第六部[風の分岐]

 

 崑崙の入り口へ向かう四不象の動きが突然止まった。先に進めないと言うのだ。
「あ・・・あれは・・・!!!」
「こ・・・っ・・・崑崙山が・・・・・・!?」
見上げると、空間が重力によってねじ曲げられていた。
「あ・・・あれは元始天尊様の宝貝・・・」
驚いてそう言った楊戩の後を太公望が継いだ。
「盤古幡!!!七つのス―パ−宝貝の一つだ!その所有者以外が使うと1分と待たずに力を吸い取られて死ぬと言う・・・。」
「――では今崑崙では、そのスーパー宝貝同士が戦っているのですね。」
「うむ・・・・・・。しばし崑崙山には入れぬか・・・。状況が変わり次第突入しよう!」
しばらく三人はその場から動けずにいた。太公望も楊戩も、眉をひそめるばかりでどうしようもなかった。ところが突然重力の場が消えた。
「すごい衝撃だったけど・・・元始天尊様ははたして・・・・」
誰にいうともなく、楊戩はつぶやいた。 

 猛スピードで崑崙に戻ってきた3人は、見る影もないほどに破壊された周りを見渡した。
「なっ・・・なんて事だ!崑崙山がボロボロじゃないか!!」
だが太公望はこうなることを予想していたのか、ある宝貝を見つけるまで無言であった。
「楊戩!あれを見よ!!」
「あれは・・・十天君が使う空間・・・!!」
しかしそこに現れたのは王天君だった。
「よお、太公望に楊戩!遅かったじゃねえか!!」
「王天君!!」
いろいろ予想をしてはいたものの、まさか王天君が出てくるとは思いもよらなかった太公望は警戒して叫んだ。しかし楊戩にとってそれは更に驚くべき事だったのだ。
「バカなっ!!!生きているなんてあり得ない!僕はこの目で確かに・・・」
しかし王天君はそのままそこに宝貝と天化と天祥を置いて去っていった。ヴンといって紅水陣に映ったものは、禁城の前に立つ黄飛虎と聞仲であった。
「!!!」
「オヤジ!今の聞太師は危険さっ!!」
「お父さん早く出てっ!!!」
しかし黄飛虎には出られない理由があった。たった一人の尊敬し合う友が、もう昔の友ではなくなっていた。
―――昔、二人は衝突を繰り返しながらも、お互いを認め合い、感化し合っていた。黄飛虎のおおらかさは、聞仲の冷徹さを変化させたと言う。そして位置しか、お互いに最も信頼し合える友となった―――
本当にもう、あの聞仲ではないのか・・・。黄飛虎の胸に寂しさがよぎる。そうであるなら・・・
「ならばせめて・・・俺がテメーを殺す!!!行くぜ聞仲!!!」

 酸の雨の中、二人の戦いの激しさは増していく。父の名を呼ぶ子らと、陣のなかの父。太公望には、その両者の心が痛いほど分かる。だが一体・・・
「武成王・・・」
とうとう黄飛虎が膝をついた。今まで黙っていた太公望は、目の前が再び暗くなった。何としても助けたい・・・
「楊戩!」
「は・・・はい!」
「王天君に変化し、紅水陣を解除せよ!!」
しかし楊戩にも解除することはできなかった。もう、太公望には、ここで見ているだけしか術がなかった。殴りかかった黄飛虎の前に、聞仲の動きが一瞬止まり、激しくなっていく雨の中、何かが地面に音を立てて落ちた。
「聞仲の仮面が・・・」
「落ちた!」
天化、天祥の後ろで、太公望と楊戩は静かにそう言った。益々強くなる案で、もう二人の姿は見えなかった。
「ああっ・・・雨が強くなったよ天化兄様!!お父さんがとけちゃうよ―――っ!!!」
弟の涙混じりの叫びに、天化は歯を食いしばった。そして最も辛い答えを持つ問いを発した。
「スース!十二仙は何をやってるさ!!十二仙なら何とか出来るはずさ!!」
太公望は、天化をまっすぐ見られなかった。楊戩と、自分と、天化の運命が重なる・・・。
「・・・・・・・・・もう、おらぬ・・・・・・」
「―――――!!!それじゃあ・・・道徳コーチは・・・・!!?」
太公望にこれ以上話をさせたくない。そう思った楊戩は言葉を継いだ。それは、楊戩にも辛いことであったはずである。しかし楊戩には言わねばならない事がある。
「十二仙のうち、十仙の死は確認済みだよ。現時点で生き残っているのは太乙真人様のみ・・・道行様は行方不明だ。道徳様は最期に・・・・・これをキミにと・・・・・」
すっと天化に差し出したのは、莫邪の宝剣の二本目であった。受け取った天化は悲しくそれを見つめ、手で瞳をおおった。
「コーチ・・・畜生・・・・ちっくしょー・・・ちっくしょー」
繰り返しそう言う天化を見、楊戩は太公望を振り返った。太公望からは、また再び何の表情も読み取れなくなっていた。
『師叔・・・・・・』 

