紅蒼3 〜謁見とその訳〜

 

この居城に幸村が来てから既に七日が経とうとしていた。さすがに任されている上田城の事も甲斐本国の事も、そしてもちろんお館様の事も、幸村には気になって仕方がなくなっていた。そしてもう一つ、その心に秘めて然るべき政宗への熱き想いが溢れ出しそうになり、幸村は困惑していた。同じ城内に政宗が存在している。それだけで熱く滾ってしまうこの身体と気持ちを、如何に鎮めようかと様々な事をしてきた。常日頃の鍛錬を行ってみたり、城下町へ繰り出してみたり、大好物の甘味やら奥州名物ずんだ餅やらを食べ比べてみたり、水風呂に朝から浸かってみたり。それでも、奥州というその土地にいるだけで、そこかしこに政宗の気配と意識を拾ってしまうのだ。肌がひり付く様に空気からさえもその存在を感じ取る。だが、武田よりの正式な使者として、一国の主の施政の邪魔をしてはならぬ、客人でいなくてはならぬという歯止めもきっちりかかっており、幸村はこの想いが何であるかすら分からないのに、気も狂わんばかりであった。それ故、今まで全くと言って良い程に政宗との接触を断ってきた。だが、元より考える事はするが動いている方が頭も冴える型の人間に出来上がっている幸村だ。このまま何もせずに頭を働かせているだけではどこかで爆発してしまう。我慢も、そろそろ本気で限界だった。

 

一方政宗は、書簡を佐助に托して信玄の元へと送ってから約半日。とりあえず手は打ったものの、現状は一切変わっていなかった。もし信玄からすぐに幸村を返すようにと返事があれば、即刻幸村を送り出さねばならない。そして政務は書簡を出そうが何をしようが減ろうはずもなく、結局幸村と語らう暇などやはりなく、書簡はいつ届くのか、信玄は何と言ってくるのか、幸村とはあとどれくらい共に居られるのか、甲斐に返すまでに幸村と過ごせる時は訪れるのか等、余計な不安が増えただけで癇の虫も暴走寸前だった。つまり図らずも、政宗も幸村と同じ理由で我慢の限界が来ていたのだった。たった一つ幸村と違っていた所は、政宗にはその想いの存在が何処に根を張っているかが理解出来ている点だけであった。政宗は、これが単なる好敵手との逢瀬故の焦れとは違うと、はっきりと意識しているのだった。口には決して出したくも、そんな事を思いたくもないが、これは前田の風来坊が常日頃から口煩く言っている、恋やら愛やらと名の付く物だという事に。

 

火照って仕方がない心と身体に冷や水を浴びせかけようとも、一向に熱が引かない幸村は、もうどうしようもないと思い詰めた所で腹を括った。これ以上、政宗の気配だけを感じ続けて本人に逢わずにいたら本当に狂ってしまう。そのような訳で、幸村は施政の合間にほんの微かな時間の出来た政宗に面会を申し出て直談判に出た。
「どうした、真田幸村。珍しいじゃねぇか。アンタが俺を呼び出すなんてよ。」
女中達に、最近富みに殿の機嫌が悪いのだと聞いていた幸村だったが、どっこい頗る機嫌の良い政宗が、鼻唄でも歌いそうな勢いで下座の幸村に声をかけた。政宗とて煮詰まっていたのだ。そんな所で幸村から謁見の申し出があったのだから、嬉しくない訳がない。だが、そのように改まって呼び出されずとも、政宗としては全くもって構わないと思っている。むしろ問答無用で暑苦しく執務室に押し掛けられた方がよっぽど政宗の性に合っている。だが、如何せん幸村は破天荒とも言える戦場での活躍以外では、礼と仕来りを重んじる古典的な武将だ。まあそれもしょうがないとその点だけは諦め、政宗は久方ぶりに見る幸村をとくと眺めた。政宗から声が掛かった後、すっと顔を上げた幸村のその視線は真っ直ぐに政宗を見つめており、そしてどこか恍惚とした光すら伺えた。思わずぞくりとする何かを感じ、政宗は幸村を見る力を強めた。

 

