第四部 [死闘]

 

楊戩が崑崙に戻った頃、黄巾力士に乗っている普賢は急に思い出話をし始めた。
「ただ思い出したんだ。ああ・・・あの頃は争いもなくて楽しかったなあって。」
普賢には、太公望を崑崙に戻し、自分は二度と戻れなくてもいいと言う覚悟ができていた。そして結局これが、最期の思い出話となるのであった。・・・・。

 突然、黄巾力士の電話が鳴った。普賢の持ってきたゴマダンゴを食べながら電話をとった太公望ははっとした。
「―――むぅ!楊戩!!?無事であったか!!」
何と久しいこと聞いていなかった声だろう。つい大きな声を出した太公望に、楊戩は優しく答えた。
「ええ・・・師叔もご無事で何よりです。これから僕はみんなを連れてそちらへ向かいます。あなた方はエサとなって、見事聞仲を引き付けておいて下さい!!」
「うむ!可能なかぎり早く来るのだ!!聞仲相手では10分ももたんからのう!!」
太公望は勢いをつけて電話を切った。
「よしっ!では行くぞ普賢!!」
自然と口調が明るくなってしまう。これから待っている戦いは、決して明るい所を向いてはいないのに。それほど楊戩の一言は、太公望の心をゆすった。しかし太公望は急に頭がクラクラとして、膝をつき、倒れ込んでしまった。普賢がゴマダンゴに睡眠薬を盛ったのだった。
「ごめん望ちゃん。みんなが到着するまで二人で耐える必要はないんだ。耐えるだけなら二人も一人も同じ事・・・。エサは一人で充分だよ。」
優しいが強い目をしてそう言った普賢はストンと黄巾力士を降り、崑崙に帰るよう、トンと押した。倒れたまま普賢の名を呼び、太公望は遠ざかる友を強く見た。
「ばかもの・・・・・・!!」
『―――わしが一人で帰れるわけがないことを知っているはずなのに、こんなことをしおって・・・!おぬしを犠牲にはさせぬ!―――』
その意志が、今度は普賢を救う番であった。一人“星”に腰掛けた普賢は、軽いため息をついた。
「これでいいんだよね。望ちゃんにはまだ妲己という敵がいる。生きなきゃ。」
そう言った普賢は、孤独だったのかもしれなかった・・・・。 

 ピリッと大気が震え、普賢は立ち上がった。聞仲が来たのだ。禁鞭が周りの星を一瞬にして砕いてゆく。普賢は今まであったことのないは激しい威圧感にさらされていた・・・・。  

 ―――遠い昔―――
普賢と太公望は黄巾力士を拝借して人間界に来ていた。釣りをする太公望に、普賢は一本の針――先の曲がっていない、とろんとした針を差し出した。それでは釣れぬと怒る太公望に普賢は静かに話しかけ、横に座った。
「望ちゃんは考え事をするために釣りをしてるんでしょ?わかってるよ。でもそのために魚が痛い目を見るのは感じ悪くない?」
多少真顔になった太公望はちらっと普賢を見、ふいと顔をそらした。
「おぬしは徹底して争い事が嫌いなのだのう。」
「望ちゃんだって実はそうじゃないの。だからこうして気が合ってる。でも・・・・」
そこで普賢はふと言葉を止めた。
「望ちゃんはいつか、戦いに身を投じる気がする。心の奥にギラギラ光る刃があるもの。その時には僕もキミの横にいるよ。それぐらいの力はあるから・・・・」
その時太公望は思った。こやつは死んではならぬ、死ぬべきではないのだ・・・と。朦朧とする頭を振り、太公望は左手に打神鞭を握り、ギッと歯を食いしばった。次の瞬間、太公望の膝の布が紅く染まった。
「普賢・・・・・・早まるなよ普賢!!!」

