いていた顎を片手で持ち上げられ、唇に唇が重なった。ついばむような優しいキス。それはすぐに離れて、そしてその唇がまた優しい言葉を紡いだ。
「サンキュ、啓太。俺の作ったものをそんなに大切にしてくれて。」
そうしてまた、ほんの数瞬の短いキス。それが余りに名残惜しくて、啓太はつい和希の首に手を回して自分の方へと引き寄せてしまった。後ろに机があって、逃げ場も何もない事もすっかり忘れて。

 啓太に引き寄せられ、思わず和希の体重が啓太に重なる。でもその真後ろには一人用の小さな机があり、倒れこむ事はできなかった。結局二人分の体重を支えきれずに啓太が机に尻餅をつくような格好で、机の上に座り込んだ。一瞬びっくりした和希の目と、どこかもうすでに夢の中のような表情の啓太の目が合った。
「和希。」
誘うようなその少し高くて甘い声に、和希はさっきからずっとおあずけを食らいっぱなしの自分の理性の手綱を、もういいだろうとあっさり手放した。
「啓太、さっきの続き・・・いいか?」
一応了承をもらおうと、和希は啓太の耳元でそう囁いた。途端、啓太の身体が少しだけ震える。嫌だと言われても、もう色々限界だった。そんな反応を見せられては、そんな潤んだ瞳で見つめられては、そんな声で名前を呼ばれては。
「うん、和希の好きにして。」
暗さに助けられたのか、啓太は拒否の言葉を紡がず、不思議な雰囲気に呑まれるようにそう口走っている自分の声を聞いて驚いた。驚いたのは和希も同じで、机の上に腰掛け、足を空に投げ出している啓太を正面からぎゅっと抱きしめた。
「愛してるよ、啓太。」
「うん、俺も。」
 

 星明りだけの、闇がほとんどの空間を支配する教室の中で、小さな水音と微かな吐息だけが反響する。リノリウムの床には二本のネクタイとコート、それに取りに来た主役であるはずのやけに長いマフラーが一本。暖房もない寒い教室で、服の前をはだけただけで、二人はお互いの体温を分け合っていた。啓太の白い胸元を滑る、ひやりとした和希の指の感触に、静か過ぎるが故に感覚を研ぎ澄まされた啓太がほんの小さな喘ぎを漏らす。不安定な机の上で、和希にしがみ付くしかなくて、啓太はきゅうっとその闇に揺れる色素の薄い髪を指先に一筋掴んだ。
「あっ・・・和希ぃ・・・」
身震いするような、身体を和希に擦り付けるような啓太の動きに、和希はどうしようもなく煽られている自分を自覚した。
「もう辛い?」
「うん、・・・うん。」
啓太の言葉は既に半分くらい朦朧とした意識から出されているようで、和希は早くなる鼓動とせわしない呼吸を隠すことなく啓太のベルトに手をかけた。

続く。