仙界大戦 プロローグ

 

 復活の玉の光を浴びたとはいえ、長きに渡る疲労に加え、薄着のままの激しい温度差の為、太公望の身体は衰弱しきっていた。趙公明封神後、皆と合流した太公望は周軍の宿営地に向かった。安堵から来る膨大な疲労から、太公望は四不象の上にぐったりと横たわっていた。今にも四不象から落ちそうな太公望に、楊戩は哮天犬に乗って近づき、目を瞑ったままのその小さな身体を抱き上げた。

 それからもう数日が過ぎたが、太公望は微熱が続いていた。無理もない事であった。一方楊戩はあの日以来、自分の体を癒す事もせず太公望を看病し、軍務も二人分以上にこなしていた。だが、衛生管理も十分に行き届かぬ宿営地では、治療をしようにも限界がある。太公望の身体が治る速度も自然と押さえられていた。

 夜、月が白く輝く頃、楊戩はようやく一日の軍務を終え、太公望の冷布を取り替える為、太公望の幕に戻ってきた。右手には宿営地に近い泉の水を入れた器を持ち、左手でそっと幕の入り口を開けた。音も立てずに静かに入ったつもりだったが、太公望は気配に気づいて目を開き、楊戩のほうを向いた。
あ、すみません。おこしてしまいましたか。」
うむ、だがよいよ。」
詫びる楊戩に太公望は微笑みかけた。
すまんのう。しかし、もう冷布などしなくてもよいのだがのう。」
そう言った太公望は、面倒くさそうに額の布をつまみ上げた。
いけませんよ。まだ微熱があるのですから。」
だがのう・・・、一国の軍師がこれしきの事でそう何日も寝込んでいては士気も下がるというもの。もう平気だ。明日から復帰しよう。」
そう言い終わらぬうちに、太公望は軽くせき込んだ。
いけませんってば。」
楊戩は急いで器を下ろし、太公望の枕元の椅子に腰掛けた。
「お願いですからまだ寝ていて下さい。あなたの体には、まだ休憩が必要です。」
しかし、それはおぬしや皆も同じことであろう。わしばかり休んでいては…。それと、もう寝すぎで眠れぬよ。」
そういってはは、と笑う太公望を見、楊戩は急に険しい目をした。
いやです。」
話とかみ合わない妙な口調と受け答えに、太公望は少し笑った。しかし楊戩はすくっと立ち上がり、太公望のすぐ脇に立った。
いやなんです。」
驚く太公望に、強い視線を向けたまま楊戩は言った。
あなたが無理をして働くのを見るのがいやなんです。軍務なら僕がどれだけでも行いましょう。しかしあなたの替わりは誰にも務まりません。あなたは自分の体をぞんざいに傷つけすぎです。それも良いとおっしゃるのでしょうが、僕はこれ以上あなたのつらそうな姿を見るのに堪えられません・・・。」
そして寝台に起き上がって何か言おうとした太公望を寝巻きの上から抱きしめた。長い沈黙が流れたが、楊戩の口からは、次の言葉が出なかった。これ以上自分の気持ちを伝えることを、楊戩の中の深い何かが妨げていた。これ以上僕には言えない、言ってはいけない・・・・・・と。そして何も言わないまま太公望を離し、一礼して楊戩は幕を出ていった。残された太公望は、額から落ちた布を見つめ、ぐっとその布を握った。幕が異様に広く感じられた。
楊戩・・・わしは・・・・・・。」

続く。