 普賢の宝貝、大極符印の斥力も、聞仲の圧倒的な力の前ではほぼ無力に近かった。破壊された動力炉の上に鮮血が落ちる。
『防御が効かない!!!』
受けた傷をぐっと手で抑えた普賢は、圧倒されていた。このまま引いてもおかしくないのだが、その場にとどまった普賢に聞仲は問いかけた。
「普賢真人よ、あえて問おう。何故太公望を逃がし一人で私と戦おうと思った?おまえ一人で私を押さえられるとでも思ったか?」
「・・・・・・・・」
普賢の心に様々な思いが交錯する。一度静かに目を閉じた普賢はかすかな微笑みを取り戻した。
「そうかもね・・・・・・」
「嘘だな!お前は太公望だけでも生かそうと考えたのだ!そして自分はあとからくる味方のために私を引き付けておこうとしている!たとえ自分の命を落とそうともな!!」
「・・・・・・・・」
普賢は守りたかった。たった一人の友と呼ぶことのできる男を。そして仲間たちを。このまま別れる事はあまりにも辛かった。が、守れるのならばそれでいい・・・。自分の命は、自分の大切な人たちのために使いたい・・・・。しかし独りの寂しさ、悲しさを普賢は知っていた。“何人がかりできても無駄だ”と、炎の中から言う聞仲に、普賢は震えた。
『怖い・・・・・・!!!』
力の差、自分がいなくなることより、ここで独りになることが怖かった。
「さらばだ普賢真人!!!」
もう最期だ・・・・。そう思った瞬間。何かが普賢の周りを囲んだ。
「風・・・・・・!?」
風の壁であった。
「普賢!!この大バカ者がっ!!!」
「あ・・・、望ちゃん!!!」
そこにはいつものように強いが優しい笑みを浮かべた太公望がいた。
「望ちゃん・・・・どうして帰ってきちゃったのさ・・・」
普賢にとって、苦しい太公望の帰還であった。自分一人より、太公望が消える事の方が苦しい・・・。だが、いつもの怒った調子で普賢に視線を移す太公望を見て、どこか心が和らいだ。
「・・・・そうだね。」
自分を笑うように、普賢は小さくそう言った。 

 十二仙は王天君のダニから回復したと言う。後は待つだけである。太公望の器は、前より確実に広がっている。しかしそれでも、皆が来る前には二人ともやられてしまう。とっておきのわざ――Bクイック攻撃も、聞仲の頬に一筋の傷を付けただけだった。それでも太公望は、今まで近づく事もできなかった相手に傷を負わせることができた。と、こんな小さな事にも希望を見出している。
「・・・・・・・・」
『やはり望ちゃんを生かさなければ・・・・。どうあっても・・・。僕が守れなくても、もう望ちゃんを守ってくれる者がいる・・・・。そして望ちゃんを、僕と同じ孤独から救い出してくれる、いや、望ちゃんの救いを求めている者がいる。』
後ろに黄巾力士の近づく気配を感じながら普賢は思った。そして本当に決心を固め、微笑んだ。
「覚悟を決めろ聞仲!!!この崑崙十二仙がお相手するぜ!!!」
十二仙+αの到着であった。

 黄巾力士が聞仲を取り囲み、一番に太公望に声を掛けるものがいた。
「太公望師叔!」
「楊戩!」
太公望は多少の驚きと簡単を込めて楊戩を見た。この場で楊戩に合えるとは。しかしその喜びはすぐ、心配そうな瞳にうずもれてしまった。
「おぬし、いいのか?戦いっぱなしではないか!」
本気で心配だった。太公望はここを十二千のみで切り通そうと思っていた。楊戩の傷が・・・・、身体より、それ以上に心の傷がまだ治りきらないことを、太公望は知っていた。自分の心の傷は、今になっても癒えることがないというのに・・・。楊戩とはこれほど強い男であったのか・・・。しかしそれは独りで作り上げた強さではなかった。少なくとも、太公望がその心を強くしていた。自分だけでは何百年かかっても足りなかった何かを、太公望は一瞬にして包み込んでくれた。だから楊戩は強くなれたのかもしれない・・・。
「何をおっしゃる!僕がやらなくて誰が聞仲をやるのですか!?聞仲!キミには借りがあったね!それを今、返そう!」
周りにいた十二仙が一瞬ざわめいた。楊戩の姿は、もう人間ではなかった。
「よ・・・楊戩、それは何だ!?何に変化を!?」
どよめきの中からそんな声が聞こえた。
「変化ではありません!半妖態です!」
そのどよめきはすぐおさまることなく続いた。太公望はただ独り、静かに楊戩に微笑みかけた。
―――それでよいのだ、楊戩・・・―――
楊戩も、それに答えるように、少しためらいながら微笑みを返した。
「他の者も楊戩に続けっ!!!」
「行くぞ聞仲!!!」 

 楊戩の一撃の手ごたえはあったものの、土埃の中から禁鞭が現れ、楊戩に襲い掛かった。そこに太公望の風が届き、楊戩を守った。
「気を抜くな楊戩!相手は聞仲なのだぞ!!?」
「わかってますよ!」
むうとした楊戩はいつもの調子に戻ってそう言った。よかった・・・。楊戩が楊戩のままだった・・・。そしてそれに、十二仙の一斉攻撃が加わった。それで全てが終わったかのように見えた。しかし普賢だけは、静かにこう言った。
「望ちゃん・・・僕らも行かなきゃ。聞仲は死んじゃいないよ。絶対に!」
あまりに確信的な普賢の言葉に太公望は視線を強くした。
「なにっ!?」
炎の中から現れたのは、黒麒麟に包まれた聞仲だった。
「変形・・・そうだったのか・・・・・・」
その場にいる全員は、聞仲の強さがこんなところにもあることを初めて知った。そして聞仲の威圧感がさらに増したことに気付かない者はいなかった。しかし、それでも飛び出して行く黄竜と慈航をガードしようとした太公望の風はいとも簡単に破られ、二つの魂魄が封神台へと飛び去った。
「これが殷の太師・・・・・これが・・・・・・聞仲!!!」

