夏 4
「政宗殿が出して下さるものは、いつも美味うございまするな。」
意趣返しの手始めは、こんな普通の誉め言葉からだった。
「こんだけ暑けりゃな。」
誉められた事に対しては決して応えないのが政宗なりの粋でもあるが、今回もそんな事を言いつつさらりと幸村の言葉をかわして、幸村が美味いと言う氷菓子の味を夏のおかげに摩り替えていた。
「暑いと仰せられまするが、某、政宗殿はいつも涼しそうなお顔に見えまする。」
政宗の言葉にさほど反応を示さずそんな事を言う幸村の顔が、今まであれほどあわあわとしていたのに、急に引き締まって見えた。まだ政宗の手は幸村の手首を握ったままだ。それなのに、先ほどまで見えていた狼狽の色が完全に鳴りを潜めた。そうなるとなかなか一筋縄ではいかない事を、身をもって知っている政宗は、本能的に警戒の色を強めて幸村の手首から自分の指を引いた。
「Ah〜? そうか?」
自分の煽りがちょっとマズい方向に傾いているのではないかと素早く察知した政宗は、そう軽く言いつつ距離を取ろうとした。
「はい、ほんに。」
腰を浮かしかけた政宗の腕を、今度は幸村が捕らえてぐっと引き寄せた。
「あちィっつってんだろ! 触んな!」
自分から触る事はあれだけやりたがるくせに、どこまで行っても主導権を握られるのが嫌いな政宗は、ちょっと言い過ぎかと思うほど冷たくそう言い放った。これだけ言えば叱られた子供のようにしゅんとなるか、もっと傷ついた顔をするのかと思っていたら、意外とケロッとした顔で幸村が謝ってきた。
「おお、これはすまみませぬ。政宗殿の肌は夏になってもまっこと美しく肌理細やかで、汗などかいている様子もござりませぬ故、いかほどにひんやりとするか、つい試したくなってしまった次第。」
触るなと言われたのにその手を離さず、そんなどこの風来坊かと思われるような、歯の浮く台詞を白々しく言う幸村の瞳は、いつもの破廉恥破廉恥騒いでいる初なそれとは違い、どこか戦場での焔を思わせた。幸村にとって、これはもう勝負になっていた。色事ならば政宗に敵う訳がないのだが、勝負とあらばいくらでも受けて立つ事が出来る。その辺りの切り替えの鮮やかさが、幸村の性格の妙であった。
「Ha! テメエはいつでも熱そうだぜ。」
そう言いつつ政宗は、
『今回のGameはDrawだぜ・・・』
と心の中で溜息をついた。そしてこれ以上遊ぶのは諦め、腕を掴まれたままだが、どっかりと幸村の真横に座り直した。
そんな政宗の様子を勝負の幕引きと悟ったのか、幸村の顔のどこかから緊張が抜け、素に近い表情に戻った。そうしていると、年相応に幼く見える。本当に今までここにいた幸村と同じ人物だろうか。口調までほんのり変わってしまうのだから、本当に面白い男だと政宗は思った。
「お恥ずかしながら、某、夏には皆に近づくなと良く言われまする。」
「ハハッ! そうだろうな。」
自分で言った言葉にちょっとだけしょんぼりした幸村を見て、政宗は珍しく心底楽しそうに笑った。だが、次の言葉で今度は政宗の機嫌の風向きが少し悪くなった。
「しかし冬にはこれでも重宝される身。皆、某の体温が高く、温いと申されては暖をとって行きなさる。」
幸村がそう言った瞬間、政宗の怒りは意外に低い沸点に到達しそうになった。
「テメエ・・・俺以外のヤツにも暖を取らせるために触らせてるってぇのか? Dear?」
地を這うような低音に加え、腕を振り解かれ、着物の襟を掴まれて今度こそ幸村は慌てふためいた。
「そ・・・! それは! 政宗殿と出会う前までのこと! 今は誰一人としてこの身に触れさせはいたしませぬ! 忠誠はお館様に、そしてこの身と心は政宗殿に全て捧げておりまする故!」
思わず掴まれた自分の襟にある政宗の手を両手で包み込むように掴み返し、大声で政宗の耳元でそう叫んだ。
「分かった、分かった!」
キーンとする耳に頭を軽く振り、政宗は幸村に負けないくらいの声で叫んだ。
「分かったからそんなに暑っ苦しく叫ぶな。夏は嫌いだ!」
「左様ですか・・・」
まるで自分が嫌いだと言われたかのようにトーンダウンした幸村の声に、ふぅと一つ溜息をついて、政宗はこんな事がしたかった訳じゃねぇと、下らない意地と見栄を引っ込める事にした。
「斯様に言われましても、それでもやはり某、夏は好きにござる。」
そんな事を知ってか、それともその溜息の色音を聞き取ったのか、幸村は綺麗な茶がかった瞳を笑みの形にして、政宗を間近で見つめてそう言った。
「そうか。俺は、冬の方がマシ・・・No、どっちもどっちだぜ。」
幸村に見つめられたまま政宗は、この暑さでは正確な想像こそ出来ないが、それでも雪と氷に閉ざされる奥州の厳しい冬を思って苦笑した。あの季節よりは、こうしている夏の方がずっと良い。政宗はそう思って幸村を見つめ返した。
「それにしてもアンタの手、やっぱり熱ィな・・・触れた所から、溶けちまいそうだ。」
幸村の手に包まれた自分の指を開いて、政宗は指と指が重なるようにその手を握りなおした。そうしてからニヤリと笑ってやると、幸村が存外落ち着いた声でこう告げた。
「この熱き想いが空気と熱波と相まって、実に気持ち良うござる。」
「そうだな・・・」
そう言った政宗の表情は、心底安らいでいるようにも見えた。
「アンタがそう言うんなら・・・夏も好きになれそうだ。」
今年の夏も、まだまだ暑さは続きそうだった。
数刻後、日が暮れてもまだクソ暑い屋敷の中にも関わらず、べったりくっついて定期報告の続きをしている二人を発見し、帰城した小十郎があんぐり口を開けたのは、また別のお話。
おわり |