甘味と筆頭と右目の憂鬱 2
いつもの事ながら、政宗の側近である竜の右目も頭痛がするほど悩んでいた。
政宗は最近静かに仕事をこなし、そして考え込んでいる事が多かった。真面目に執政に取り組んで貰えるのならば、多少政宗が大人しかろうがらしくなかろうが一向に構わないというポーズを取ってみせる小十郎だが、実はかなり心配をしていたのだ。こんな状況は何かの前触れに違いない。いつもあれほど政宗曰くフリーダムな生活を送っているくせに、ここ数日規則正しすぎるのだ。いつもならばあっと言う間に積み上げられてしまう書簡の束が、するすると消えてゆく。奥州を束ねる者としては大変相応しい姿ではあるのだが、どうも小十郎にはそれが嵐の前の静けさとしか感じられないのであった。そんな訳で、小十郎は今日も政宗の執政の間の控え室からそっと襖越しにそんな政宗の姿を見守っていたのだった。
そんな心配を余所に、真面目な顔で佇まいを正して文机に向かう政宗は美しかった。戦場では爛々と輝くその隻眼は穏やかな光を湛え、真摯な眼差しは国を思い家臣を思い領民を思う良き主君の瞳であった。しかし政宗をより美しく見せているのは外面のそれと言うよりは、奥州の覇者としての威厳やその責務を背負った身が醸し出す内面からの輝きなのであった。それは政宗が真田幸村と出会うずっと前、まだ父輝宗公が存命である政宗幼少の頃、高名な上人の生まれ変わりとまで囁かれた非凡な才を持つ梵天丸を小十郎に思い起こさせた。やはり先ほどまで感じていた嵐の前の何とやらという懸念は不必要だったのだと感じ、小十郎はそんな政宗の姿を見ながらほろりときて目頭を押さえた。今の政宗に取り立てて文句がある訳ではないが、こと戦と真田幸村に関しては全くない訳でもない小十郎は、もしかしたら、政宗が今度こそ本気で内政を万全とし民を労わる名君となろうとしているのかもしれないと期待に胸を膨らませて。だが、呼びつけられた小十郎がそれは大きな間違いだと気がつくのにそう時間はかからなかった。
「お呼びですか、政宗様。」
「Oh、小十郎、ちょっと相談がある。」
「はっ。」
板二つ分政宗の手前に控えて小十郎は恭しく頭を下げた。良き主に仕える家臣である事に誇りを持ち、その喜びが姿勢に出たようであった。
『一体何のご相談だ? 治水のご提案か、それとも検地に不明瞭な点でもあったか・・・。』
そんな事を小十郎が考えて、顔を上げると政宗が妙な顔をしてそこに座っていた。瞳が潤み、頬はやや上記していて、心なしか呼吸が荒い。かと言って具合が悪そうではなく、むしろ頗る元気そうだ。妙だと言ったのはその隻眼がギラギラと危険な光を宿しており、殺気と見まごう程の訳の分からぬ気を発しているからだ。それが心底嬉しそうな政宗の表情と全くもって合致しない。まるで積年求め続けていた何かにようやっと狙いを定めて、それに襲い掛からんとする肉喰の獣のようであった。何がそんなに政宗を駆り立てているのだろうかと小十郎が思った瞬間に、答えが政宗の口から零れ出た。
「真田幸村はどんな甘味が好きだと思う?」
『真田のヤロウの事だったかー!』
思わず小十郎は心の中でガッデムと叫びそうになった。政宗の口癖がうつったようだ。
「最近アイツ、来てねぇだろ・・・色々考えちまってな。つい仕事まで捗っちまったぜ。助かっただろ? 今度アイツを城に招く。礼を言っとけよ。」
小十郎は思わず握り締めた拳で床を叩きそうになった。せっかく色々と、まあ勝手にではあるが期待をしていたと言うのに、それは全部幸村の事を考えていて上の空だったからなのだ。あの穏やかな瞳の光も、真摯な眼差しも、総て幸村に向けられていたもの。そう思うと、確かに政務が片付いて有り難い事には変わりはないが、とてもではないが礼なぞ言える心境にはならなかった。政宗ほどの武将が、もうここ最近ずっと幸村の尻ばかりを追い掛け回しているように見えて仕方がない。いや閨での立場を考えれば逆なのか、いやいやそう言う問題ではなくて、とにかく政宗が幸村に酷い執着を覚えて突っ走っているこの状況そのものが、小十郎の悩みであったのだ。普段の政宗は非常に明晰な頭脳と、回転の速い思考回路と、切れる判断力と、冷静な決断力を持っている。しかし幸村が絡んだ途端に全てがその後方に回ってしまうのだ。正直なところ、幸村と相対している政宗の胸中には天下も奥州も何もかもが霧散しているようにしか見えない。それが政宗の本当の望みであり、飢えた魂を鎮める糧であるのだからタチが悪い。政宗の望みと一国の責務と、そんな諸々を考えるほどに頭が痛んでくる小十郎であった。
つづく |