紅蒼10 〜後始末はオカンの仕事〜
「・・・の・・・どの・・・さむねどの・・・政宗殿!」
白濁する意識の向こう側から、暑苦しい声が聞こえる。暑苦しいが、耳に心地よいその声は、どうやら自分の事を呼んでいるようだと、政宗はゆっくりと覚醒しながらそれを聞いていた。
「政宗殿ぉぉー!」
名を呼ばれるのは気持ち良い。それが愛しい者の音ならば尚更に。しかし、その声は次第に何やら湿っぽく必死さを増してゆき、政宗はたゆたっていた意識をしぶしぶ引きずり出して応えた。
「・・・・・・うるっせーな・・・なんだ幸村。」
隻眼を開き、うつ伏せになっていた身体を肘だけついて顔を上げると、そこには涙目になっている幸村がいた。しかも幸村はきちんと夜着を着込み、正座をしていた。
「ほー・・・良うござった・・・」
心底ほっとした様子で胸を撫で下ろす幸村を、何が良かったのか理解ができない政宗が顎をしゃくって見た。
「んだよ?」
気だるげで、眠りを妨げられて頗る迷惑そうに声を出す政宗の様子に、幸村はガバッと頭を下げた。
「某、政宗殿が最後に気をやってから、目も開けぬ、顔色は悪くなる一方、心配で心配でなりませなんだ!どうしたものかと思えども、ひたすらに心配し申し上げる事しかできず!政宗殿には大変ご無理をさせ申した!この通りにござる!」
額を畳に擦り付けるようにひたすら謝ってくる幸村に、そんな事どうでもいいと言いたげに手を一振りした。
「めんどくせーから、何もかも後でいい。俺ァ眠いんだ・・・寝かせろ・・・」
そうしてすうすうと寝息をたて、今度こそぐっすりと眠りに落ちてしまった。
一人取り残されたのは、一応政宗が平気そうだと分かり、意識を取り戻した事で少しだけ安心したが、かと言ってこれからどうしたら良いのか分からないままの幸村だった。行為は無我夢中だったが、終わってみれば幸村に事後の処理をどうしたら良いのかといった知識があるはずもなかった。眠ってしまった政宗を前に右往左往し、何とか身体を楽にしてやりたくて優しくしようとするのは確かだが、とにかく何をしたら良いのか分からない。とりあえず眠っているその身体を手ぬぐいで拭いて、そこらに脱ぎ散らかされていた夜着を元通りにして着せ、布団を正した。そんな事を手際悪く幸村がやっても、もう政宗は深い眠りから出てこようとはしなかった。
さて、後始末がひと段落したと勝手に思った幸村は、再び政宗の隣に身を横たえ、今度こそ自分も眠りに就こうと思った。朝まではまだ時間があった。すると天井から、聞き慣れた声が遠慮がちに降ってきた。
「ダメじゃないの旦那、そのままにしといちゃ。」
「おお、佐助。」
こうなるまではあれほど求めていた佐助の存在だったが、もう心も身体も満たされた今となっては、文句を言いたかった事すら忘れていた。そんな幸村が、満足そうに寝転がったまま天井に向かって話しかけた。
「そのままとは?これ以上どうしたら政宗殿が不快でなくなるか分からぬ。」
本気で疑問符を平気でつけてきた上に、真剣な目で問う主に、佐助は天井裏で本日何回目になるか分からない嘆きを洩らして肩をガックリと落とした。
「コレ、俺が教えることなの?助けてよ、お館様ー。アンタの若虎、もう忍使いがメチャクチャです・・・」
そうは言ったものの、幸村のキラキラした瞳にはどうしても逆らえない忍と言うよりは佐助自身の性によって、結局佐助はその道について延々と知識伝授をさせられたのであった。ふんふんと、納得したように聞いていた幸村が、
「よし、それではそのように掻き出したり拭ったり軟膏でも塗って差し上げよう。」
と宣言してガバッと起きると、目の前でそんな事やられた日には、もう本気で転職を考えてしまいそうな佐助はそれを何とか阻止しようと必死な声を出した。
「でも!でもさ旦那、竜の旦那は後で良いって言ったんでしょ?眠りたいんじゃないの?それにすぐにやらなきゃならないって事でも・・・まあないし、とりあえずそっとしといてあげなよ。」
「そう・・・なのか?」
「そうそう、そうなんですよ!だから、ね?旦那ももう休みなよ。疲れたでしょ?」
「うむ・・・それではそうするか。おぬしも休めよ、佐助。」
「はいはい・・・っと。」
やっと長かった苦痛とも言うべき時間から開放された佐助がほっと一息つき、そうして長い夜は更けてゆくのであった。
さて翌朝。幸村が目を覚ますと、夜着一枚で畳の上に直接転がっているのに気づいた。そしてそこに政宗はもういなかった。明け方に目を覚ました政宗が、そこを抜け出していたからだ。
政宗が幸村の側を抜け出すのは一苦労だった。何しろ、政宗が起き上がろうと思ったら、何故か動けない。何でだ、あれしきの事で身体の自由も利かなくなったのかと、半ばパニックに陥りかけた政宗だったが、よくよく自分の身体と傍らの男を見れば、足半分布団からはみ出、大の字になって豪快に眠っているのに、幸村は政宗の腰にしっかり腕を回して放そうとしていなかったのだ。思わずチッと舌打ちをして、政宗は小十郎を呼んだ。
「Hey!小十郎。このバカを剥がせ。俺ァ風呂へ行く。」
「はっ、ただ今。」
そう言って、小十郎は幸村を掴むと無造作に放り出し、幸せそうに熟睡するその面を一瞬睨むと、主に肩を貸すためにそっと跪いた。
「湯も沸かしてあります。どうぞこちらへ。」
「気が利くな。ちいと肩借りるぜ。」
伊達の主従の間でそんな遣り取りが行われていようとは露ほども知らない幸村は、一人で取り残されている格好となっていた。
「ま・・・政宗殿!?」
うろたえた幸村が辺りを見渡すと、布団や政宗の煙管など昨夜を思わせる物は一切無く、部屋の戸は四方全てが開け放たれ、その庭に面した戸口には、朝日を背に、竜の右目が世にも恐ろしい形相で幸村を睨みつけていた。
「テメェ、いつまで政宗様の寝所にいるつもりだ、真田!」
ここまでやっても、あの政宗様命の小十郎の堪忍袋の緒が切れなかったのだ。これくらいで済んで、感謝しても良いくらいだった。政宗の後始末の続きの事は気掛かりではあったが、小十郎がついていれば問題はないだろうと苦渋の決断をした幸村は大人しくその勧告に従い、その場から早々に退散したのであった。
その頃の独眼竜は、風呂で自ら残滓の後始末をし、
「・・・こんなMadな事だとは・・・予想外だったぜ・・・」
と呟いていたとかいなかったとか。兎にも角にも、奥州の地に、今日も昨日と変わったようで変わらない、燃え盛る朝日が昇ろうとしていた。
おわり |