隣の間の小十郎 (紅蒼番外編)

 

「ア・・・アッ!」
隣の間から、政宗の声が聞こえてくる。今までに終ぞ聞いた事のなかった艶っぽい声だ。
「ン・・・幸・・・むら・・・」
熱に浮かされたように、あの若き虎の名を幾度も呼ぶ。本当に、浮かされているのかもしれない。あの灼熱の存在に。あの炎はやっかいだ。最初はあんなに警戒していたのに、いつの間にか、アイツならばまあ良いのかも知れぬと思い始めている竜の右目がそこにはいた。
「アン!アァ・・・」
そう、たとえこんな主の声を聞くハメになっても・・・だ。

 

 隣の間では、政宗を想い続けて身も焦がれた甲斐の紅き若虎と幸村を欲して狂わんばかりであった政宗が、やっと通い合わせた身と心を、存分に堪能している最中だった。天井裏には相手方の忍が一人。さっきから嘆きの声が密かに聞こえてきている。だが小十郎は忍と似たり寄ったりの心持でありながらも、決して同様とは言えない感慨を抱いているのであった。
『他の奴がこんな事をしようものなら、死ぬより酷い目に合わせてやるというのに。』
小十郎は堅く目を瞑りながら、密かに思っていた。
『政宗様がお戯れにどこぞの小姓なりと遊女なりとを抱くのは一向に構わない。まあそれなりの分別は付けて貰わねばならんが、武将が後腐れなく色を好むにはさしたる不都合はない。しかし、まさか政宗様が抱かれる側だとは、この小十郎、夢にも思いませなんだ。』
そう心の中で呟いて、小十郎は少し眉を顰めた。日ごろ、城にいようが戦場にいようが、政宗の色香に惑う兵や領民や家臣が多いことは紛れようもない事実だ。それはこの小十郎も然り。生来の身から迸る生命力、隻眼によって鋭く磨きぬかれたその残りの眼、そして香の立ち上るようなしなやかなる身体。それは魂の美しさと相まって、得も言われぬ艶を紡ぎ出す。されど政宗を守ろうと、そのような輩は斬って捨てるか、手どころか視線すら届かぬほどにまで遠ざけるか、二度と不埒な考えに及ばぬような痛い警告をするかしてきた小十郎である。そして自分のこの身を必死に諌めてきた。
『それがどうだ、このザマは。』
そこまで思って、いやいやと小十郎は首を小さく振った。
『政宗様御自らお身体を開き遊ばされたのだ。それではこの小十郎、もう出る幕はない。』
そう考え直し、小十郎はうっすらと目を開いて襖を睨んだ。これくらいの事は許されよう。
『何より、そうなる事を政宗様が望んでいた。誰よりもアイツとこうなる事を。戦いたいのだろう、命をかけて。それでも同盟した二国、今はそれも叶わない。それならば、せめてお身体を慰めることで、その竜の体内に篭る熱を昇華できるのであれば。』
ただ、残る懸念は、幸村の熱に焼かれすぎて、竜の身そのものが焼け爛れてしまわないかという事のみであった。

 

「アァ!いいぜェ!幸村ァ!」
一際感極まったような声が響いた。自分の快悦を隠そうともしていない。むしろ幸村にこれでもかと聞かせるように。しかし、聴こえているのは幸村だけではなく、この小十郎と、幸村の懐刀も・・・なのだ。政宗の、心底快さそうな声を聞くのはもうそろそろ我慢の限界だった。この身の、ではない。堪忍袋の緒の限界だ。万が一、このまま政宗が身の裡に幸村を受け入れたままその熱を極めてしまったら、そこにある刀で斬り込んでしまいそうだった。
『いい加減にしろや・・・真田幸村・・・』
そう思って膝をたてかけた、そのちょうどいいタイミングで天井裏からひそやかな溜息が聞こえた。心底呆れ果てたか、がっくりきたか、それとも何らかの熱が篭っているのか。あの軽い性格の忍にしては複雑な響きをしていた。それを聞いた瞬間、もう小十郎はどうでも良くなってしまった。万事が政宗の御意のままなら、もう総てがどうでも良くなったのだ。
『俺も天井裏の真田の忍を笑えんのかもしれねえな。』
そう思って小十郎が微苦笑を零した瞬間、
「アァーーー!」
緒を引く快悦の嬌声と、ビシャッとその種をぶちまける微かな音が耳に届いたのであった。
『やっぱり真田のヤロウ・・・ぶっ殺す!』

 

 そして、伊達の屋敷は数刻後、不穏な朝を迎えるのであった。

 

おわり