君の為の食育


「逃げられてる」
「はー?お岩さんいきなり何いっちゃってるんですか?」
俺は、池田の相変わらず能天気なのか計算なのか天然なのか判らない質問の仕方に軽く突っ込みの手をいれつつ溜息をついた。
「園田に、避けられてる」






【逃避】






俺がはっきり「園田祐悟に避けられてる」と感じ始めたのは、友情が恋に変わって…俺としちゃ初めから恋だったんだが…2週間経った頃だった。
「それって単純にお店に来てないってだけじゃないですかー。流石に毎日ラーメンじゃ園田センセの綺麗なお肌にニキビでちゃう」
「俺毎日食ってっけど肌綺麗だぞ」
「お岩さんの肌は格闘家みたいですもーん。園田センセみたいなきめ細かい肌じゃねーぇ」
「いっちいちむかつくな今日は。…まあとにかく避けられ始めてるんだ、何かそういう気がする」
「野生の勘?」
「恋する男の勘だ」
俺は、池田に自分の性癖を隠すような事はしていない。というか、大体にして隠した事がない。聞かれなかったから答えてこなかっただけで。「ホモか」と聞かれたら「そうだ」と返す、その程度のもんだ。ホモとかゲイとかそういう呼称についても全く拘りがない。どっちでもいいだろ、別に。好きになったのが男です、てことに変わりねえし。
「恋ってゆーかー、お岩さんの場合は飢えたケモノみたいになりますから気をつけてくださいねー」
大げさに溜息をついてみせる池田をこづいて、俺は厨房に戻った。いくら客が居なくてもそろそろ親父の視線が突き刺さってくる事だろう。勿論親父っつっても血は繋がっていない。
「岩崎入ります」
狭くも広くもない厨房に入るとき、俺はいつもそう言って頭を下げる。親父に言われた事でも、他の店で言われた事でもない。俺のけじめみたいなもんだ。親父はそれを「若い」と言うが、多分俺は爺になってもこれをし続けるんだろうと思う。
――終わったら電話してみっか。いや、いっそ…
ちょっと考えた後、俺はばっと気持ちを切り替えた。料理してる時は料理の事だけに集中し他の事は考えられなくなるのは、俺の良い所で悪い所だ。



――大概、ノンケの男が考える事は決まってる。
俺は、出前用とは違う愛用の黒いバイクに乗って園田の家に向かう。俺が告白した日にあいつを送っていって、その時に覚えた。あいつも俺の家の事を俺を送りに行ったときに知ったのだというから、俺は内心笑った。そういう共通点を見つけるのは嬉しいんだが、なんかおかしい。
そんな園田が俺を避ける理由。それには大体見当がついていた。
俺も1度か2度はノンケの男と付き合った事がある。奴らがまず気にしたのが世間体だ。家族からどう思われるか、友人にばれたらなんていわれるか。そんな不安を拭ってやろうと思って結局できなくて、奴らとの恋は短く終わった。俺は恋をしてたつもりだったが、どうやら向うは「知らない世界にチャレンジするスリル」をほんのちょっと楽しんで、それだけにするつもりだったらしい。それがただの言い訳か本心かは、今となっちゃどうでもいい。
まぁ奴らの気にする事もよく解る。俺は現代日本にしては珍しい大家族の元で育ったから、俺1人が嫁を貰わなくても子供を作らなくても何も困らない。だが、普通の家庭で育った奴は違うだろう。普通の男には、親に孫の顔を見せることが親孝行、と思ってる奴が多いし、結婚してないと出世しにくいっつー何だかよく解らないシステムの会社まである。正直うぜーよ、それ。
「…だからっつってあいつも同じって訳じゃあなさそうだけどな」
そう1人ごちて、俺はバイクをマンションの下にとめた。

園田は覚悟を決めるときは決める男だと俺は思っている。うだうだ悩むような奴が小児科医とか似合わねぇし。
だけど不安に思うことはあるかもしれねぇよな、責任感は強そうだから。
エレベーターに乗ってる間も俺は園田の事を考える。
――結局、と俺はドアの前で自嘲した。


