第一部 [仙界大戦]

 

  あれから少しの時間が流れた・・・。

  太公望の完治後、周軍は順調に兵を進め、もはやメンチ城も眼前、という所まで迫っていた。しかし聞仲は姿を現すどころか気配さえもなかった。異様な事態に懸念を抱くのは、何も楊戩だけの事ではなかった。そんな中、太公望は通天教主との和解――停戦を呼びかける為一人出かけた。楊戩には、どんな理由があるにしろ、聞仲が出てくるのなら、今であろう事が分かっていた。そんな時に太公望を送り出すことに胸が痛んだ。しかし純粋に戦いを止めようとする、太公望の瞳に秘められた意志に口出しすることはできなかった。ところが太公望は一時もたたぬうちに帰ってきた。とうとう聞仲が・・・・・・これから始まる戦いへの胸騒ぎを覚え、楊戩は眉をひそめた。 

  本格的に金鏊と戦わざるをえなくなり、崑崙では急激に動きが慌しくなった。竜吉公主が崑崙山を動かすことになり、そのことで手一杯の太公望であったが、楊戩の修復する砲台修復部まで下りて来た。
―――どうだ、使えそうか楊戩?」
楊戩は、わざわざ出向いてくれた太公望を引き止めたかったが、急を要する事態と、攻守を司令官として見る厳しい太公望の前では、必要最低限の事しか話せなかった。
・・・・・・厳しいですね。何せこの砲台は何千年も使ってませんでしたから。完全修復には丸一日かかります。」
間に合わんかのう。」
周りに指示を与え、時間が足りぬとぼやく太公望の後ろ姿を楊戩は見つめた。それは、これから始まる戦いを思っての事だけではなかった・・・・・・。 

 相入れないやりとりの後、金鏊から第一陣の攻撃が来た。
楊戩!頼む!!」
太公望はこの場を、楊戩の変化のみで切り抜けようとしていた。
やれやれ・・・。エネルギーが足りないからって・・・僕一人をバリア代わりに使おうなんて師叔も人が悪い。」
軽くため息をついた楊戩は水のバリアを発生させた。そんなことを言いつつも、楊戩は太公望の助力に足る自分の力が嬉しかった。
なんと!!楊戩のやつ、部分的な変化まで完成させておったか!!!崑崙の最強戦士の座も近いのう!!」
感慨深げにそう言った太公望が息をつく間もなく、第二陣の攻撃が始まった。水のバリアをくぐり抜ける蒼巾力士は少しの間戦ったかと思うと急に向きを変えて退却しはじめた。それを見てはっとした太公望は叫んだ。
いかん、みんな!!退け!!!」
だがそれは遅すぎる退却命令であった。そういった次の瞬間、巨大な通天砲の光が崑崙山を貫いた。
なっ・・・崑崙山が・・・!!」
離れたところで戦っていた為、事の一部始終を目撃した楊戩は、全壊はかわしたものの上部が虚しく破壊された崑崙山を視界にとらえた。そこから多数の魂魄が封神台へ向かってゆく。それを見、楊戩は何かを決心して立ち上がった。
  太公望師叔・・・僕はこれから金鏊島へ乗り込みます。あなたなら、これから金鏊のバリアを破り、接近戦をすることを考えているのでしょう。僕は、僕にしかできない事をします。今度はいつあなたに会えるか分かりませんが・・・・・・。あなたの役に立つため、僕は行きます。信じていてください。そしてご無事で・・・・』 

 太公望な策略は失敗に終わり、今やその肩には全ての責任が重くのしかかっていた。
  皆の緊張が伝わる・・・・。これ以降は、もう寸分のミスも許されぬ!!決して負けられぬのだ!!!あの頑強な障壁さえ外せれば・・・・!!何か・・・・何か方法はないのか・・・!?』
必死の太公望の前に、木吨たちからの報告があった。このときに、楊戩が行方不明だというのだ。もしかしたらさっきの戦いで死んでしまったのでは、という言葉に太公望は何かに気づいた。
「いや・・・・あやつが死ぬはずはない!」
きっぱりと言い切った太公望は、やっと楊戩不在の意味するところを理解した。
「そうか・・・・楊戩!すまぬ!おぬしに命運を掛けさせてもらうぞ!!」
救われた思いがして、太公望は頭をかいた。そして、自分の中の楊戩という存在が、知らぬ間にこれほど大きくなっていたことに驚きすら覚えた。
『おぬしにはいつも助けられるな・・・・。おぬしに活路を開いてもらった。・・・おぬしを信じておる。頼む、無事に帰れよ!!』 

