第二部
[十絶陣の戦い
上]
どうやら先ほどの衝突でできた穴から金鏊へ侵入出来そうであった。太公望は、蝉玉、玉鼎、四不象に声をかけた。
「わしらの目的は楊戩の救出ただ一つ!それ以外には目をくれるな!!」
四人はバリア制御室へ向かうことになったが、仙道をまったく見かけなかった。おそらく侵入は気づかれている。太公望は、容易には楊戩を返してはくれないことを感じ、眉をひそめた。
十絶陣の一つ、孫天君の『化血陣』で太公望たちは思わぬ時間を取られた。「主人」に負けの無い部屋の出口は天井のようであった。
「早くここから出て楊戩を探さねば!」
そういった太公望に蝉玉が楊戩はバリア装置の側にいるのかと確かめた。しかし太公望は、こうつぶやいただけであった。
「・・・・・・うむ・・・。だといいが・・・・・」
何かが起きている気がしたのだ。楊戩の身に何が・・・・?分からないだけ不安が増す。その不安を掻き消すように、太公望は急いだ。
秘密主義が徹底している金鏊であるから、出身者とは言っても、蝉玉に分かることはわずかであった。
「楊戩なら知っておるやもしれぬのだが・・・・・・」
前方を見据え、そう言った太公望の前に突然スクリーンが現れ、倒れた楊戩の姿が映った。王天君の仕業であった。そして、『一人で来い』の呼びかけに、自分が行くと、太公望は言い切った。太公望には分かっていた。これが、自分たちを一人ずつ確実に殺す作戦だということが・・・。しかし、たとえワナでも、楊戩を救う方法も機会もこれしかないことも分かっていた。自分がどうなってでも、楊戩を救いたかった。しかし、一刻も早く行こうとする太公望を、玉鼎は引き止めた。
「太公望・・・・私に行かせてくれ。」
「ならぬ!わしなら口八丁手八丁で切り抜けられるやも・・・・」
ところが、きっと玉鼎を見、強く言う太公望に玉鼎は不可解なことを言った。
「今、楊戩はおまえに来て欲しくないはずだ。私には分かる。」
「――――?どういう事だ?」
太公望には、それが何を意味しているのか分からなかった。だが、楊戩の真実を知る玉鼎には、楊戩の思うところが分かっていた。楊戩が、今一番会いたいのに会えない人が誰であるのか。その姿を一番見せたくない人が誰であるのか。玉鼎はあえて突き放した言い方をした。楊戩の想いを壊してはならない・・・・と。
「私は楊戩が赤子だった頃から一緒にいる。あの子についておまえの知らないことも知っている。」
太公望は、すっと玉鼎を見て黙り込んだ。
「その代わり、おまえも私が見ていない楊戩を知っているはずだ。人は他人を完全にわかってやる事など出来ない。心を読む力でもない限りな・・・・。『わかっている』と思い込んでも、他人の心の奥にはとんでもない秘密が隠れている事もあるんだ。」
太公望はそのまま玉鼎の話に耳を傾け続けた。確かに、自分の知っている楊戩は、楊戩のほんの一部にすぎないのだ。そして楊戩も、自分の一面だけを見ているのだろうか・・・・?そんな想いが太公望の心を沈ませた。だが、楊戩を一刻も早く助け出したい。そして早く会いたい・・・・。この気持ちに、ひとかけらの嘘もなかった。
「楊戩にも、おまえたちの知らぬ秘密がある。そしてそのことを、まだ誰にも知られたくないと思っている。だが今おまえが行けば、その楊戩の本性を見てしまうことになるだろう。おそらくおまえはこう思うはずだ。『突然なんだよ!なんで今まで言わなかった!!』と。それはあの子の心を深く傷つける。だからあの子の心がもう少し強くなって、自分から話せるようになるまで待っていてほしい。頼む、太公望。」
長い話の後、太公望は目を上げた。
「わかったよ玉鼎。おぬしになかせる!―――だがな、楊戩の本性がなんであれ、わしは見捨てぬ!それだけの時間を共有してきたからのう!!」
