薄紅色の夜
楊戩は悩んでいた。柄にもなく悩んでいた。自分はかなりポジティブで、かなり大振りな性格だと自負しているのに、太公望が絡むと状況が一変する。自分の全てが知らないうちに何処かへ持っていかれてポイっと捨てられ、挙句の果てには踏みつけられている様な気になる。そうしてこんなにも自分は太公望に弱いのかと思ってしまう。(惚れているからには仕方ないと言ってしまえばそれまでなのだが・・・)いつも何かと余裕を手に余らせていて、はるか高みから見下ろしていれば良かった筈なのに・・・。太公望と居ると、一生懸命追いかければ追いかけるほど遠くなり、かと思うとふっとこんな近くに居る。だからといって手を伸ばせば届くものでもなくやはり飄々とかわされてしまうのだった。
―――まず出会い方が良くなかった―――
楊戩は今夜の宴席を離れ、人気の少なそうな場所に腰をおろし、そんな事を考えていた。酒類にはそれほど弱いという訳ではないのだが、今日は酔いが回るのがいつもより早い。その証拠だといわんばかりに、さっきからぐるぐると同じ事ばかり考えている。
―――あの人はもうとっくの昔に僕を受け入れてくれたけど(←問題発言・・・)必ず二人で居る時間のどこかで一悶着も二悶着もあり、少なからず(楊戩の言う所の)ムードと言うものを滅茶苦茶にしてくれる。そんながっくりするような想いはもうしたくない―――
それが楊戩の唯一の願いなのだが、想いは空しくつい先日も太公望は楊戩をがっくりさせてくれたところだった。
―――本当に往生際の悪い事にかけてはこの国一だ・・・。―――
そんな楊戩だったが、今日の楊戩はいつもと一色違っていた。楊戩と同じく人ごみを避けて(と言うよりめんどくささを避けて)端の方に居た葦護が時折びっくりしたように楊戩の方を見ていた。楊戩は無意識なのだろうが、暗い顔をして何かを考えていたかと思うと、突如小さくふっと笑っては、また何か深刻な顔をして考えに戻っていってしまうのだった。あまりにもその様子が(特に笑い顔が)ブキミでキモチ悪いので、葦護は少し首をかしげて声を掛けるのもやめて頭を掻き、他の場所へ移ってしまった。楊戩が笑っていたのには大きなワケがあった。
楊戩は、(作者も)前々からこれだけはやるまいと思っていたことを遂に実行に移してしまったからだ。楊戩ほどの仙道になると、あらゆる薬の作り方、使い方は頭の中に入っている。そう、例えば人間界で言う所のホレ薬だのソノ気になる薬だのもっとヤバイ薬なども、知識としては知っている。もちろん楊戩は今までそんなものを使う不自由などはしていなかったし、むしろ逆に自分に使われるのを防ぐ方に徹していた。しかしこの手強い太公望にはもう我慢の限界と言うものが来ていた。
―――あの人とのやりとりはそれなりに楽しいし、そんな事を何だかんだと言いつつも、結局自分の手の中におさまるのだからそれはそれで嬉しいのかもしれない。でもやっぱり素直に求められる以上に幸せなことはないと思う。ああ、一度でいいからあの人のそんな姿を見てみたい。―――
楊戩は、我ながら相当不埒だと分かっていながらも、この些細な(?)欲望を押さえる事が出来なかった。そして楊戩の手口は今現在、華麗に進行中なのであった。
宴の始まる前、太公望は必ず兵のところへ行き、兵と同じ酒の杯をもらってくる。城内であれば、安く彫刻など一切ない石の杯だったり、要塞では土器杯だったり、宿営地では葉を器代わりにしただけの杯だったり・・・と、絶対に仙人界のものや、王侯の豪華な杯を使おうとはしなかった。それは兵とのコミュニケーションをはかるためだったり、策の進行程度を確かめたり、兵の不満を聞き逃さないためだったりしたが、やはり太公望がそんな兵たちの日常が好きだからなのだろう。どこまでいっても人間と関わりたいと言う太公望の気持ちの現われなのかもしれなかった。そんな太公望の気持ちに付け込むようなことはやりたくないと思う良心は、・・・あるにはあるのだが・・・楊戩の欲求不満はもうそのレベルをはるかに超えてしまっていた。
太公望は今日も兵舎へ来て、あちこちの兵をつかまえては杯をくれと言い回っていたが、まだ見誓っていないようだった。そこへ一人のまだ若い兵がやってきて、赤土でできてはいるものの、かなり薄手の土器杯を恐る恐る差し出した。
「おお、すまんの。」
そう嬉しそうに言い、満足したように太公望は宴の中心に帰っていった。その兵が楊戩の変化であり、その杯にとある薬が仕込んであるとは露知らず・・・。