 聞仲は、血の雨の中に倒れた黄飛虎を目の前にして、動くことができなくなっていた。そんな聞仲に黄飛虎は最期の力を振り絞って話し掛けた。
「聞仲よぉ・・・目ェ覚ませよ・・・もう俺とお前の殷は失くなっちまったんだ・・・もうねえんだよ・・・」
雨の音が全てを包み込む・・・。
「違う!私がいる限り殷は失くならない!何度でもよみがえる!!」
それを聞いてふっと笑った黄飛虎を見、聞仲は続けて叫んだ。
「裏切り者のおまえにそれを言われる筋合いはない。私を止める権利などないのだ。私を止められるのは私の味方だけなのだ。だから飛虎!無駄な事はやめてここから出ろ!!おまえは私の敵だろう!!?おまえは私の・・・私の・・・・・・・」
黄飛虎には、聞仲の悲痛な叫びと本当の心が届いた。
「フ・・・・やっともとのツラに戻ったな聞仲・・・・・・」
何かが去っていく気配に気づき、聞仲は手を伸ばした。
「!だ・・・だめだ・・・飛虎・・・・行くな・・・・」
しかし黄飛虎は笑ってこう叫んだだけであった。
「太公望どの!!!後は任せたぜ!!!」
その声と気持ちは太公望にしかと届いた。一筋の魂魄が飛び去り、聞仲の伸ばした手の先には、もう何もなかった。何も・・・
「うわああ――――っ!!お父さんが!!お父さんがぁ!!」
「オヤジ・・・・・」
「武成王・・・」
太公望だけが、何も言わずに魂魄の飛んで行った方向に深く頭を下げた。そう、このような者のために、太公望は今、生きているのであった。真ではならぬとは、こういう事であった。太公望には、まだやらねばならない事がある・・・。

 紅水陣から、聞仲が出て来た。どこにまだこんな力が残っていたのだろう。黒麒麟は聞仲を乗せ、あっという間に飛び去ってしまった。
「いけない!聞仲にとどめを刺さないと!!」
今、一番冷静であろう楊戩が叫んだ。黄飛虎に続き、飛んでいった王天君の二つ目の魂魄を見送った太公望は皆に話し掛けた。
「・・・・・・・・・皆、聞け・・・・・・。じきに金鏊島は落ちる。つらいであろうが脱出の準備をせよ。」
そして四不象に乗った太公望に楊戩は問うた。
「師叔は?」
答えは分かっていた。だが、今何を言えばよいのか・・・分からなかった。
「後始末をつける!もう、終わらせねばならぬのだ!!」
 金鏊島の上には、美しい夕日が、今まさに沈もうとしていた。力尽きた黒麒麟を前に、聞仲が呟いた。
「苦労をかけた・・・・・・。黒麒麟・・・・・」
――――以前の私は孤独である事が苦痛ではなかった。いつからだっただろう?独りの寂しさに気づいてしまったのは・・・?飛虎と出会ってからだ。飛虎は私から孤独を奪い、それとは別のものを与えたのだ――――
もう動かない黒麒麟のそばを離れ、歩いてゆく聞仲の瞳には涙があった。
「聞仲。」
その目を上げると、夕日を後ろに太公望が立っていた。
「最後の戦いだ!禁鞭をとれ!!」
そう言った太公望に聞仲は向かっていった。
「太公望よ、私は以前おまえにこう言った事があったな・・・。理想を語るには、それに見合う実力が必要だと・・・。万が一にもこの私を倒せたら、語る資格を与えてやろう!!!」
太公望がその言葉に返した風は強かった。そして言葉にも、迷いはなかった。
「聞仲!おぬしも殷も老いたのだ!!いま人間界に必要なのは若き風であろう!!!おぬしは消えよ!!!」
「そこが夢想だというのだ!!!そのような幼く浅い思想を持ったおまえに・・・人間界は渡せぬ!!!」
その瞬間、二人はお互いの攻撃を同時に受けた。しかし太公望は前方を激しく見、打神鞭を握り直した。
「わしは何としても、いかなる手を使ってでも、あやつを乗り越えねばならぬのだ!!!」
―――皆に残してもらったこの命を使って!!!―――
「行くぞ聞仲!!!」
叫んだ太公望の姿はもはや聞仲には見えなくなっていた。
「聞仲!?」
その様子に気づいた太公望はぱっと打神鞭を離し、手で聞仲を殴った。もう、それからは滅茶苦茶だった。ふたりは、両方が血を吐いて、動けなくなるまで殴り続けた。
・・・・しかし・・・・・歴史を決める戦いとは、こんなものなのかもしれない・・・
四不象はそう感じた。

