肝試し 2
肝試しとは、ただ単に薄暗い所を歩けば良いと言うものではない。前段階の準備として、怪談話が必須なのだ。啓太は肝試しの何が嫌って、その怪談話だったりする。しかもその前に、くじ引きによる順番を決めるお決まりの準備なんかもあったりして、まるで注射される前の消毒みたいに啓太の心臓を少しずつ縮み上がらせていた。午後8時、先ほどまで鳴いていたひぐらしも鳴きやみ、どこかから虫の鳴き声が響いてきて少し薄ら寒いような気配もしてきた。まずは順番が決まった。和希が一番、啓太が二番。その後に西園寺・七条・成瀬と続いて丹羽が最後になった。成瀬はあわよくば啓太と一緒に回ろうとしたものの、順番が離れてしまって臍を噛んでいた。ちなみに篠宮が、本日の取り仕切り兼肝試しの前に恒例となる怪談話担当だ。篠宮の淡々とした口調で語られる、どこか真実味のある学園内の怪談に啓太はぎゅっと和希の制服の裾を掴んでいた。
怪談話も終わると、篠宮から校舎内の地図と一本の赤い蝋燭が一人に1セットずつ渡された。地図を見てみると、そこには3階までまんべんなく校舎を回るという、結構な距離をこなすルートが描かれていた。階段は階ごとに片方が封鎖されており、屋上まで一本道になっている。そして今回の肝試しの折り返し地点は屋上。そこにはくまちゃんと白い蝋燭の印がついていた。帰り道は非常階段でこれまた一本道。つまり、屋上に置いてあるくまちゃんのぬいぐるみを一人一つ取り、さらに蝋燭を、屋上で白い方に取り替えて来るのが肝試しクリアの条件なのだ。
「分かったか?」
全員が頷くのと同時に、篠宮がストップウォッチを取り出した。
「3分間隔で一人ずつ行ってもらう。では、最初は遠藤。」
「はい。」
こっくりと頷いたところまでは良かったものの、最初に和希がいなくなってしまう事に、啓太はもう半分以上パニック状態になっていた。
「か・・・かずきぃ・・・」
うるうるとした大きな瞳にうっすら涙を浮かべた啓太は、蝋燭のゆらゆらした光の中でとても綺麗に見えたが、これも決まってしまった順番では仕方がないと、和希はそっと啓太の頭を撫でて言った。
「大丈夫さ、啓太。」
「う・・・うん・・・」
何とか啓太がそれだけ答えると、和希は楽しそうにヒラヒラと手を振って、暗闇の中に消えていった。
和希が出発して3分経った。校舎の中は真っ暗で、静かなままだ。和希の悲鳴なんか聞いたこともないけれど、もしそんなものが聞こえたら、俺、絶対クリア無理だよな・・・と、啓太がため息をついたところでストップウォッチがピっと鳴った。
「次、伊藤。」
「は・・・はい!」
おっかなびっくりしすぎて声が裏返ってしまったが、もう逃げ場はなかった。啓太の番なのだった。
「大丈夫だよ、ハニー!待っててくれたら僕が助けに行くからね!」
校舎に進む啓太の後ろから、そんな成瀬の声が聞こえてくる。しかしその声すら耳に届かないように、啓太は地図と不吉な赤い蝋燭を握り締めて歩いていくのだった。
「・・・何にも出ませんように・・・」
そんな事を心の中で祈りながら、啓太はそっと足音すらも消して進んでいった。窓際もなんだか自分の影すらガラスに映るのが怖く、かと言って教室側も何が飛び出してくるか分からず怖い啓太が廊下の真ん中を恐る恐る歩いていると、一つ先の真っ暗な教室のドアが静かにカラリと空いた。
「ヒャァ!」
思わず小声で叫んでしまった啓太に、クスクスという笑い声が届いた。それは懐かしいような、ホっとするような、いつもの聞きなれた声だった。
「和希!」
「びっくりした?」
そう言って片目をつむってみせた和希に、啓太は飛びついた。
「もう!俺がこういうの苦手だって知ってて、お前今日の肝試し許しただろ!」
「アハハ!悪い悪い!でも、一緒に歩いて行けるように、待っててやったんだぜ?感謝しろよ?」
「・・・和希の馬鹿野郎!」
本気で怒ったようだが、それでも啓太はべったりと和希の腕に腕を絡ませ離れようとはしなかった。笑いをこらえきれず、アッハッハと声を響かせる和希の手には、火が消えた蝋燭があった。
「やめろよ〜!脅かす方のみんなに居場所がばれちゃうだろ!?中嶋さんなんかに見つかってみろよ。どんな恐ろしい目に遭うか・・・」
その想像をして啓太はぶるっと身を震わせた。そうなのだ。一応一方通行になるようにしてあるとは言え、校舎は広すぎて、どこに参加者がいるのかいまいちよく分からないような状況なのだ。特に驚かされる側にしてみれば、自分がどこにいるのか分からせてしまうと、格好の標的になってしまう。つまり、和希のように蝋燭を消して、足音も呼吸も気配すらも消して屋上まで辿り着くのが一番驚かされずに済む方法なのだ。しかし、啓太にはどうしても蝋燭の火を消す事ができなかった。真っ暗な中で進むなんてとてもできそうにない啓太は、和希の腕にすがりついたまま訊ねた。
「あのさ、火、つけっぱなしでもいい・・・か?」
「うーん。」
ちょっと考えた和希だったが、何が嬉しいのかニコッと笑って
「うん。いいよ。それなら俺が持っててやるよ。」
といつも以上に爽やかに答えた。