楊戩の手口はかなり巧妙であった。どうすれば薬がそうとは知られずに太公望の口に入るか考えた末、赤土にかなり強い薬草を少量塗りこめた。太公望はかなりの酒豪である。それくらい飲まないと効かないようにも調節してあった。万が一他人の手に渡ってまずい事になったらたまらない。そんな事も考えての事だった。そうこうしているうちに月も傾き、宴も中盤の下りを迎え、そろそろ薬が効き始める頃合になってきた。
楊戩の予測どうり、太公望は今日も勧められるままに飲んでいる割には平気そうな顔をしていた。が、一つ違う事は太公望本人にしか分からないほど小さな体の変調であった。
―――これは・・・?―――
と太公望は首をかしげた。
―――まだ自分が酔う量ではない。仙桃に比べたら人間界の酒は圧倒的に薄い。いつもならもっと飲んでもなんら変わりのない量だ。なのに。何かがおかしい。何だか顔が火照っているような気がする。服が妙に身体にまとわりついてくる気がする。いつもは気にもしない襟が、首にあたると何か息苦しい気がする。しかしそんな事を周りの者(特に武吉やスープー)に感づかれると一騒動あることは避けられない。そうなるとまずはじめにあの男が駆けつけて来て、皆を追い払うのだ。その上看病するだの何だの言って一晩中そこに居るに違いない。それだけは避けたい。だいたいあやつは一体何を考えておるのだ。この前もわしがちょっと熱を出しただけで人の幕に泊り込んだり、熱を測るとか言って勝手にあちこち触ったり、挙句の果てには・・・―――
この時点で、太公望は今自分がその変調の張本人である楊戩の事ばかりを考えているとは思っていなかった。しかし怪訝そうな顔でこちらを見ているスープーの視線をとらえ、はっとそれに気づいた。すると余計に何か腹立たしく感じられ、楊戩に一言物申さないと気が済まないような感じまでしてきた。
―――まったくあやつは・・・。一度びしっと言っておかぬと・・・。―――
楊戩の使った媚薬はごく普通のものである。そう言い切ってしまうにはやや(?)語弊があるが・・・つまり、個人が個人に対して抱く感情を操作すると言ったシロモノではなく、ただちょっと感度を上げるくらいの物だった。だから太公望がこの体の調子を全て楊戩への不満にぶつけると言うのは事実を知らない太公望にとってはちょっととっぴすぎる考えだった。企みの張本人である楊戩にしてみれば、それはかなり自分の思いが報われていると言う事になる。とにもかくにも太公望はこのおかしな調子の身体のまま、ひどく怒って楊戩が飲んでいる宴の隅までやって来た。
「くぉら楊戩!」
突然振ってきた威勢の良い罵声にびっくりし、楊戩は顔を上げた。
「す・・・師叔?」
楊戩は、頃合を見計らって太公望の具合を見に行こうとした矢先の出来事であったので余計に面食らってしまった。飛んで火に入る夏の・・・(殴)というように。そんな楊戩をよそに、太公望は相変わらず怒りながら楊戩を見下ろして文句の羅列をはじめた。が、どうも太公望の発言には辻褄の合わないことが多い。かいつまんで要約するとどうやら体調がおかしいことにむしゃくしゃし、それをぶちまけに来たのであろう事は何となく分かった。しかし、それがどうしていつの間にか楊戩個人への苦情になるのか太公望は自分の気持ちを把握していなかった。とにかく腹立たしくてたまらない。この体調も、この男が目の前で笑っている事も、何もかも。そんな太公望とは逆に、楊戩は太公望を見ながら笑みがこぼれるのを押さえられないでいた。太公望は怒ってはいるけれど、これはどうやら自分の薬が効いてきているという事の証拠だと。太公望は気づいていないようだが、この体の中の小さな疼きを、行き場のないかすかな熱を、まとわりつく衣の感触と息苦しさを楊戩に開放してほしいという思いがその瞳の中に見え隠れしていることを。
まだ何かぶつぶつ言っている太公望に楊戩は苦笑しながら答えた。
「―――師叔!そんなに僕の悪口ばっかり言わないで下さいよ。さすがも僕もちょっとまいりますよ。」
「何おぅ!?わしは怒っておるのだ。だいたい先日だっておぬし、わしの熱の事などほおっておいて人を・・・」
「師叔!」
楊戩は少し声を低くして短くその名を呼んだ。
「師叔、ここは宴席の中ですよ?そんな事こんな所で僕と言い合っていていいのですか?」
「―――っ・・・」
