紅蒼6 〜佐助の帰還〜
幸村が慶次と出会ったその日の夜、佐助が奥州に戻って来た。懐には信玄公から預かった書簡――もちろん幸村を奥州に冬まで置いておいても良いという快諾の意を含めたものだが――を入れてだ。本当は、こんなに急がなくても政宗から言われた用事は構わないはずだった。政宗もそこまで早くしろとは言っていないし、そもそも政宗に使われる謂れもない。しかし、佐助が急いでいるのには訳があった。何だか胸騒ぎがしたのだ。自分の居ない間に、主が何かしでかしてしまうのではないかという予感が。
「俺様ってば、優秀なもんだから、あっちこっちに引っ張りだこで参っちゃうわ・・・って、そんな事言ってる場合じゃないよ。」
音も立てずに政宗の居城に入り込んだ佐助はぼやきながら、書簡を渡す相手よりも先に、まず幸村の元へと走った。
「このお使いは独眼竜の旦那から頼まれたんだから、堂々と正面から入れって片倉の旦那に叱られちゃうかな。ま、いっか。こっちの方が俺様には合ってるしー。」
そんな事を言いつつ気を紛らわそうと思った佐助だったが、主の部屋に灯がなく、障子が開けっ放しになっている事に気がつき、悪い予感は一気に確信に変化した。
「あー、大丈夫かなぁ・・・真田の旦那。なんか旦那に頼み込まれて一時目を離したらどっか行っちゃったとか隊の者に聞いてるし、結構すぐに城に戻って来たはいいけど様子が変だとか他の者も言ってたし。オマケに前田の風来坊まで奥州に来てるって聞いたんだけどなぁ・・・何か妙な事になってないといいけど・・・」
と、そこまで考えた瞬間に、主の叫ぶ声と、障子を開ける・・・と言うよりは外すくらいの勢いの、スパーンという音を佐助は聞いて青ざめた。主が障子を開けた部屋は、正しくその城の主の部屋だったのだ。
「あっちゃー・・・もう妙な事になってたよ!俺様、一生の不覚!旦那ぁ・・・早まらないで下さいよ・・・」
「政宗殿ぉおぉぉぁあぁーーー!!!」
「What’s?!どうした、真田幸村ァ!」
逼迫した幸村の叫び声に、常日頃から熟睡と言うものをした事のない政宗は文字通りに飛び起きて眼帯の紐を結んだ。これほどまでに幸村が慌てて奥州筆頭の部屋に駆け込んでくるにはよっぽどの理由があるに違いない。もしや敵国の夜襲か、どこぞの間者でも忍び込んだか。そう思った政宗の元に飛び込んできたのは、何やら顔を上気させ、異様にぎらつく目で、戦装束よろしく暑苦しい焔を模様にあしらった夜着を纏った真田幸村だった。
「敵襲か?」
「違いまする!」
「じゃあ間者でも見つけたか。」
「否、そうではござらぬ。この城に害を為すものは、今宵何一つあり申さぬ。」
「Ha!何だ、驚いて損したぜ。何でもないなら俺ァ寝るぜ。」
そう言って政宗は再びごろりと横になろうとした。しかしそれは、幸村に腕を取られる事で阻まれ、少し高鳴る胸を隠すようにして政宗は幸村を睨み付けた。
「An?何だよ、まだ何かあんのかよ。」
もしそんな大事が起これば小十郎が出てこないはずがない。姿は見えないが、今もきっとこの部屋の四方どこかの控えの間に待機しているはずだ。という事は、この騒動も当然小十郎には丸聞こえな訳で、万が一幸村が寝首を掻こうとでもすれば小十郎が飛び込んで来る事は明白、逆に、政宗の眠りやらこの遣り取りやらを他の者に邪魔される心配も全くないという事だ。そもそも幸村が政宗の寝入りを襲う等という事はありえぬ事で・・・そこまで考えた政宗の思考は、次に発せられた幸村の言葉で完全に中断された。
「某、政宗殿にお伝えしたい儀があり申す。」
「・・・何だよ、言ってみな。」
そう言って政宗が幸村の手を軽く振り払うと、はっと気が付いたように幸村が寝床から一歩離れた。政宗は裾を直して布団の上に座り、枕元の煙管に手を伸ばして火を点けて銜え、目の前の畳に正座をしている幸村を見た。幸村は、その決して小さくはない身体を縮こまらせ、膝に固く握った手を置き、しばらく俯いてぎゅっと目を瞑っていたが、ふうっと政宗が煙管の最初の一吸いを吐いた所で決心したように顔を上げた。
「某、政宗殿の事を考えておると、心の臓が熱くなり申して、居ても立ってもおられなくなり申した。それは戦場で政宗殿とあいまみえる時と似て非なるもの。高鳴る何かが全身の血潮を沸き立たせるのでござる。どうした訳か夜も眠れず、こう・・・胸が苦しくなり申した。」