そう言った太公望の言葉には、どこか自信のようなものがあった。それを聞いて玉鼎真人は、楊戩が変わった理由が分かった気がした。他の誰かを愛しえ、愛せずにはいられない、それでいて自分の心に入ろうとするものを、手を広げて抱きしめることも出来ない者。これが以前の楊戩であった。しかし楊戩は変わった。そう、太公望に、あの日出会ってから・・・・・・。
「・・・・ありがとう、太公望!」
そして玉鼎はワープ宝貝に乗り込み、太公望たちは先に帰るように言った。
ワープ宝貝が止まると、そこには予想どおり、かろうじて“人”の形を留める楊戩が倒れていた。
「・・・・・・玉鼎真人師匠・・・・」
玉鼎は静かに楊戩に近づき、幼子にするように頭を軽くたたいた。
「楊戩・・・・。がんばったな!」
「・・・・・師匠・・・・・・」
楊戩の目に、今までの不安が全て含まれた涙が溢れた。こうなってしまった自分を、太公望や玉鼎が助けに来てくれた。際限のない嬉しさと引き換えに、楊戩の心は後悔で満たされた。自分は足手まといどころか、師匠や師叔をも命の危険にさらしてしまった。そして今もなお、自分のために、入らざるをえない罠に四人を入らせてしまった。王天君から、全てを聞かされていた・・・・。
「さてスープ―、蝉玉!金鏊島の中枢へ向かうぞ!」
わざと明るい声で、玉鼎の言葉とは反対の事を言う太公望に、四不象と蝉玉は、帰ろうといって怒った。しかし太公望は一歩も引かなかった。
「なんとしても玉鼎と楊戩を探し出したい!このまま二人をおいたまま帰れぬ!!」
二人の目を見据えるように激しく言う太公望の気迫に、二人は返事が出来なかった。そして三人はそのまま中枢へ向かった。
「師匠・・・・僕を助けるために・・・?」
「しっ!喋るな楊戩!!」
義父の腕に頭を支えられ、楊戩はまるで子供のように玉鼎を見上げた。
「おまえのおかげで崑崙は救われた。太公望たちも無事だ。安心しろ。おまえは私の自慢の弟子だよ。」
そこまで聞き、楊戩は寂しく無防備な、素直な笑顔を見せた。
「ありがとうございます師匠・・・・。その言葉だけで僕は救われます・・・・」
しかしそこに待っていたものは、王天君の宝貝、『紅水陣』であった。紅い、血の雨が降り始め、強い酸で、まず服が溶け始めた。玉鼎は楊戩の顔に血の雨が降りかかるのを見、何かを決心して楊戩を抱えて立ち上がり、歩き始めた。髪も溶け落ちてゆく・・・・・。
「しっ・・・師匠!!僕を置いてってください・・・・!一人なら助かります・・・・!!」
楊戩を守るように歩く玉鼎は、もうだいぶ血の雨をかぶっていた。楊戩は見るにいたたまれず、悲痛そうにそう言った。しかし玉鼎は、前を見据え、痛みに堪えながら歩き続けた。
『この子を放ってはおけない。ここに置いていったら一体誰がこの子の幸せを創ってくれるのか・・・・?この子が四百年間、ずっと抱いてきた苦しみを、誰が癒してくれるのか・・・・?やっとその答えをこの子自身が見つけかけたというのに・・・・。その答えが、きっともうすこしたったら、この戦いが終われば分かるかもしれないと言うのに・・・・。この子の心の中にいる人に、なんとしてもこの子を託さなければ。私にはもう助けてやることは出来ないだろう・・・・・・。太公望よ・・・・』
そして静かにこう言った。
「思い出すよ・・・・」
「え?」
「おまえが赤子の頃にも、雨の中をこうやって歩いたことがあった・・・・。ぬれないように・・・・風邪をひかぬように・・・・・。大きくなったな、楊戩。」
四不象がふと目を上げると、直線ばかりの金鏊の中に、何か直線的な空間があった。何か分からず、とりあえず駆け寄った蝉玉は悲劇を目の当たりにして、涙目になって叫んだ。
「たっ太公望、大変っ・・・!!ど・・・どうしよう・・・どうしよう・・・・・・。」
「――――?どうしたというのだ蝉玉っ!」
ただ事ではない蝉玉に様子に、太公望も降りて来た。
「あ・・・・あれっ・・・・」
蝉玉が指差す方に目を凝らし、太公望は、はっとして息を呑んだ。“ヒュン”と音がして直線の空間が斬られ、楊戩の身体が床に投げ出された。
「玉鼎!!」