その声に、太公望は初めて自分が何を言いかけていたのかを悟り、口を閉じた。宴の隅だったはずのこの場所に、もう人が集まりかけていた。
『もう完璧にハマっているな・・・。』
そう楊戩は確信した。いつもなら太公望はこんな事(人には語れないような、楊戩と自分の事実について・・・)は、たとえ文句であろうと、他人のいる所では絶対に言わない。むしろ忘れてしまったかのように自然に振舞ってくる。そう、楊戩が傷つくほど自然に。しかしそんな太公望はどこへやら。もう回りも見えていないようでは相当効いている事の証にしかなっていなかった。そう思うと自然とくすっという含み笑いがこぼれ、楊戩は立ち上がった。
「師叔、苦情でしたら僕の天幕でいくらでも伺いますから・・・行きますか?それとももっとここで人目を集めたいですか?」
わざとそんな誘うような口調にしても、太公望は反応しなかった。
「・・・・うう〜。分かったわい。」
いつもならここでこそ怒るのだが、少しうなっただけで太公望は頬を膨らませ、ふいっと横を向いた。
「さ、では行きますか。」
やけに嬉しそうな楊戩が、太公望のその手を掴んだとたん―――
「――――あっ」
甘い声が太公望の口から漏れ出た。それはいつもなら閨の中でしか決して聞いたことのないほどの・・・。
「師叔?」
理由は分かってはいても、あまりのその甘さにとろけるような微笑みになった楊戩はもう一度その名を呼び、顔を覗き込んだ。ただ、それだけで。太公望は今までの酒精が全て回ってきたかのように顔を赤らませた。そして楊戩の手をパシッと払い、先に立って歩き始めた。
もうこの頃には完全におかしくなっていた。楊戩の手を振り払うのでさえ辛かった。しかしこれ以上この感触には絶えられなかった。ふんっと怒って大またでずんずん歩いていこうとするのだが、どうもそれがある感覚に阻まれて出来ない。自然とゆっくり、そっと歩くような事になってしまう。その後ろには、楊戩がまだ少し笑いながらついて来ている。宴を離れる頃にはとうとう太公望は立ち止まってしまった。うつむいてしまった太公望に、楊戩はもう一度名を呼んだ。ゆっくりと。
「太公望師叔?」
「・・・・・・」
答えはない。どうしたんですか?と意地悪く聞いてやると、太公望は少し顔を上げた。瞳がもう潤んでいる。
「・・・・・・ぬ・・・」
「えっ?」
「・・・歩けぬ。・・・・何かおかしいと言っておろう。」
楊戩はまさかここまで効くとは思っていなかった。太公望が自分の感覚のせいで歩く事すら―――足に衣があたる事にすら感じてしまうとは。
「師叔。では僕が連れていって差し上げますよ。」
満面の笑みを浮かべて楊戩はひょいっと太公望を抱え上げた。
「ひゃっ!!よ・・・よ・・・ぜん」
「何ですか?」
しれっと答えて楊戩はスタスタと歩き始めた。その振動と、手から身体から伝わってくる体温と、顔にこぼれ落ちてくる長い髪に、太公望は図らずもひどく反応してしまっていた。
「ぅあっ・・・よ・・・やめよ!!おろせっ!!!」
「だって歩けないんでしょう?」
そう言って楊戩がにっこり微笑んだ瞬間、太公望は全てを悟ってしまった。
「・・・よ・・・ぜん・・・おぬしぃ・・・・何か・・・っ・・・盛ったな?!」
必死で太公望がそう言っても、楊戩は悪びれもせず、また華の咲くような笑みで答えた。
「ええ。少しね。」
そのふっと笑ったその息さえ、苦しいほどに甘い。急にさっきの怒りが再びもどってきたように口を開きかけた太公望に、楊戩が間髪入れずに続けた。
「でも、正直こんなに効くとは思ってませんでしたよ。あなたって本当に敏感なんですね。」
「なっ・・・!!!」
潤んで涙さえこぼれそうな視線を鋭くして、太公望が楊戩を睨もうとした・・・が、もう既にそこは楊戩の天幕の入口であった。
中に入ればもう小さい灯りが一つ灯っていた。
「おぬしぃ!!はじめからこ・・・このような・・・・」
「ええ。」
あまりの準備のよさに、怒りを通り越して太公望はもう黙り込むしかなかった。
「あなたのそういう姿を見たくて。」
そう言いながら楊戩はそっと太公望を褥に寝かせた。
「あっ!」
太公望は、やはりそれだけのこととで眉を寄せ、ぎゅっと目と閉じた。楊戩はその反応に満足気に太公望の道服を取り去り始めた。その一枚一枚に、太公望は反応してしまう自分を持て余していた。
「―――くぅ・・・・っ・・・やめ・・・」