「これで否応無しに理解出来ただろう太公望。人数が増えても私を倒すなど不可能だとな。」
「望ちゃん・・・」
「ご・・・御主人・・・・・・」
静寂が一帯を包んだ。
「これが聞仲の本当の強さ・・・想像を越えておる・・・これほどまでに力の差が・・・・・・」
何ということだ・・・。目の前で二人封神された。それなのに、まるで聞仲には何事もなかったような雰囲気がある。言葉を失いかけた太公望に、普賢が言葉を掛けた。
「望ちゃん・・・聞仲が強いなんて最初っからわかってた事さ!死者が出たからって揺るがないで!!」
「わかっておる!!普賢!星降る時がわしらの最後の好機だ!!それを逃せば仙人界は聞仲たった一人のために滅ぶであろう!!」
 ぐっと手に力を込め、太公望が苦しくそう言った。
「星降るとき・・・?なるほどね。」

 その時楊戩は道徳に、全員で総攻撃をかけようと言いに来ていた。しかし道徳は後ろを向いたまま、驚くべき言葉を口にした。
「楊戩!キミは下がっているんだ。キミは太公望を守れ!ここは崑崙十二仙が意地にかけても必ず聞仲を倒してみせる!!」
楊戩は、十二仙全員の微笑を見たような気がした。十二仙には分かっていた。太公望はここで死んではいけないことを。そして生きることを選ばされる太公望の心の支えが必ず必要になることも。
「・・・・十二仙・・・・」
普賢が十二仙に太公望からの指示を伝えた。しかし普賢にはもう一つの考えがあった。太公望の案では、太公望も死ぬ可能性がある。何としてもここは十二仙で倒さなければならない。生き残るのは、太公望でなければならない。
「・・・・・伝えたか?」
「・・・・・・うん。」
「おぬしはもう力が残っておるまい!休んでおれ!」
頭を手で押える普賢を見て、太公望はそう言ったが、普賢の返した言葉はこうであった。
「それは望ちゃんだって同じでしょ?それに・・・こう見えても僕だって崑崙十二仙なんだよ?」
太極符印をそっと見ながらそう言った普賢の心の中には何があったのだろう・・・。 

 聞仲が動こうとした瞬間、星たちが降ってきた。やはり十二仙と共に行くと言う楊戩に、道徳は何か宝貝を投げた。
「キミは生き残ってオレの弟子の天化にそれを渡してくれ!頼んだぞ!!」
そして、師について行くという木吨に、普賢はこう言った。
「いや・・・木吨、キミは望ちゃんを守ってて。」
それを聞くや否や、はっと気づいた太公望は叫んだ。
「普賢!!余計な事を言うでない!!護衛など不要だ!!!」
すると太公望の背後から楊戩が現れ、その細い肩をがっとつかんだ。
「太公望師叔!ここは十二仙に任せましょう!!」
「楊戩!!?」
驚いた太公望は、つかまれた肩にある楊戩の手を振りほどこうとした。何故。どうして自分は残らなくてはならないのか!?太公望は分かってはいるが、決して認めたくなかった。それに加え、そんな自分を止めたのが楊戩であった事に、余計必死になった。
「離せ楊戩!!!離せっ!!!」
そう叫ぶ太公望に、普賢は背を向けた。
「たのんだよ、楊戩。」
その声は、とても静かであった。

―――僕の提案はキミ達に対して残酷なのかもしれない・・・・。つまり、ここはあえて一点集中をせず、ばらばらに戦うんだ。そうすれば固まって戦うより彼の集中力を分散させられる。そう・・・・、君達には命を引き換えに聞仲を引き付けてもらいたいんだ―――

目の前が一瞬にして暗くなったように目をみはる太公望の横を、六つの魂魄が飛んだ。

―――そして・・・・最後に僕が・・・・・・!!!――― 

聞仲が気づいたときにはもう、すぐ背後に普賢がいた。
「普賢真人!!!」
「さよなら、望ちゃん!!」
太公望の叫びは爆音にかき消され、何もかもが真っ白になった。
――――普賢!!!――――

続く。