筆頭の優雅な一日 5
清掃役が小十郎にあれやこれやと報告している間に、政宗は平時も戦の際でも毎朝欠かさない行水をした。行水とは言っても、毎日その身を清める習慣のある政宗に、武将の間では一般的である竹べらで垢をこそげ落とすような真似は必要ない。湯はその逞しい肉の上に張った滑らかな肌に弾かれて丸い玉となり、綺麗なままするりと流れ落ちていく。それでもまだ残った水滴を手拭いで軽く押さえ、政宗は再び寝所に戻り着替えを済ませた。それほど豪奢ではないが、粋を凝らし、さらっとした小袖に袴という姿だ。数人がかりで政宗に着物を着せていく様はなかなかに壮観だ。まるで一つの芸術品を作り上げる職人のような正確さと素早さで、幾重にも布が重ねられてゆく。その一枚一枚に、奥州筆頭としての重みが詰まっている。しかしそれを当然の如くさらりと肩に背負った政宗は、それを重いとも思わず、平然と受け入れていた。 着替えが済むと、政宗は表座敷に向かった。家臣と一緒に朝餉をとるためだ。ご相伴に預かる家臣は、前日に政宗が指定してあった。今日は確か小十郎を呼んだはずだと政宗は軽く昨夜を思い出した。静かに政宗好みの食事をしたい時は小十郎を呼ぶ。食事の間、ほとんど口をきかなくても構わないからだ。逆に珍しいものが手に入って皆に食べさせてやりたい時は、大人数を呼んで食べる。ちょっと妙な献立を考えた時は成実を呼んでからかいながら食べる。それも毎日の気分次第だった。だが、呼ぶ家臣に偏りがないような配慮はしてある。政宗は身分に拘らない。何しろ城下に年越しのために出回る鱈が正月過ぎても出回らない時には、猟師たちにまで商いの指示をしてしまうくらいだ(*6)。奥州筆頭がよくもこんな所までと言うような目配り気配りが政宗の政宗たる所以だ。しかし伊達には余りに多くの身内がいる。それ故、政宗の朝餉にご相伴衆として呼ばれる事は、身分の低い余り陣でも近くにいられない者にとっては光栄の至りなのであった。 さて今朝は、完全に政宗好みの献立になっている。何しろ幸村への手紙と言う最優先事項のために、短時間で考えたものだ。よく膳に上るものが多かった。赤貝焼き・仙台と京都の合わせ味噌を指定し、具には雉肉と豆腐、青菜の茎を入れたふくさ汁(*7)・ごはん(*8)・雲雀(*9)の照り焼き・鮭のなれ寿司(*10)・香のものとして大根の味噌漬け・海鼠腸(*11)・そしてお菓子代わりに栗と里芋。まあこういったところだ。政宗が表座敷に姿を現すと、いつもの通りきちっと身支度を整えた小十郎が下座の膳の前に座っていた。朝っぱらから無駄に眉間に皺が寄っている。 「おはようございます、政宗様。」 敢えてその事実に気が付かなかったふりをして、政宗はさらりと挨拶をしようとした。 「Ah、morningこじゅう・・・」 しかし、名前を言いかけたところに、小十郎が口を挟み込んだ。 「政宗様。」 「何だ。」 「清掃役が困っておりました。」 「何の事だ。」 政宗には小十郎の言いたい事は分かってはいたが、そ知らぬふりを決め込みたかった。今日は朝起きた瞬間から頭の中が妙に熱に浮かされているのだ。この気分を損ないたくなかった。だが、 「今朝の閑所の事でございます。」 そう言われてしまえば、もう政宗は逃げられなかった。 『チッ、アイツ・・・言いやがったな・・・』 政宗は心の中で舌打ちをして清掃役に恨みがましい目をした。その間に小十郎は、控えの者に政宗の膳を用意しろと目で促した。そこは心得たもので、さっと膳が用意され、政宗はどっかりと自分の座に腰を下ろした。 「・・・・・・。」 ここで何か言うと藪蛇な事は百も承知の政宗は、無言で椀の蓋を取った。小十郎も箸を取って手を合わせた。カチャカチャと、聞こえるか聞こえないか程度の微かな箸と漆器の触れ合う音と、咀嚼する音だけが響いている。やけに庭の雀の鳴き声が大きく聞こえた。政宗が何も言う気はないと悟った小十郎は、口に含んだものを味わって飲み込んでから、ふうと溜息をついて話を続けた。 「書状をお書きになる、それは結構。その推敲のため、いくらかの紙をお使いになる、それも必要な事と心得ております。しかし、足の踏み場もない程に書き散らし、挙句の果てには小刀書物筆に至るまで全て投げ出し棚は傾き、唯一整っていたのは書状の載った文机のみとは如何なものでしょうか。そもそも・・・」 小十郎の説教は長い。書状の書き方から贈物の内容、果ては紙を作る職人の話まで、次から次へと口をついて出る小十郎の説教は、止まるところを知らなかった。小十郎の一枚上手な所は、ここで決して幸村を説教の引き合いに出さない事だ。説教は双方が感情的になっては意味を成さない。殊、幸村に関しては冷静さを失わずにいる事の方が多い政宗だ。常に政宗の奥州筆頭としての立場を、領民や家臣の苦労と現状を滔々と説いて周りから囲み込むのだ。こんな状態では勿論、食事の味が政宗に分かろうはずもなかった。昨日の相伴を指定した時の自分を恨んでも、時は既に遅かった。 「お分かりになりましたか政宗様。」 やっと説教が終わった頃には、政宗の膳は空になっていた。ぱたりと箸を置き、政宗はぐったりとしながら口を開いた。 「・・・All right、気をつける。」 「分かって頂けたのならば、結構です。」 本日の勝負は、小十郎の不戦勝だった。
つづく |