 太公望がふとモニターを見ると、花弧貂に食われる金鏊島が見えた。
「おそらくは楊戩の仕業であろう。」
驚く周りの者に、太公望は説明を加えた。
「あやつは単身金鏊島に侵入し、バリアを解除するつもりなのだ。」
「でもご主人、一人でなんて危ないっスよ!!!」
楊戩を心配して四不象がそう言ったが、太公望は静かにこう答えた。
「あやつならやるよ。」
太公望には分かっていた。楊戩の力もその信頼に足ることも。
「『天才』と言う言葉は好きではないが、あやつはそれ以外にいいようのない男だからのう。」
そう言って太公望は、微笑を浮かべてモニターの花弧貂を見つめた。しかしその直後にそれらは消え、楊戩が強い敵と遭遇したと思われた。それをはじめに口に出した普賢の指摘に、
「うむ・・・・」
と言って太公望は後ろを向いた。
「竜吉公主!太乙!楊戩がバリアを解除したら、金鏊島に全力で突っ込むぞ!崑崙の浮力も何もかもスッカラカンになるなでエネルギーを使ってかまわぬ!!」
一歩の迷いもなくそう言い切った太公望に、
「楊戩を信用しておるのじゃな、太公望。」
と公主が言った。しかし、太公望の気持ちは、信用というような薄いものではなかった。
「信頼だよ、公主。」 

 楊戩は蒼巾力士に変化し、侵入に成功していた。しかし、その楊戩の目の前に現れたのは十天君の一人、張天君の『紅砂陣』であった。空間そのものを宝貝として使う張天君に、楊戩は徐々に追い詰められていった。その左手には、大きな戦力となるとも分からない、太公望の打神鞭が握られていた。あと20分弱・・・・そう思ったとたん、攻撃が急に止んだ。降参を迫る張天君を、楊戩は一視した。
「いやだ!そうするくらいなら僕は死ぬ!」
降参などできようか。自分がここで退けば崑崙が、太公望がどうなるか・・・・考えるまでもなかった。ところが張天君は静かに語り始め、楊戩の目つきを変化させた。
「あなたは人間よりも我々に近い気がする。」
それは、楊戩に自分の過去を克明に思い出させるのに十分な言葉だった。
「美しいあなたの真の姿は―――我々と同様なのではないかね・・・・?来い楊戩!本来あなたがいるべき場所へ!!」
そして手を伸ばした張天君に、楊戩は立った一言こう答えた。
「遠慮しとくよ。」
その瞬間、急激に何もかもが風化し始めた。生命の危機を感じた楊戩の周りの空間が歪んだ。
「ねえ張天君。真実を、見せようか?」 

 数分後、バリアそう地質の前を歩く張天君の姿があった。変化した楊戩であった。そして楊戩を待っていたかのように、そこには十天君の一人でもある王天君がいた。人間の姿に戻った楊戩は黙って王天君の言葉を聞いていた。しかしその言葉はもう、楊戩には分かりきっている事であった。50年前金鏊に侵入し、自分の母と父、崑崙にいる訳、そして、自分が何であるのかを知った。いや、分かっていたことを確かめたのであった。
「それでもオレらと戦う気か?」
王天君のその問いに、
「そうだね。」
と、楊戩は短く答えた。そして視線を落とし、三尖刀を置き、そっと自分の右手を見た。それはもう、人間ではない、楊戩の本当の姿の一部であった。
「僕は崑崙の道士だから。たとえ、もともとが何であれ・・・・・。」

