筆頭の優雅な一日 7 しばらく鍛錬を積むと、政宗はふうと一息ついて刀を収めた。すっと政宗から刀を受け取った家臣が鍛錬後の身を清めるための布を渡そうとすると、政宗は制止の仕草をして自らの懐から真っ赤な布きれを取り出した。 「No thanks、これがありゃいい。」 首を傾げた家臣が見たそれは、確かに作りも布地も上等ではあるが、政宗の好みには程遠いものだった。肌触りは抜群に良さそうではあるものの、透かし模様が入っているでもなく、金糸が縁を彩るでもない。 『こんなもんが筆頭のお道具の中にあったっけなぁ。』 そう思った家臣は、しばらく汗を拭う政宗を思案顔で見ていた。丁寧に肌の上をなぞる政宗のその仕草は、どこか優しくそして嬉しそうだった。 『筆頭がこんなお顔をされるなんてなぁ。』 そうしみじみ考えていると、ぴんと一つ思い当たった事があった。 * それは真田幸村が相も変わらず突然奥州に参上していた時の事だった。始めは城内の庭で手合わせをしていた幸村と政宗であったが、余りに物を壊すので、小十郎の怒りと幸村に付いてきた忍の溜息に追い出されるようにして、城外へと野駆けに放り出された。奥州きっての凄腕と、甲斐の秘蔵っ子が平服ではあるものの、多少の武装をして出かけるのだ。そんな恐ろしい二人組に手出しをするような手合いはいない。だがしかし仮にも一国の主と一城を預かる武将だ。共を付けない訳にはいかないが、生半可な乗馬の腕では二人に付いて行く事は出来ない。馬そのものも、谷を飛び越え崖を走り抜ける政宗の愛馬以上のものはない。そこで馬は仕方なく伝令用のそこそこの駿馬を用意し、乗馬の腕に覚えのある家臣が急いで付けられたのだが、そのうちの一人が今日の鍛錬役だったのだ。 政宗と幸村の馬に付いて行ける者は、家中にいないのではないかという家臣たちの心配は見事に当たった。二人と二頭はあっと言う間に土埃を巻き上げて走り去り、見えなくなってしまった。そんな二人を必死の形相で追いかけた家臣たちは、散々探し回った挙句、半時後に川の畔の倒木に、緩く手綱を掛けてある馬二頭を見つけ出した。何はともあれ良かったと思って視線を川に移すと、そこには何が起こったのか分からないが、脛まで水に入っている政宗と幸村がいたのだった。着物の裾は捲り上げられ、袖は襷で縛られている所から見ると、どうやら不慮の事態によって川に落ちた訳ではなく、政宗自ら入っていったように見えた。小十郎が見れば確実に眉を顰めるような光景だったが、楽しそうに笑う政宗に、誰も何も言えなかった。 驚き呆れながらも家臣たちが遠くで主の姿を見守っていると、しばらくして二人は川から上がって大きな岩にそれぞれ腰掛けた。政宗の方が、やや高い位置にいた。そして政宗は脱いだ足袋や草履を履こうとしたが、足は勿論びしょ濡れだ。手拭いを出そうとしたがあるはずのものがそこにない。 「Shit! 手拭いを忘れてきたぜ。」 思わず舌打ちをして、さてどうするか、そこらにいるであろう家臣に布を持って来させるかと考えていた政宗だった。だが政宗が家臣を呼ぶ前に、そんな姿をじっと見つめていた幸村が座っていた岩から立ち上がり、政宗の腰掛けている岩の足元に近づいてきた。どうしたんだと政宗が幸村を見ていると、幸村は懐から真っ赤な布を取り出した。そして恭しいほどの仕草でそれを政宗に差し出した。 「某の物で宜しければ、どうぞお使い下され。」 幸村が差し出したそれは、手拭いとは思えないほどの鮮烈な紅が目に痛いほどであったが、それがあまりに幸村らしく、政宗はニヤリと笑った。 「ああ、助かる。」 そう言って受け取り、すぐに足を拭いた政宗は、自分にあてられる動かぬ視線を感じて隻眼を上げた。その視線が余りに何か熱く滾るものを含んでおり、政宗はちょっと躊躇すべきだったかなと思いながら口を開いた。 「・・・洗わせてから返すぜ。」 傅かれる事に慣れている政宗は当然のようにそれを受け取ったが、もしかしたら幸村はそんな自分の態度は遠慮がなく好ましくないと思ってしまったのだろうか。そんな徒然を考えて、政宗は珍しくも少しだけ自分の傲慢さが恥ずかしくなって目元を微かに赤く染めた。しかし幸村の反応は政宗の想像とは違っていた。政宗が言葉を言い終わると幸村は、はっと気がついたように視線を政宗の手にある布からその隻眼に移した。その表情は、政宗を咎める色など一切なく、どこか恍惚としていたのだった。 「斯様な些事に、政宗殿のお手は煩わせられませぬ。粗末な物ではありますが、差し上げまする。」 「・・・そうか。じゃあ遠慮なく貰っとく。」 幸村の表情に一瞬首を傾げた政宗だったが、 「はい!」 心底嬉しそうな幸村の顔に、思い過ごしだったかとどこか安堵し、そして喜色を織り込んでしまいそうな声を必死に押さえ込んでその布を懐にしまった。 * それ以来、政宗はその布を愛用しているのだった。頻繁に使って襤褸になる程ではないのだが、たまに出してきてはこうして使ったりしている。やっぱりどう見てもその布を見つめる政宗の表情は角がなくまろやかで、家臣はふっと眦を下げた。 『まったく、真田の兄さんも、罪なお人だぜ。』 伊達軍の連中は、幸村の事をかなり好意の目で見ている。その個人の武勇や知略に対する尊敬、そしてその人柄の温かさと実直さが微笑ましく好ましいのもあるが、何よりも 『オレらの筆頭が幸村幸村と気にしてしょうがないから。』 そっちの理由の方が家臣に与える影響は大きかった。しかしそんな事を思われているとは、露とも気が付かず、上機嫌で汗を拭う政宗であった。 つづく |