 とうとう聞仲は膝をついてせき込んだ。そして、静かに語り始めた。
「飛虎が死んだ時・・・気がついた・・・私が取り戻したかったのは殷ではなく・・・飛虎のいるかつての殷だったのだ・・・。失った時が戻ると信じて・・・」
「聞仲・・・」
聞仲はぐっと手をついて立ち上がると、がけの方に足を運んだ。
「―――太公望よ、人間界はおまえにやろう。おまえの言う『仙道のいない人間界』を作ってみるがいい。だが私はおまえの手にはかからない!」
崖の下から、一筋の風が吹き抜けた。
「おまえともっと早く会っていたなら・・・・私ももっと違う道が見えていたのだろうな・・・さらばだ太公望!」
次の瞬間、沈みかける太陽と魂魄の光が重なった。
「聞仲・・・・」
それを見届けた太公望は、ドサッと倒れ、四不象が声を掛けても動かなかった。

 その頃超過を、一筋の光が駆け抜けていった。月の綺麗な静かな夜であった。 

 太公望が目を開いたのは、次の日の、日の出前のことであった。月が欠け始めている。
「太公望師叔。生存者はみんな脱出に成功しました!」
四不象の上に起き上がった太公望に楊戩が声を掛けた。そして、静かにこう言った。
「最後につらい後始末をつけてもらいましたね」
「・・・・・・強かったのう、あやつは・・・」
太公望が感傷に浸ったのはその一瞬であった。懐かしいその優しい声に、一瞬自分の立場を忘れてしまいそうになったのだ。
「それより楊戩、金鏊の妖怪たちはどうなったか知っておるか?少しは生き残っておったであろう?」
「・・・・・・彼らに脱出の術はありません。なにせ金鏊内部はぐちゃぐちゃですから・・・」
しかしその時、金鏊から大きな物体が妖怪達を乗せて飛び出した。雲霄三姉妹であった。

 二つの新が、人間海の山にぶつかった。夜明け間近の空はほのかに色づいて、薄い光が辺り一帯を照らしていた。金鏊島が・・・崑崙山が・・・落ちる・・・・・・ 

 ようやく朝日が昇った。武吉と楊戩は、封神台を探しに島の落下地点まで来ていた。
「あ!あったあった!!封神台はちゃんと残ってますっ!!!」
嬉しそうにそう言う武吉とは逆に、楊戩は沈んだ声で答えた。
「うん、一応あれは元始天尊様の宝貝だからね。崑崙山からは独立しているんだ・・・」
この場に太公望は確かに来ているはずなのだが、見あたらなかった。
「あれ――っ?そういえばお師匠さまは――っ?」
単純にその事に気づいてそう聞いた武吉に、楊戩は目を伏せ、小さくこう言った。
「・・・・・・・少しの間、一人にしてくれと・・・」 

 そこからだいぶ離れた、金鏊島の中央部の落下地点に、しゃがみ込んだ太公望と、悲しそうにそれを見ている四不象がいた。
「御主人・・・・・・」
腕で膝を抱え、顔をうずめた太公望の大きな瞳から、涙が流れ落ちた。戦いが始まってから―――いや、いつからであろう、その戦いというものは。仙界大戦が始まってから・・・?いや、仙人界に来る前から、太公望は決して泣くまいと、孤独と自分とに戦ってきた。その男が今、初めて見せた涙だった・・・。

続く。