土産の心得2 〜虎の巻〜
せっかく逸品を贈り、きっと政宗殿も気に入って下さるだろうと胸を高鳴らせて文を待っていた幸村だったが、待てど暮らせど一向に返事が来る気配がない。幸村の事でなくとも筆まめな政宗の事だ。いつもならば、諸国大名がこぞって観賞用として欲しがる程の流麗な文字が所狭しと紙に美しく踊る文が、本当に奥州から送っているのかと疑えるほどに早く届くのだが、今回は何一つとして音沙汰がないのだ。堪らなくなって
「本当に届けたのか。」
と配下に聞いても届けたと言うし、ほとほと困っていた所で折り良く伊達からの使いの者が来た。それは、後に結ぶことになる伊達と武田の同盟についての文を信玄に届けるために遣わされた者だった。信玄への用事は滞りなく済み、帰り支度をしている使者の両肩に掴みかかって幸村が詰め寄った。
「そなた、政宗ど・・・いや、伊達殿から某、真田幸村に宛てた文などお持ちでないか?」
「い・・・いいえ!」
甲斐の若き虎に迸る殺気に近い気を交えてそのように詰め寄られて恐怖心を抱かない者は早々居ない。使者も例に漏れずあまりの驚きと恐怖に固まってしまった。すると、天井裏から突然声が聞こえた。
「こらこら旦那。その人困っちゃってるでしょうが。離してあげなよ。」
「はっ!すまぬ。大変失礼いたした。」
ぱっと、痛いほどに掴んでいた手を離し、眉を下げて謝る幸村にも、気配なく、いきなりかけられた声にも使者は驚き目を白黒させた。荒くれ者の多い奥州だったが、さすがに正式な使者とあろう者は、軍の者とは違って文の方に秀でているらしく、大人しい容貌と気配を纏っていた。それ故に恐怖が身体を縛っていたが、天井裏からの声は、時々幸村の護衛で奥州までもくっついてくる忍だと認識し、さらに幸村の気が鎮まったのを感じ、使者は少し落ち着いてこほんと咳払いをした。
「筆頭からは、何もお預かり物はありません。」
「・・・そうでありまするか。では、某がお贈りした物は届いておるか知っておられるか?」
「は、存じております。早駆けにて届けられましたお包みは、ちょうど私が受け取り、片倉様が筆頭へとお届けしたと記憶しております。」
「ぬぅ・・・」
小十郎にまで渡っていれば、それは確実に政宗の元に届けられた事に相違ない。贈物はちゃんと政宗に届いているのだ。それならば、何故返事が来ないのか。そんな事までは、使者が知るはずもない。だが、使者がぽろっと零した一言が幸村の心に火を付けた。
「しかし真田様、一体何をお贈りになられたのです?あれ以来、筆頭のご機嫌は大変優れないご様子・・・」
そこまで聞くと、幸村は最後の言葉まで待ちきれず、居ても立ってもいられなくなり、こう叫んだ。
「出立の用意を!」
何だ何だとざわめく配下達を佐助がなんとか鎮めさせているうちに幸村は、最近聞く国境に出ると言う野党の護衛として使者と同行し奥州へ行くと宣言した。もうこうなっては誰にも幸村を止められない。主が望むのならば仕方ないと半ば諦め、昨今増加した急な出立に既に慣れっこになっていた真田家の者達は、きっと引き摺られるようにして連れて行かれるであろう伊達の使者を少し憐憫の眼差しで見つめてから、ある者は馬を取りに、ある者は道中賃を用意しにと、散らばって行った。
真田家の者達が予想したまさにその通り、使者は甲斐に赴いた時の約半分の時間で奥州は伊達の居城に戻ってきた。幸村の、護衛と言うよりは激しすぎる先導の下に。驚いたのは伊達の領内の者達だ。何か紅く燃える塊が街道を突っ走ってきたかと思ったら、そのまま城へ飛び込んで行ったのだ。何事かと野次馬根性で城の付近に集まってしまった面々は、その正体が甲斐の若き虎と認識した瞬間に興味を失い散って行った。そして後には幸村と、信玄からの返事の書簡を堅く胸に抱えたまま目を回している、幸村に引っ張ってこられた使者だけが残ったのであった。つまり早い話がそんな事はもはや日常茶飯事で、幸村の暑苦しい行動は奥州の城下内にくまなく知れ渡っているのであった。
