夏 2
幸村の奥州訪問目的は、同盟を組んでいる武田から伊達への定期報告のようなものだ。相手国の様子を探るという意味もなくはない。だからもちろん今回の逆、伊達から武田へと使者を遣わす事もある。だがそれには、幸村の立場のような比較的名のある武将が直接出向く事は少ない。それ以上に成実のような政宗の血縁者や、小十郎などの武田で言えば高坂弾正のような重臣が赴く事はよっぽどの事がない限りはありえない事でもあった。それ故、幸村の使者としての立場は非常に微妙なところにある。幸村はまだ若年であるし、武田の血縁でもなければ重臣と呼ぶ程でもない。しかし真田氏と言えば、武田に三代仕える譜代と言っても良い程の家柄であり、しかも真田は武田から旧領を安堵されている。更に幸村は上田に城を任せられている身でもある。次男とは言え、そのような家柄の者が、たった一通の書状を運ぶ為に、毎度毎度奥州を訪れると言うのは如何なものだろうか。しかも幸村は文字通り一騎当千のつわものだ。幸村がいないだけでも相当の戦力が削がれるため、その代わりの兵備を調えなくてはならない。もちろん武田の家臣達の間でも、一時期はその議論が紛糾した。だが、そこは現武田の頭領信玄の大らかさと、幸村の情熱と意外と強かな用意周到の言い訳、そして幸村様第一主義の上田の者達によって、力技で重臣達の意見を退けた。と言う訳で、こうして幸村が使者として奥州へ赴くのは既に数回目。もはやどちらも慣れたもので、先ほど政宗が指示したようなもてなしも、驚くには値しない出来事になっていたのだった。
「Hey、真田幸村。久し振りだな。」
機嫌良く政宗が謁見の間に入ると、そこには満面の笑みの幸村と、やけに豪勢な氷菓子があった。細かく砕いて山盛りにした氷の上に、餡子どころか蜜豆や、さらには瓜やらの夏の果物まで乗っかっている。しかもその上にはきな粉と黒蜜がたっぷりとかけてあった。
『Good! よくやった!』
内心で小姓の機転にニヤリとしながら、政宗が上座に座ると、幸村がかたちを正して一礼した。
「お久しゅうございまする、政宗殿。」
その声は相変わらず澄んでいるが暑苦しい響きを持っており、幸村本来の魂の熱さを凝縮したような音であった。最初の頃の訪問では、
『奥州の王たる伊達政宗殿にはご機嫌麗しゅう。またご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございまする。』
などと言うかたっくるしい挨拶も、もちろんしてはいた。幸村とて戦国の武士である。一国の主の前での挨拶くらいは教えられて育った。しかしいつもいつも政宗が
『Hey、そんな世辞は要らねぇ。とっとと用件を言いな。』
だとか、
『それより、武田のオッサンの書状を早く見せろ。』
だとか、
『後だ後! 俺を愉しませな。』
だとか言って述べ口上を遮り、結局幸村は最後まで言わせて貰えた事がなかった。そのために、今ではすっかり簡略化した挨拶になったのだった。
簡潔な挨拶に、よくぞ覚えていたと言わんばかりに政宗が微笑を浮かべると、幸村が目の前にある氷菓子を両手で横に避け、懐から書状を取り出した。こう言う所では至極真面目な幸村だ。例え目の前にある氷菓子が自分の好みを完璧に把握したものであっても、先に公儀を優先させる。それ故、武田の重臣達も最後には幸村にその役目を任せると言ったのであった。
「お館様からお預かりした書状にござる。此度は秋の長雨と大風の前に、甲斐で昨年試しましたる堤防の施工につきまして、是非奥州でもお取り入れなされては如何かとの事にございまする。それから・・・」
何だか長くなりそうな話を一生懸命している幸村の額に、じんわりと汗が滲んでいるのが見えた。いつもなら、多少舌足らずな所もある幸村が、どうにかしてお館様こと信玄公の言葉を正確に伝えようと四苦八苦する姿を楽しむ政宗であったが、どうにもこの部屋は暑過ぎる。いつものように全部ゆっくり幸村の話を聞いていたら、朦朧としてきそうだった。何しろこの謁見用の座敷は城の深く内部にあり、しかも涼しげに水を湛えた池のある庭から多少奥まった場所にある。それ故、中に熱が篭り易く、着こんだ着物を全て脱ぎ捨てたい衝動に駆られるほどだ。政宗はまだ夏用の着物を着ているから良いものの、幸村は完全な正装である。しかも先ほどまで馬を駆らせて炎天下の中走ってきたばかりであった。暑いに決まっている。幸村の汗が玉となり、つうっと一筋上気した頬を伝って、形の良い顎から床に一滴したたり落ちた。それが無性に幸村曰く破廉恥に見えてしまうのは政宗の頭が暑さでやられてしまっているからだろうか。そんな事を考えた自分に
「Ha!」
と嘲笑を零し、政宗はつい口を挟んでしまった。
「んなまどろっこしい事ァ、後でいいんだよ。」
言ってしまってから、政宗はしまったと思った。これではいつ小十郎の小言が飛んでくるか分からない。しかし、そうだ今日は小十郎はいねぇんだったと思い出し、政宗はそれにホッとした自分に心の中で盛大に舌打ちをしてから言葉を続けた。
「どうせオッサンからのその書状に大体書いてあるんだろうが。」
「仰せの通りではござりまするが・・・」
「だったらいい。夕刻、涼しくなってから聞くぜ。」
「では。」
政宗の言葉に、多少ほっとしたような表情を見せた幸村が書状を差し出すと、控えていた家臣がそれを受け取り政宗に渡した。
「Hum・・・」
書状を開き、ざらっと一通り目を通すと、政宗は家臣達に向かって手を一振りした。
「OK、大体分かった。急ぎでもねぇな。テメエら、もう下がっていいぜ。」
「は。」
何かを心得ている伊達の衆が一斉に下がると、そこには幸村と政宗だけになった。
続く |