結局、ずっと蝋燭をつけっぱなしだった和希と啓太は、もれなく全員の待ち伏せに遭ってしまった。ホラーと言うよりも肉体的恐怖に近い中嶋の待ち伏せ、こっちが逆に笑ってしまうような可愛い驚かせ方の海野先生、懲りすぎて逆に滑稽だった俊介、それにただ立っていただけなのに一番怖かった岩井と、和希と啓太は全ての関門をクリアした。そして屋上で無事蝋燭を取替え、絶対に和希の手作りだろうと思われるくまちゃんのぬいぐるみを抱きしめて、帰りの非常階段を二人は降りてきていた。その途中で、丹羽のものすごい悲鳴が聞こえたけれど、それは幽霊だとか、驚かせに回った側の人間の仕業とは思えなかった。何しろこの肝試しには、トノサマも参加していたのだから。肝試し中に、トノサマに飛び掛られて悲鳴をあげる丹羽を想像するとおかしくなってしまい、啓太は怖さからの開放もあいまって、中庭に帰り着くまで笑いが止まらなくなってしまっていた。
全員で戸締りをして、点検をし、丹羽が形だけでも終了のメールを苦りきった顔で「理事長」に送って解散となった。和希と啓太はその後サーバー棟に行き、セキュリティーをロックしてから寮に戻る事になった。その帰り道、怖くて怖くて、でも面白かった肝試しの感想を、啓太は少しだけ微笑みながら和希にしゃべっていた。
「中嶋さん・・・嬉しそうだったよな。もう、俺マジで怖かった。」
「あー・・・あの人はそうだよな・・・」
何が怖いって楽しそうな中嶋の目が一番怖かったのだが、それにも苦笑して和希が答えると、啓太もクスッと笑って返した。
「俊介はさ、全然怖くないの。懲りすぎだよ、あいつ。」
「まあな。最後に俺、聞こえちゃったよ『どこがダメやねん』ってさ。」
「アハハ!俊介らしいな。それに海野先生は脅かせてないって、アレじゃ。」
「まあな。確かにいきなりトノサマに首筋を舐められた王様以外は、トノサマが飛びついてきたって全然平気だったしなぁ。」
「まあね。でも俺も、さすがにいきなり舐められたらビビっちゃうかもしんないよ和希・・・」
「でも王様のアレは、別にそういう意味じゃなかったしな。」
「アハハ!確かにね!」
そこでふと、黙り込んで啓太が今度は真剣に言葉を零した。
「・・・でも、やっぱり俺は岩井さんが一番怖かったな・・・」
「だな、俺も。」
そう言って和希はまた思い出したように笑い始めた。
「何だよ!ちっとも怖がってないじゃないか!」
「そんな事ないさ。俺だって、理科室の水槽の後ろに岩井さんの顔が浮かんでるのを見た時は、一瞬心臓が止まりかけたよ。」
「ホントか?」
「ホントだって。俺って信用ないなぁ・・・」
そう言ってぽりぽりと頬をかく和希に、
「しょうがない、そういう事にしといてやるよ!」
そう言って啓太はニコっと微笑みかけた。楽しい夜も、もう随分と更けようとしていた。
その数時間後・・・。
コンコンと和希の部屋のドアを叩く音があった。怪談やら幽霊やらは別に怖くはないが、なんとなく深夜の訪問は和希に嫌な過去を思い出させた。啓太がウイルスに感染した時の事、そして祖父が亡くなった時の知らせ。いや、そんな事でなくとも、仕事の緊急の呼び出しかもしれない。それゆえに、和希は少し硬い声でドアの外に問いかけた。
「誰ですか?」
しばらくの沈黙があって、申し訳なさそうな小さな声が聞こえてきた。
「・・・ごめん、和希、起こしちゃって・・・」
「ああ、なんだ。啓太か。」
ほんの少しだけホっとした、とは微塵も感じさせないような顔で和希が啓太を迎え入れた。
「ごめん、あの・・・」
言い辛そうに俯いている啓太の耳元に、和希は
「怖くて一人じゃ眠れない?」
と、そっと囁いた。ぼんっと音をたてるように暗闇でも分かるくらいに赤面した啓太は、
「分かってるなら、聞くなよな!」
そう言ってパジャマの和希の胸元に飛び込んだ。いつもなら、深夜とは言えこんな寮のドアを開けっ放しのまま啓太の方から和希に抱きつくなんてありえない。しかし今日はよっぽど怖かったようだ。ぎゅっとしがみついたまま、ドアも閉めずにそのままにしている啓太が可愛らしくて、和希は思わず満面の笑みで啓太を抱きしめ返してしまっていた。
パタンとドアを閉めてから、すぐに啓太は和希のベッドにもぐり込んだ。照れ隠しなのか、乱暴な口調で
「ほら、和希。さっさとこっち来いって!」
そう言ったのは誘い文句だったのか。少しだけ苦笑しながらも、これからの予感に胸を高鳴らせていた和希を待っていたのは、ちょっと我慢の限界に挑戦!と言った状況なのだった。啓太の横に和希が身体を滑り込ませると、啓太は和希の体温をすぐ傍に感じたら安心したのか、和希のパジャマを握り締めたまま、すぐに気持ちよさそうな寝息を立てて眠ってしまった。
「全く・・・俺にどうしろって言うんだろうな・・・」
啓太の完全に安心しきった無邪気な寝顔を見つめてため息をついた和希は、そっとその癖のある髪を撫でた。
「まったく、絶対に来年から、肝試しなんて許可するもんか!」
子供のような意地の張り方で怒りをぶつけた和希は、理性で無理やり衝動を押し込めて目を閉じた。
「おやすみ、啓太。よい夢を。」
こうして、ベルリバティーの夜は今宵も平和に更けてゆくのであった。
おわり
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