予約特典




――確かに、俺は今日疲れていた。




 上司から部下の失敗のフォローを完全に任せられ、今まで所謂エリート中のエリートだった葛西辰巳(かさいたつみ)は、一人残業という全く持って情けない仕事振りをここ数日続けていた。基本的に部下にミスをさせるようなことはさせていなかった葛西にとって、今回のそれは自身のプライドを傷つけてならなかった。なにより、自分らしからぬ事をさせられているのが我慢ならなかった。
――ああ、髪まで変じゃないか。
 思わず夜に会社のトイレで肩を落としてしまう。これじゃ友人にも声を掛けられないわけだ、と葛西は一人自嘲して、疲労の影が色濃く残る削げた頬をさすりながら会社を後にした。友人達にとっては疲れきった葛西にかける言葉もない、というのが本当の所だったが、どっちにしたって葛西のプライドは他の人間と違うレベルにまで達しているので何も言いようがなかったのだが。
 そんな、プライドが高く身だしなみにも人一倍気を使う葛西が今夜まず行くところは、家ではなく美容院だと決めていた。



「葛西さん!いらっしゃいませ、お待ちしてましたよ。」
「やあ、時間外にすまないな」
 声は高くはないが優しくて明るい声の持ち主は、葛西に謝罪を述べられるといいえいいえ、と微笑みながら首を横に振った。鞄を預けた後、導かれるままにカット台へと移動する。元々が長い髪ではないし時間外なので初めにシャンプー等はしないらしい。そっちの方が合理的で葛西は好きだった。
 葛西が選んだのは、いつも来ている美容院だった。常連ならば多少の融通はきくだろうと踏んだのである。一応前日に電話をしたところ、担当美容師でさっきも迎えてくれた津路(つじ)は快く承諾してくれた。エリートサラリーマンには合わないような洒落た美容院に初めて入ったのは単なる偶然だったが、この美容師は腕もセンスも葛西好みだったために通っていた。
 外はもう夜も夜中といった頃で、新人美容師の勉強会や反省会も全てが済んだ後になっていた。照明も最低限のものにされている所為か、店内は妙に寂しい印象を与えた。
「随分伸びましたね。仕事相当お忙しいんですか?」
「ああ、明日辺りには目途が立ちそうなんだが、そうと解った途端に外見が気になりだしてな」
「確かに葛西さん凄く疲れてそうですね。後でマッサージしますよ」
「そうしてくれるか」
「はいはい」
 津路は喋りながらも軽快に葛西の黒い髪を切っていく。このリズムと声のトーンが原因かは解らないが、津路に聞かれるとどうもしっかりと返事をしてしまう。それも嘘がでることはない。プライベートな事を言うのを嫌う葛西がこんなに心を許すなんて珍しいことなのだが、葛西自身は疲れきってしまっていたのでそれについて深く考える事はなかった。
「はい、おしまいです。襟足さっぱりしましたね、男らしく」
「ああ、やはりこっちのほうが落ち着くな」
 合わせ鏡で自分の後頭部をチェックした葛西は満足げに言った。津路も嬉しそうに頷く。
「ではシャンプーして流しましょうか」
 その言葉に合わせて、チェアがゆっくり降ろされた。

 葛西がこの美容院を気に入っている理由は、実は他にももうひとつあった。それはこのシャンプー台だ。今まで完全に仰向けになる位のシャンプー台しか使われた事のない葛西にとって、少しのリクライニングで快適なシャンプーが受けられるのは非常に嬉しかった。会社勤めをしているとどうしても首や肩が凝るので、新幹線や飛行機のリクライニング程度がちょうど良かったのだ。それに低反発だとかいう椅子の材質も気に入っていた。
「熱かったら言ってくださいね」
「解った。…」
 津路が滑らかな手つきで葛西の髪を洗い始めるのを感じると、葛西はゆっくりと目を閉じた。
「そのまま寝てしまってもいいですよ」
 くすり、と津路の笑い声が聞こえる。2人しかいない美容院で、やけにその音が耳に残った。普通ならば言い返すのに、葛西は目を閉じたまま何も言わなかった。いや、眠くて言えなかった。




――何だかやけに気持ちがいい。

 葛西は目を閉じながらそう思った。手足が若干熱い。ああ、ついに寝てしまったのだろうか。そんなに津路の手は気持ちよかったのか。そんなに俺は疲れていたのか。ぼうっととりとめもなくそう考えた所で、葛西はネクタイをしていた喉元がやけに自由なのに気がついた。

――夢の中でこんな感覚を感じることはないな。

 どこかを絞められながら寝ればかならずそこが原因で苦しい夢を見るという事を自己分析して知っている葛西は、それでやっと自分が夢と現の間にいて、ネクタイは緩められているのだろうという事実に行き着いた。

 うっすらと、瞼をあげる。

「あれ、…気がつかれちゃいました?」

 下方で落ち着いたトーンの声がする。葛西はゆっくりと目を細めて下を見た。
 すると、自分のベルトを緩めている津路の手と、それから津路の顔が目に入った。

「…津路、君?」
「あ、よかった。まだ寝ぼけてるみたいですね。葛西さん、大丈夫。さっきいってたマッサージですよ」
「…ああ…」
 そのまま瞼を閉じようとして、今度はチャックが下ろされる音で目を開いた。
「…やっぱり、想像してた通りだ。葛西さん、下着はボクサータイプで黒」
 うっとりとした声が聞こえる。官能に染まった声だ、と、よくしらないくせに葛西はぼんやりと感じた。
「津路君…君は一体」
「今、気持ちよくしてあげますからね…」
 津路はその言葉を発するのとほぼ同時に、布越しに葛西の股間を撫で上げた。シャンプーのときよりも若干強いその手つきに、葛西の喉がヒクリと動いた。