血の雨に打たれ、もう玉鼎は、人ではないような姿にまでなっていた。倒れた楊戩にばっと駆け寄り、太公望は楊戩を抱きかかえ、玉鼎の言葉を聞いた。
「太公望・・・・楊戩を、たのむ・・・・・・・」
「玉鼎・・・・・」
魂魄が飛ぶその瞬間まで、玉鼎真人は太公望に楊戩を託し、一筋の光が封神台へと向かった。全てを一瞬で理解した太公望は、奥歯をかみしめ、うつむいて、楊戩を抱く手に力を込めた。とたん、前から笑い声がした。王天君だった。
「玉鼎真人はくたばって、更に楊戩の正体までバレてやんの!!こっけいすぎて両腹が痛てえ、クククク・・・・・」
太公望以外の二人は、そこでようやく楊戩の様子に気づいた。怒って宝貝を出した蝉玉を、太公望は感情を押し殺した声で止めた。
「よせ蝉玉、帰るぞ!」
「だって太公望・・・・・」
太公望も、できる事ならこの感情をぶつけたかった。取り返しのつかない事がまた一つ・・・。その場で泣き叫んでも足りない。しかし、太公望の腕の中には、こんなに弱々しい楊戩がいる。そのことが、太公望の気持ちを荒立てたが、逆に冷静さをも与えた。そして、もう一度、こう静かに言った。
「楊戩の手当てが先だ!」
ようやく戻ってきた腕の中の楊戩はあまりに消耗し、今にも消えそうに感じられた。そして、今まで感じたことのない、いや、60年前の怒りと悲しみに、似ているが違った感情が、太公望の心に強く押し寄せた。愛する者たちが目の前で消えてゆく。もう二度とそんな思いはしたくなかった。そして、誰にもそんな思いをさせたくなかった。この腕の中の者だけは、決して失うわけにはいかなかった。
「楊戩程の道士がなぜこんなに消耗しておるのだ?王天君・・・・。おぬし何かしたな?」
その理由は、楊戩の首に浮き上がる模様であった。太公望は、その大きな目で険しく王天君を睨んだ。
「・・・・・・この借りは必ず返すぞ王天君。」
そう静かに言ったが、これ以上、自分で自分が抑えられなくなりそうであった。
「感情的になりなさんな。こっちだって二人やられてんだぜ?おあいこだ。」
王天君はそう言って姿を消した。楊戩の目から涙が溢れ、頬をつたって床に落ちた。
「師匠・・・・・・」
それからは、あまりにも静かな時間が続いた。物音一つせず、何者も近づく気配さえなかった。
「行けるか?」
太公望はそう楊戩に声を掛け、四不象に楊戩を抱いたまま乗った。無言の時が過ぎる。四不象は、心配そうに時々主人の様子をうかがいながら、黙って前を向いて飛んだ。蝉玉は何も言わず、後ろからついてきた。太公望の小さな肩に頭を持たれかけていた楊戩の目からは、ただ涙だけが流れていた。いつの間にか、楊戩は眠っていた。
楊戩が目を覚ますと、そこはどうにか破壊を免れた自分の洞府であった。とりあえず太公望がここに運んだのであった。とにかく落ち着かせてやらねば・・・・と。寝台の横には、太公望が一人で腰掛け、黙って壁の一点を厳しい表情で見ている。楊戩の頬の涙の後は拭き取られていた。楊戩は、長い夢から覚めたような目で太公望を見つめていた。しばらくして、太公望はそれに気づいた。
「おお、目が覚めたか。」
そして楊戩のほうに向き直り、微笑を浮かべた。
「どうしてっ・・・・・・」
楊戩の眼差しが、急に訴えかけるように変わった。
「どうして微笑んでくれるのです・・・あなたは・・・・。こんな僕のために。僕のせいでこんなことになってしまったのに・・・・・・。あなたも、師匠も・・・・・・。」
「どうしてとは?玉鼎は全て分かっていて、自分の意志でおぬしのところへ向かったのだぞ。わしを残してな・・・・」
「いいえ、僕がもっとしっかりしてさえいれば。もっと注意すべきだった・・・。そしたら師匠は・・・・」
いつもとあまりにも違いすぎる弱々しい口調の楊戩に、太公望は少し声を大きくした。
「しっかりしろ楊戩!おぬしのおかげで五分の戦いができるようになったのだ。誰がおぬしを責めよう。戻ってきたことだけで嬉しいのだぞ!もう自分のせいなどとは思うな。」