楊戩は、自分の正体を今まで他人に誰一人として言ってこなかった。もちろん太公望にも。誰にも気づかれぬようすごしてきた。こんな醜い自分を知られたくなかった。それによって自分が傷つくこと、大切な人と一緒にいられなくなることを知るのが怖かった。長い間、楊戩はそんな感情を忘れたかのように心の奥底に沈めていた。しかし、太公望との出会いは、その感情を呼び起こしてしまった。そのためか、どれだけ太公望に触れても心まで満たされることはなかった。いつも何かが届かなかった。一番届いてほしい人に硝子越しに、触れられぬ美しい花を見るように・・・。どれほど抱きしめても何かが欠けていた。太公望と自分との間の壁は、いくら透明になってもなくなることはなかった。

 王天君は続けた。
「いいか楊戩、こっちならキサマは快く受け入れられる。だが崑崙で貴様の正体が広まれば、 口では『仲間』だと言ってはいてもさげすまれるぜ。人間なんてそんなものだ。」
バリアの解除スイッチに手を伸ばした楊戩は、ぴくっと手を止めた。
「キサマは今まで十分すぎるほど、崑崙に尽くし戦ってきた。それはキサマが負い目を感じてるせいなんじゃねえの?」
楊戩は、一度開きかけた口をぐっと閉じ、かすかな―――自身ともいえるような―――笑みを浮かべて答えた。楊戩は、何かをはっきりと自覚していた。
「違うよ王天君。僕は誰かに好かれるために戦っているんじゃないよ。僕がみんなを好きだから戦っているんだ。」
そして、スイッチに再び手を伸ばした。 

 その頃、崑崙の中枢部では、太乙真人がジリジリしていた。もう出発しなければならない。そんな中で太公望は全速前進を命じた。だが、バリアはまだ確実に張られている。誰もが楊戩の失敗を思った。たった一人を除いては・・・。

「全速前進だ!!」
そう言い放った、太公望の楊戩を信じる澄んだ瞳に公主は言葉を飲み、崑崙を発進させた。激しい揺れと共に轟音が鳴り響き、金鏊のバリアと崑崙山がぶつかった。崑崙の表面が溶けてゆく・・・。しかし太公望は、
「止まってはならぬ!!前進だ!!!楊戩を信じるのだ!!」
と、叫んだ。ぐっと奥歯を噛み、太公望は前方を激しく見つめた。と、その瞬間、“パン”といってバリアが解け、島どうしが接触し、金鏊の上に崑崙が乗る形になった。これで五分の戦いができる。
「楊戩・・・・・・!」
誰に言うわけでもなく、太公望はつぶやいた。何かを決心して・・・。 

 金鏊島の道を、何かに寄りかかるように歩く何者かの姿があった。それは、人間の姿を中途半端にしか保てない程に消耗した楊戩であった。
『良かった・・・・。太公望師叔は僕を信用してくれたようだ・・・・。しかし、足手まといになってはいけない!どこかに身を潜めなければ・・・・・・。』 

「さあ、ボヤボヤしておれぬ!まずは敵地に一人の楊戩を救出せねば。!!」
そう言って四不象に乗った太公望に、元始天尊が問うた。
「どうするつもりじゃ?」
「今度はわしが金鏊島に入る!楊戩はもはや崑崙の最強道士。失うわけには行かぬ!」
「ええっ!?御主人は司令官っスよ!!いなくなったらみんな困るっス。」
驚く四不象に答えるように、太公望は元始天尊に向き直った。
「指揮権は一度元始天尊さまにお返しします。敵がこっちに侵入するやも知れぬが、その場合はこちらに地の利がある。聞仲ならそんな愚行は犯すまい。」
司令官としての太公望は、ここで言葉を切った。そしてまっすぐ何かを見つめるようにこう言った・・・。
「何より、楊戩を一人ぼっちにしておきたくはないのです。」
太公望は自らの目で、楊戩の無事を確かめたかった。今、楊戩は一体・・・・?そんな太公望を止める者は、誰一人としていなかった。
「・・・・分かった。行くがいい、太公望。」
元始天尊がそう言うと、後ろから玉鼎真人が現れた。
「私も行くよ太公望。楊戩は私の弟子・・・・息子のようなものだからな。」
「玉鼎・・・・。」
そして太公望は優しく微笑んだ。

続く。