理由が聞きたい訳じゃねえ、ただ俺が会いたいだけだ。


「…岩崎」
「よ。帰ってたんだな」
ドアを開けてくれた園田の顔は、俺があの日こいつにキスしたときよりも驚いてやがった。驚くような事か?恋人が家を訪ねてくることがよ。
「…とりあえず、あがれよ」
「おう」
短く返事して、俺は園田に続いて家に入った。そんで、そのまま後ろから園田を抱きこんだ。…疲れたような緊張してるような背中を見てて、どうも抑えられなくなったらしい。
園田が舌打ちする。
「…ったくお前は」
「そりゃこっちのセリフだ。何で二週間かそこらでこんな腰が細くなってんだ」
言いながら腰から脇にかけて撫でるように触る。シャツ越しなのにビク、と園田が反応を返した。これは怯えじゃねぇな、と感覚で思って園田をこっちに向かせる。
「忙しかったんだよ、…予防注射とか」
「夏にかよ」
「今は夏でもやるんだよ」
「…飯、食ってんのか」
「……」
園田は、俺がまず初めに惚れた、綺麗な二重でこげ茶色の目を逸らす。
「食ってねえんだな。」
「…忙しかったんだ」
責任感の強い園田は嘘をつくことが苦手だ。だから小児科医になったんじゃないかと俺は踏んでいる。
つーかあんだけ食を大切に考えてた園田が飯もまともに食ってないなんて、そんなに忙しいのかって話だろ。原因は俺にあんだろ?
「…祐悟、こっちみろよ」
「……」
「逃げるな。…俺の飯に飽きたか」
「違う」
清潔な程度に伸ばされた黒髪が、園田が首を横に振るたびにさらっと揺れた。…んだよ、これ以上俺を惚れさせる気か。
「…何が不安だ」
「……何、で」
解ったんだ、とでもいいたげな表情で園田がこっちを見上げてくる。思わず顔が笑んできた。
「やっと目が合ったな。…俺から逃げて、何と向き合ってたんだ?」
逃避することは何も悪い事じゃねえ。戻ってきて、また、抱きしめさせてくれてるんだからな。どっちかっつーと俺を逃げ場にしてくれたら、美味しい思いができるから嬉しいんだが。友人関係が長くても、付き合って2、3週間かそこらじゃまだ全然そういう風にはなりゃしねえ。男なら我慢。
「逃げてない」
「そうか」
「…そろそろお盆だろ……」
「あぁ、そうだな」
感情は込めるが、長い返事をしてやれるほどの甲斐性は俺にはない。ただ、何となく園田の言いたいことはわかってきた。
「俺、両親早くに亡くしてて、じいちゃんとばあちゃんに育てられて…って、もう両方いないんだけどな。…で、お盆だから報告しなきゃって思うんだけど…」
――成程。
こいつのこの責任感の強さとかの理由が判った気がする。
「どう報告すべきかって、考えてたらどうにも」
「真面目だな」
「ほっとけ」
「そういう所は嫌いじゃねえよ。言いたきゃ言えばいいし、言わなきゃ言わないでいいだろ。親だって逐一子供から報告受けてりゃ疲れんだし」
これは実際に俺が親から言われた言葉だ。5人兄弟の報告を毎日毎日聞かされてればそりゃ疲れただろう。親は聖徳太子じゃねぇんだ。
だが、園田の場合は別なのかもしれない。ちら、と横目で玄関脇に置いてある写真を見る。これが祖父母の写真なのだとしたら、きっと毎日「いってきます」と「ただいま」を言っているのだろう。
園田は随分と長い間何も喋らなかった。きっと色々頭の中を整理しているんだろう。
俺はこういうときの園田を見るのが結構好きだ。目を伏せるようにして、何かを必死で考えている。そもそも女でも何でもお喋りな奴が苦手な俺は、黙って考えられる奴が好きだ。この間告白したときは流石に言葉にして要点をまとめてたが、それはまだ可愛いほうだろう。