「しかし・・・師叔・・・・、太公望師叔・・・・。僕は・・・・・・僕は本当はっ・・・・・・。」
楊戩は自分の手を見つめた。あの時のままの、醜い自分の本当の手を。
「分かっておった・・・・。」
「えっ?」
思いもかけないい言葉に、楊戩は自分の耳を疑った。
『どうして・・・・。自分がこのような者だという事を、太公望師叔が知る訳がない。それがどうして・・・・?』
驚いて目を見開く楊戩に、太公望は静かに答えた。
「玉鼎が言っておった。自分が行く、わしらは残れと。行くな、おぬしが傷つくから・・・・・と。だから・・・・。」
太公望は、あの時の玉鼎の言葉をたどるようにそう言った。
「師匠が・・・・。」
「いいのだ楊戩。もうゆっくり休め。おぬしが戻ってきたのだ。これ以上何を求めよう。玉鼎のこと、考えるなとは言わぬ。だがおぬしは休まねばならぬ。おぬしには、休養が必要なのだ。」
ことばを切った太公望は、優しく、少し悪戯っぽい目で楊戩を見つめた。
「そう言えば、おぬしは戦いの前に言っておったのう。わしがつらい様子を見るのに、おぬしは堪えられぬと。わしにも同じ思いをさせる気か・・・・?それに、あの時の礼もまだ言っていなかったのう。今度はわしに全てを任せてほしい。安心してもう休むがよい。」
太公望がそう言い終わると、楊戩はしばらく天井を見つめていたが、やがて目を閉じ、声にならない声でこう言った。
「・・・・・・ありがとうございます、太公望師叔・・・・・・。」
だが、楊戩の容体は悪化する一方となり、とうとう治療室に移されることになったのであった・・・。
崑崙山の中央部では、緊急に会議が開かれていた。
「一体どういうことだ太公望!あの玉鼎が封神されて、楊戩までもが重体とは!?」
太公望は、もはや司令官としての立場に戻り、淡々と話を進めた。
「ワナとわかっていながら、玉鼎はあえて弟子の救出に向かったのだ。結果は残念だが、楊戩救出という目的は果たした。」
そこまで言うと、蝉玉が横から太公望に小声で話しかけた。
「ね、ね、太公望。楊戩の正体の事は?」
そう言った蝉玉に、太公望は厳しい目を向けた。太公望には、楊戩がどうしたいのか、痛いほどよく分かっていた。
「口を閉ざせ蝉玉。あやつが自らの口で皆に言うまではな。」
そして、十絶陣の対策を立て、会議は解散となった。
「元始天尊さま、その後、楊戩の容体はどうでしょうか?」
金鏊に乗り込む直前、太公望は一人、治療室の楊戩のところにやって来た。楊戩は、王天君の宝貝生物によって、エネルギーを吸い取られているとの事だった。体力は大幅に消耗され、もう目を開くことすらままならなかった。しかし、太公望にはどうすることもできない。やるべきことが太公望にはある。ここは雲中子に任せなければならない。本当はずっとここにいたい。だがそんな事は許されるはずがない。太公望は戦うことを、もうずっと前から覚悟していた。戦い続け、平安な世界を探していた――――。
「さて元始天孫さま、わしら精鋭部隊は、これより敵の中枢に戦いを挑みます。おそらくどちらかが降参するまで戦いは続くでしょう。」
「すまぬな。おまえに重い責任を押しつけてばかりじゃ。」
「いいえ!これは自分の意志で行っておる事ですから。――――では。」
それだけ言うと、太公望は楊戩を見つめていた視線を上げ、治療室から去っていった。その後ろ姿に、迷いはなかった。
「・・・・・・また強くなりましたね師叔は・・・」
太公望の出て行った後を見ながら、白鶴と元始天尊は言った。
「でもあの性格だから、玉鼎真人の件もさぞ辛かったでしょうに。」
「うむ。あやつはひたすら仙人や道士のおらぬ人間界を造るため戦っておる。そのためには己の故郷である仙人界すら失う覚悟であろう。まったく・・・なんというわがままで一途なやつよ。辛いだろうが、その意志を全うするまでは、決して後ろを振り返ってはいかんぞ。」
続く。
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