そこで幸村は夜着の胸元を拳で押さえ、訴えかけるような眼差しで政宗を見つめた。
「どうしたものかと佐助に問うても、はぐらかすばかり。それに、この胸苦しさは此処に居る間に益々酷くなり、某、耐え切れなくなってき申した。それ故、甲斐に一度帰れば何か分かるやも知れぬと、政宗殿に申し出たのでござるが・・・」
そこで少しばつの悪い顔になった政宗だが、続けろとでも言いたげに顎をしゃくり、終始無言で幸村の話を聞いた。
「一人ではどうしようも相成らず、お館様のお知恵を借りようにも帰られず、それならば佐助に聞いてみようと思ってみても某が煮詰まって本当に参った時には側におりませなんだ。これは困ったと、某、本日兎に角頭を冷やしに山の沢におりました。すると偶然そこにおられた前田慶次殿が某の話を聞き、それは恋だと破廉恥な事をおっしゃられた。某、思わずその場から武士にあるまじく逃げ出してしまったのでござる。しかし御城に戻り、一人になり、よくよく考えてみればみるほどにその際は頭に血が上っておったのだが、まさに前田殿のおっしゃられる通りでござった。」
吃驚した様な顔で、思わず煙管を口から離した政宗の様子も、鼻息荒く怒涛の如くしゃべりまくる幸村の様子も、天井裏の佐助の位置からは良く見えた。
「あーあー、心配見事的中。前田の旦那もはっきり言ってくれちゃって・・・。せっかく俺が言わないでおいてあげたのになぁ。真田の旦那はすーぐ熱くなるし単純だし真っ直ぐすぎてちょっとタチが悪いくらい純粋だからなぁ・・・。それに一途で思い込んだら貫き通せる信念の持ち主だろ?そんな事、一度認めちまったら、止まれる訳ないのに・・・まったく・・・」
そんな佐助のぼやきは幸村本人に聞こえるはずもなく、きっと顔を上げると幸村が膝だけでずいずいと政宗に近づき、
「政宗殿ぉぉおおーーー!」
と叫んで、がしっと政宗の肩を掴んだ。
「某、もう我慢の限界にござる!」
「Oh!あぶねぇ!」
煙管を取り落としそうになり慌てて枕元に煙管を置いた政宗に追い縋り、今までの勢いはどこへやら、幸村がごにょごにょと呟いた。
「その、政宗殿、その、・・・その、せ・・・せ・・・」
「Eh?」
「接吻しても宜しいか!」
あまりに恥ずかしい大音量の叫び声に、庭木で眠る鳥達が、バサバサっと音を立てて飛び立った。城の者も、何人かが起き出してしまった事は想像にも難くない。だがしかし、政宗の寝所は小十郎に守られているどころか立ち入り禁止状態になっている。風呂場でもそうなのだが、決して眼帯を外した所を城の者達は見たことがない。それはもう、過保護と言わんばかりに小十郎が政宗を守っているからなのであった。そんな訳で、不運にも起きてしまった城の者達は、そんな突拍子もない叫び声を聞いた後でも小十郎が何か言ってこない限りは、悶々としながら過ごすしかないのであった。
「あちゃー、旦那、とうとう我慢できなくなっちゃったかー。」
そんな城の中の出来事など気が付いていても知らぬフリを決め込み、思わず頭を抱えた佐助が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、想像していたよりもずっと冷静な政宗の声が聞こえた。
「・・・何でだ。テメエには肝心な所が抜けてやがるんだよ!・・・訳を言いな。」
そこではっと、幸村は回りくどい説明ばかりで自分の気持ちを伝えていなかった事に気が付き、今度こそ政宗に頭を下げた。
「某、政宗殿の事を好いておりますれば!何卒、この熱く滾る想い、僅かばかりの情けの心で受け入れて頂きたく!」
「あー・・・そんな事まで言っちゃって真田の旦那・・・この調子だと、いつ独眼竜に殴り飛ばされるか、時間のもんだ・・・ん?」
瞬時に政宗の大技が発動して寝所ごとぶっ飛ばされる事を覚悟し、さぁて逃げよう・・・とした佐助だったが、一向に武器を取るどころか幸村の手を掃おうともしない政宗の様子が変だと、首を傾げた。
つづく
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