「…決めた。その時になってから考える」
「おう」
園田の祖父さん祖母さんの写真に俺は片目を瞑った。俺なりの意思表示だったが、園田には判らなかったみたいだ。いちいち言葉にするほど俺は気障じゃねぇ。
「…岩崎」
「何だ」
「…いつまでこうしてるつもりだ」
一応落ち着いたらしい。園田が俺の腕を振りほどこうと動き出した。やっと恥ずかしくなってきたようだ。
「嫌か」
「…玄関じゃ推奨できない」
「わかった」
俺もこんな所で先をしようとは思わないから、ぱっと手を離してやる。園田は開放感からかふうっと熱い息をはいた。…おいおい。
園田はその後逃げるようにリビングへ向かった。俺は無言で追う。いい住まいだが広くはない。俺ほどの身長と脚の長さがあれば数歩でどこへでもいけるだろう。
疲れたのを隠す事もなく、大きな音を立ててソファに座る園田の横に俺も座った。
「…祐悟」
園田の横顔を見つめながら、その黒髪を梳いてやる。前はこんなにじっくり触れなかったから、ゆっくり、じっくりとそのしなやかさを堪能する。
「…やめろ、よ」
「どうした?」
わざとらしく耳元で囁くように尋ねる。びくり、と微かにはねる肩のラインも綺麗だ。
「…変だろ」
「あ?」
聞きながら耳たぶに唇を寄せた。髪の間に半ば隠されている耳を唇だけで甘く食む。
「ん…やっぱり、変、だ」
「何が」
髪を触る手はそのままに、もう一方の手で太ももを撫でる。
「は…ぁっ…。い、わさき」
「ん?」
ゆっくりと足の付け根と膝頭までを指の腹で撫ぜる。園田は快感をやり過ごすためか、肩を竦めて顎を上げた。顎のラインが男らしい綺麗な角度を持っていて、髪の毛から手を離して俺はそのラインを確かめるように柔らかく撫でた。
吐息と声の中間のようなものが園田の口から漏れる。
「…お前は…変だと思わないのか?」
「何を」
顎のラインを確認した後俺は指を唇の方へ持っていった。やや薄めの下唇を、人差し指と中指でさらりと撫でる。
「ん…っ」
「…もしかして」
眉間に皺を寄せて耐える園田の顔を見ながら、俺はある1つの考えにいきついた。
「…この間のアレで『感じる自分がおかしいんじゃないか』とか思ってねえよな、お前」
「思ってるよ」
俺が一連の手の動きをやめたからか、えらくしっかりとした口調で園田は答えた。
「大体、触られただけで声をあげるだなんて変だろ。触診してもこんな声あげる患者なんて…」
「患者と恋人を一緒にすんなっつの」
「…っ」
俺は園田を黙らせるためにその唇を荒々しく塞いだ。初めから口は開いていたから簡単に舌を入れられる。絡めとって吸い上げて刺激する。園田の目が伏せられ、眉間の皺が取れたころ、俺はやっと口を離した。
――どうやら、今回こいつが俺を避けてたのは、思いのほか嬉しい所から来てたらしい。
感じるのが怖いから逃げてた、って所だ。それで逃げて一人になったらなったで色々な事を考えちまった、と。我ながらいい推理だ。
「俺は、祐悟が感じてくれんのが嬉しい」
「…いわ、さき」
「ついでに、諒二って呼んでくれるともっと嬉しい」
「りょう、じ」
「…赤ん坊みてーな顔してんなよ」
「うるさい」
ふい、とそっぽを向く園田がなんだか異様に可愛くて、俺は抱きしめるように奴を押し倒した。
「…逃げなきゃ、俺はお前をもっと幸せにしてやるよ」
「……」
チュッ、と軽く音を立てて園田の唇にキスをする。じっと、俺を見つめてくるその瞳の何と綺麗なことか。

――もう、俺から逃げねぇな。

俺はそう確信して、深いキスを仕掛けようと顔を寄せた。