夏 3

 

広い空間に政宗と二人きりで取り残された幸村が、どこか緊張した面持ちで背筋を伸ばすと、逆に政宗は足を崩そうとしていた。右足を折り曲げて立て、左肘は脇息に乗せた。それがだらしなく見えるかと言うと、そうではない。慣れた動作は流れるようで、曲線を描く着物の波が滑るように新しい軌跡を残し、この国独特の均衡の取れた非対称の美でもって、政宗のいる空間はまるで一枚の画のようでもあった。そんな事、もちろん分かっていると言わんばかりの政宗は視線をひたと幸村から外さず、徐に帯に手挟んだ扇子を広げると、蛍でも誘うかのように自分の首筋から顔にかけてゆっくりと扇いだ。

「ま、政宗殿・・・」

所作一つ一つが全てごく自然であるにも関わらず余りにも妖艶だ。一瞬、出されてからずっと気になって仕方がなかった甘いあまい夏の味、今も視界の端に我此処に有りと主張している大盛りの氷菓子が、幸村の意識から消えた。こくりと幸村が無意識に咽喉を鳴らしてしまうと、政宗が声を出さずにクッと笑って口を開いた。

「早くしねぇと、融けちまうぜ。」

何が早くだ、何が融けるんだと、思わず問いたくなるようなその台詞に、思わず破廉恥な想像をしそうになった幸村に罪はない。しかし、政宗がパンッという音を立てて扇子を閉じた音ではっと我に返り、思わず二人きりであるのに畏まってしまった幸村であった。しかし政宗によって作り出された無駄な色気を追いやる為に猛省し、掠れて上擦りそうになる声を宥め賺して、やっと出した言葉は、

「・・・しかし、御前では・・・」

の一言だけであった。

「構わねぇよ。アンタ、その格好じゃぁ暑いだろ。それ食ったら後で湯も沸かしてやるから入っていきな。」

幸村がこれだけ緊張の連続を強いられているのに、政宗から出た言葉がこれである。何だかんだと政宗が思いのほか世話好きなのは知っていたが、このタイミングでこれはちょっと何かを試されているとしか思えない。もうこれ以上煽られるのが耐えられない幸村は、開き直って意識を甘味に注ぐ事にした・・・とまあ、これが幸村の大方の思考回路であろうと、政宗は当たりをつけていた。そして、それはほぼ完璧だった。さすがの鬼謀で鳴らした真田の血も、伊達政宗の色気にかかると何か違う方向で滾って計算が出来なくなるようで、容易に政宗に頭の中を読まれる結果となっているのであった。元々、良くも悪くも考えている事をそのまま素直に表現する事が多い幸村だ。そんな幸村の表情の変化を観察するのも、政宗にとってこの訪問の楽しみの一つであった。

Come now、食えよ。」
「では、有難く頂戴仕る。」

どうやら幸村の破廉恥方向の忍耐は功を奏したようだ。一度きちんと視界にその氷菓子を入れると、これでもかと言わんばかりの甘く光る涼しげな氷の山に、一気に幸村の瞳がきらきらとし始めた。最初は遠慮がちに南蛮渡来の銀で出来た匙を動かしていたが、あまりにほらほらさあさあと政宗が勧めるので、いつの間にか夢中になってそれに掛かりきりになってしまった。そうなると面白くないのは政宗である。自分であっちこっちと幸村を振り回して楽しんでおきつつ、喜ばせようと仕掛けたものに興味全部を取られてしまってはやっぱり悔しい。それならもう少し遊んでやろうじゃねぇかと、政宗は敢えて弱みとも言えそうな言葉を吐いた。

「それにしても暑ィな。」

そう言いながら立ち上がると、匙を銜えたまま目を瞬いて自分を見ている幸村のすぐ側に寄ってきた。

「ま、まひゃむね殿・・・?」

行儀悪くも、つい口に匙を突っ込んだまま呂律が回らない舌で名を呼んだ幸村が目を白黒させていると政宗は、

「俺にも一口寄越せ。」

と言って、幸村のすぐ脇に腰を下ろし、さらに顔を近寄らせて来た。密やかに焚き染められた香と、分かるか分からないか程度の微かな政宗の香りは切なくなる程幸村の鼻腔をそっと刺激し、幸村はもう、どうしたら良いのか分からなくなった。思わず中途半端に口を開けておろおろしていると、匙を持った幸村の手首が、政宗にぐいっと引っ張られた。

「!」
「・・・・・・」

そのまま幸村の手にある匙で氷を掬わせ、政宗は黙ったまま、一口その甘味を味わった。家臣を下がらせたのでやりたい放題である。小十郎もいない事であるし。それにしてもちょっとやり過ぎである。流石の幸村も、これは某を弄んで遊んでおられるに違いないと唐突に理解した。余りと言えば余りの仕打ちに幸村は、

Shit! やっぱ甘過ぎだろ・・・」

とか何とかぶつぶつ呟いている政宗に、意趣返しをしようと思った。

 

続く