幸村が顔を上げると、そこには相変わらず底光りのする隻眼と、刀の鍔で出来た眼帯、伊達者らしい粋な着物を着こなし、他の者がやろうものならばだらしがなく見えてしまう様な、肘置きに凭れ掛かるような姿勢の政宗がいた。だが、どう言う訳か政宗がやるとそれが実に様になる。思わず見蕩れて数瞬目的を忘れそうになった幸村だったが、
「本当にどうした。ぼさっとした顔してんじゃねぇ、幸村。」
と、視線を強めた政宗の一言で我に返り、さっと頬を赤らめて考えに考えた口上を述べた。
「某、こうして此方奥州に居られる事、真に有難く思うておりまする。」
Good!そうだろ。奥州の米は美味いだろう?」
一度頭を下げ、そしてあの意志の強い目を政宗に向けて話し出した幸村は、相変わらず小気味よい気を発していた。
「はっ、大変美味しゅうござる。某、朝餉など三杯も頂いてしまい・・・」
思わず今朝の朝食を思い出して頬を緩めかけた幸村は、途中でまたもやはっと気が付いて顔を引き締めた。政宗が、
『緩んじまってまぁ・・・ガキみてぇなツラもしやがんだな、コイツ・・・』
とほのぼのその顔を眺めているとは思いも寄らないまま。
「と、そのような話ではござらぬ。話をはぐらかさないで頂きたく。」
Sorry、すまねぇな。で?なんだ。何か言いたいんだろ。」
「はっ、此度の御持て成し、大変に有り難いものにござる。しかしながら、斯様に長きに渡り甲斐を離れて悠々過ごしておりましては、政宗殿にもご迷惑かと。」
幸村の声はやはり良いと耳に心地よい音を楽しんでいた政宗だが、幸村の様子が何かおかしいと気付いて驚いた。先ほどまであれほどまでに迸っていた紅い気が立ち消え、身体はほんの少しだけ震え、ふいと目を逸らして幸村がそのような事を言い出したのだ。
Ha!そんなこたぁテメエの考えるこっちゃねぇんだよ。こっちの都合でアンタをここに置いてるんだ。武田のオッサンには書簡を送った。そいつに、アンタをここにしばらく留め置く、冬までには返すと、ちゃんと書いといたぜ。」
今度は幸村が驚く番だった。
「冬!それは・・・!奥州の冬がいかに早いと言いますれども、まだ紅葉すらしておりませぬぞ。某、上田の方も空けておりますれば・・・」
しかし、幸村の口から出た言葉は政宗を徐々に再び不機嫌にさせるには十分なものだった。せっかくの幸村からの謁見の申し出が、『帰らせてくれ』等と言う主旨のものだったのだからである。それ故、政宗の行き場のない怒りはまさに心頭に発していた。
「この俺の城にいるのが不満だってのか、真田幸村。」
思わず地を這うような低い声を絞り出し、政宗がずいっと身体ごと幸村に近づいた。側に控える小十郎が冷静に聞いていれば、政宗が『俺はお前と一緒にいたいのに、お前は一緒にいたくないのか』と我儘を言っているのに他ならない。しかし当の本人達はどこか必死すぎて、その様に聞いているだけで恥ずかしい遣り取りに全く気が付いていなかった。
「そうは申してござらぬ!某とて政宗殿のもとに居られる幸せを噛み締めておりまする!」
思わず正直な反応をして真っ直ぐに政宗を再び見てしまった幸村は、政宗の視線の己と同じものを孕んだ熱さに怯んだ。
「ただ、某・・・」
What’s?何だよ、言ってみな。」
「・・・なんでもござらぬ。」
結局、幸村は自分の中の何物も整理する事すら儘ならず、顔を更に赤くしてまた目を逸らした。それだけで、政宗のどうしようもなく苛立つ気持ちは最高潮に達し、もっとこの場に二人で居たいと言う正直な心情すら無視して、口が勝手に幸村を遠ざけてしまった。
Han!歯切れの悪い野郎だぜ!もういい、下がんな。」
「政宗・・・殿・・・。」
殺気に近い政宗の怒気にうろたえた幸村が、さっきとは打って変わって情けない表情で政宗を見つめた。
Throw out!まだ返さねぇぜ。武田のオッサンから返事が戻ってくるまで早くても一日や二日はあるだろう。その間はここにいるこった。」
「・・・承知いたした。」
幸村がそう言って頭を下げた瞬間、政宗はこれ以上とてもここには居られないと言った風に席を蹴った。後には、どうして政宗が怒ったのか、分かるようで分からない幸村と、多少、否、相当に呆れ顔の小十郎だけが残されたのだった。

 

つづく