「何言ってるんですか師叔。こんなに感じているのに。僕にどうにかして欲しいんでしょう?」
「ダアホッ!!」
そう叫べたのはそれが最後で。太公望はとても自分の声とは思えないような、信じたくない甘い声を漏らし続けた。その声も楊戩の唇に奪われてしまう。はじめの軽い口付けだけで、太公望は身体を震わせた。それを確認した楊戩は小さく開かれた口に深く舌を絡ませた。とたん、ガクガクと身体全体を戦慄かせて太公望の瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。もうやめて欲しいのに、長い口付けがやっと終わりを告げると、太公望はその喪失感からの切なさに耐え切れず誘うように楊戩の名を呼んだ。
「・・・っはぁっ・・・・よ・・・ぜんっ!」
「師叔・・・」
こうなる事は計算済みであったとはいえ、あまりの思惑どうりに実際愛しい人を前にすると、あまりの嬉しさに眩暈さえ覚え、再び噛み付くように唇を塞いだ。
普段であれば、やれ月明かりがまぶしいだの灯りを消せだのうるさい事限りない恋人が、今はさすがにそんなことを構う事も出来ず、口付けと胸元や腰に触れる手と髪の感覚だけで、一度目の頂点を迎えようとしていた。
「・・・いいですよ。師叔、このまま・・・」
「いやぁっ・・・」
「強情ですね。」
そう言って楊戩が少し強く耳を食んだ瞬間、
「――――――ああっ・・・・」
後を引く嬌声と共に、太公望は敷布に沈んでいった。
「っは・・・・」
それで少しは熱が引いたのか、太公望は少し呼吸を整える事が出来た。このまま目を閉じて、眠りの波にさらわれたいと思ったが、楊戩はそれを許さず、今熱を放ったばかりの箇所と足の内に口付けを降らした。再び乱れる呼吸に喘ぎながら太公望はやめるように口を開いたが、それはさらに楊戩を煽る役目しか果たさなかった。さらに優しくゆっくりになっていく指と唇に、太公望は疼きを止める事が出来なくなった。もっと満たされないともうどうにかなりそうで、懇願するような目で自分の下の方に居る楊戩を見た。
「・・・早くっ・・・もう・・・くっ・・・あはっ・・・・・・・・うっ・・・」
「もう?もう何です?」
「・・・分かって・・・おる・・・くせに‥あぁ・・・」
「駄目ですよ。ちゃんと言ってください。」
あまりにさらっと言うその口調に(それでも息は多少はあがっているのだが)悔しさがつのったが、もうそんなことを考えてはいられなかった。身体に考えがついていかない――そう思った瞬間、勝手に口が動いた。
「おぬしのを・・・・はやくっ・・・」
一生聞けないような目の眩むセリフに、楊戩は我を忘れかけた。太公望を一度強く抱きしめてから、その熱を太公望の中に滑り込ませた。そこはもうひどく濡れていて、あの痛みが消える前に、もう抱えきれないほどの快楽が押し寄せてきた。楊戩自信も太公望に締め付けられ奥へと誘われ、その腰を掴み、たがが外れたように激しく前へと揺らし始めた。
「―――あっあ・・・・」
「くっ・・・」
こんなにも早く、最奥にたどり着く前に揺らせれるその行為は初めてで、浅い悦楽が身体全体を満たしていった。そのうち声もつまり、激しく揺さぶられ擦りあげられるうちに、二人とも思考を放棄していた。どちらが動いているのか、どちらの汗なのか涙なのか分からない程に濡れて・・・
「んっ――――んぁあっ!!!」
動きが奥を一際強く突いた瞬間、二人は同時に甘く白い波間に沈んでいった。
「―――師叔、師叔・・・。大丈夫ですか?」
そう呼びかけられたのは、まだそう長い間経っていない頃のように思えた。太公望はもうとっくに楊戩の言う薬とやらの効き目がなくなっていることを知っていた。しかし、まだこのまま・・・。そんな想いがあったことを否定する事は出来ず、太公望は何の抑制もなく甘い吐息を吐いた。
「―――ん・・・楊戩・・・」
まだこの甘さに浸っていたい。こんな事がない限り、二度とこんな事はしないだろうから。自分はこんな事を認めはしないだろうから。あと少しだけ、このまま・・・。
「ようぜ・・・ん・・・―――まだ・・・」
「太公望師叔・・・僕も・・・。―――愛しています―――」
そしてまた自分にかぶさるようにしてきた重みの心地良さに目を閉じ、再び二人は自我を手放すまで求め合おうとしていた・・・。
おわり
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