そんな城下の騒ぎはさておき、幸村が坂の上にある城の大手門に辿り着いて馬を下りると、大きく開けた門のど真ん中に小十郎が腕を組んで待ち構えていた。
「おお、片倉殿。お久しゅうござる。」
目を回した使者を、手前の無茶苦茶な行動など棚に上げ、『いかがなされた!』などと心配して確実に失敗しそうな介抱のようなものをしようとしていた幸村は、ぱっと目を輝かせて小十郎を見上げた。
「オイ、誰かそいつと馬を休ませてやれ。」
「了解しやした片倉様!」
まずは幸村を一旦置いておき、まだ意識の朦朧としている使者と、鼻息荒くぐるぐる回っている馬をそこらにいる配下に託してから、小十郎は幸村に視線を合わせた。
「一月前に会ったばっかりだ。久しくないだろうが・・・っと、んなこたどうでもいいんだよ。オイ、真田。政宗様はテメエの土産以来、酷くご立腹中だ。くれぐれもこれ以上、ご機嫌損ねるんじゃねぇぞ!」
それを聞き、幸村はしゅんとして肩を落とした。
「なんと!やはり政宗殿はご立腹であったか・・・しかし何故なのか・・・皆目検討もつかぬ故、こうして罷り越し申した次第。片倉殿、何か聞いてはおりませぬか。」
あまりに幸村が頻繁に押し掛けてくる上に、あまりに政宗が幸村の事を気にしすぎるため、最近はこんな遣り取りも平気でするようになってしまった。それを思い返してちょっと頭の痛くなった小十郎だが、今回は付いて来ていないのかまだ追いついていないのか、母親代わりのようなあの軽い性格の忍もいない。つまり誰も小十郎の援護をしてくれる者がいなかった。しかしここでごねていても仕方ない。小十郎は、政宗の機嫌が悪くて政務に差し支えている事でかなり追い詰められていたので、素直に現状を伝えた。
「それが良くわからねぇ。最初はテメエの土産を、こりゃいいもんだと政宗様も喜んでおられたんだが・・・」
「それで!それでいかがなされたのか!」
「いいから落ち着け。」
「はっ、申し訳ない。」
話の途中で燃える勢いで掴みかかってきそうな幸村を片手で制し、小十郎は話を続けた。
「俺もな、テメエにしちゃぁなかなかのもんだと思った。だが、政宗様はテメエの文を読んでてな、途中でいきなり何かが切れなさったんだ。」
「土産そのものはお気に召したのであったのか・・・では、某の手紙のせい、と言う事になろうな・・・」
ううむと唸って、幸村が珍しく困り果てて考え込んだ表情になった。こんな表情はいかにも年相応で子供っぽい。小十郎にとって幸村は、いつも愛しい政宗様を良い様に引っ掻き回す小憎らしい野郎だが、十二歳も年下であるこの若虎が、今ばかりは少しだけ不憫に思えたのだった。
「まあ、そうだろうな。こればっかりは、政宗様が読み終わったら破いちまったもんで俺にはどうにも想像するしかないんだが、真田、テメエ何か余計な事を書いたんじゃねえんだろうな。」
「そんな事はないはずでござる・・・他愛のない徒然を土産と共にお届けしたまで。一体何がそんなに政宗殿のお心に触れたのであろうか・・・」
すがるような上目遣いでこちらを見られても困る。俺は政宗様じゃねえんだ。そんな思いを噛み殺して、小十郎は言葉を与えた。
「そこんとこは、こんな所で言い合っててもしょうがねえ。政宗様に直接聞くんだな。」
「なんと!すぐにお目通り叶うのでござるか?」
仮にも奥州筆頭に逢うには手続きが要る。それも今は比較的友好的な関係にあるとは言っても敵国の武将。そんな理由でいつもは何だかんだと結構待たされる幸村だったが、今回ばかりは勝手が違うらしい。そう瞬時に悟った幸村は目を輝かせた。
「ああ、国境で姿が見えたと知らせを受けた時から、政宗様はテメエをお待ちだ。すぐに来い。」
「はっ!有難く!」
地べたに額を擦り付けそうな程に深く頭を下げた幸村は、小十郎にはやはりどこか幼く見えたのだった。
『チッ!こんな餓鬼に政宗様がヤられちまってるなんて・・・それを許してる俺もどうにかしてるぜ・・・やはり早まったか・・・?』
そんな事を小十郎が悶々と考えているとは露知らず、逸った幸村は旅装束を急ぎ解こうとして足元が疎かになり、べしゃっとその場に転んだのであった。
つづく |