――こんなマッサージは、聞いてないぞ。

 葛西がそう声にだそうとして出せなかったのは、津路が下着の中に手を入れ、葛西の性器を取り出したからだった。まだ勃ちあがっていないものを触られる恥辱と、新たに得られた快感で、葛西は腰を揺らした。
「…普段でこんなに大きいなんて…葛西さん、彼女途切れた事ないでしょう」
「…っ…何を…」
「だから、マッサージですよ」
 性感帯の、と付け足す津路の吐息が性器にかかり、葛西はため息をついた。
「僕、ずっと葛西さんのこれ舐めたかったんですよ…」
 股間でくぐもった声がきこえるやいなや、津路の舌がシャフトに絡みついた。裏筋をねっとりと下から上へ舐めあげていくその感覚に、葛西は顔を仰け反らした。
「…っつ…津路君…」
「気持ちいいですか?」
 いいですよね、と自分で勝手に答えを出した津路は、今度は根元まで口の中に咥え込んだ。シャフトへの刺激で、もうすっかり葛西は勃起していた。

――そういえば随分長い事処理してなかったな。

 葛西は、亀頭を割って舌先で舐めてくる津路の「マッサージ」に、緩く腰を動かしながら思った。仕事のストレスが溜まるとどうしても性欲処理まで頭が働かない。その分、休みになると昔付き合っていた彼女には随分酷いセックスを強要したこともあった。
――そう考えると、これは向うの好意である分平和的だな。
 段々と思考が下半身中心になってきて、葛西は知らずの内に津路の頭を軽く抑えて奉仕を迎合し始めた。津路も髪の毛を触られる事で興奮したのか、くぐもった、しかしやらしい声を自身の唾液と葛西の先走りの液とが混ざり合う音の間に漏らしている。
 元から、津路の中性的な顔が嫌いではなかった。落ち着いたダークブラウンの髪色は今流行の変なカットではなく、鋭角的な輪郭に合った柔らかなミディアムショートだ。大きすぎないが魅力的な光を放つ瞳も、少し厚めの唇も、男にしておくには勿体ないが、女にはない色気を兼ね備えている。美容師じゃなくモデルになればいいのに、と以前津路に言った事を葛西は思い出した。
――こんな子にしてもらうなら、楽しまなければ損だな。
 普段風俗には殆ど寄り付かない葛西だったが、津路の巧みな舌使いとその容姿に、すっかりはまってしまったらしい。津路の顔をよく見ようと、葛西は猛る自分のものから彼の口を解放させた。
「んっ…なんだ、口でイっちゃうの期待してたのに…」
 ちょっとだけ拗ねたように言う津路の口元はいやらしく光っている。ぺろ、と小さく音をたてて唇を舐めると、津路は自分のジーンズに手を掛けた。間もなくして、白くて張りのある脚が露になった。
 葛西は何も言わない。ただ津路の瞳だけを見つめた。ヒク、と津路の体が震えるのが解る。
「…葛西さん、その顔は反則ですよ…あぁ、でもやっぱり起きてる方が断然興奮しますね…」
 当然だ、と葛西は思った。この眼でよく部下に指示をし、上司にも意見を言う。眼に力がないものがいくら言葉を紡いでも無駄なのだ。逆を言えば、眼に力があるものは言葉がなくともいいのだが。
「ね、葛西さん…俺のココ、もうこんなになってんです」
 そういう意味で、津路はその色気と物言いは葛西の欲望を酷く煽り立てた。ビキニタイプの下着に勃ちあがった津路の性器のラインが奇麗に浮き上がっている。津路は先端だけ出して親指でぐじゅり、と刺激を与えた。出てくる汁を他の指先で絡めとりながら、空いた手で下着をもずり下ろした。
 奇麗な形をしているな、と、葛西は体中に欲情の熱が渦巻いているのにもかかわらず分析した。男の性器をまじまじと観察する趣味はないからよくは知らないが、少なくとも津路のそれに醜いという形容は似合わない。
 ぎし、と椅子が音を立てたのを聴いて、葛西はやっと津路が自分を跨いだのに気がついた。
 液でべとべとになった指を後孔に差し込んでは慣らしているらしい。声にならない熱い声が口から控えめに漏れていた。
「…は、ぁ…葛西さん…」
 吸い込まれそうな黒い瞳に見下ろされ、半開きの口から舌がチロリと見える。我慢できないとばかりに寄せられた眉根を見て、葛西は満足げに口を開いた。
「…津路君、おいで」
 どんな部下に言うよりも優しい声音で彼を誘う。葛西自身自分の出した声に内心驚いていたが、疲労した身体が抱える熱と、元から豊かではない表情のおかげで津路に悟られる事はなかった。
「…はい…気持ちよかったらいってくださいね」
 さっきよりも切実な、しかし欲望にまみれた声で言って、津路はゆっくりと葛西の中心に向かって腰を下ろした。

 男に挿入するのは初めてだったが、その熱さと具合の良さには思わずため息が出た。もしかしたら津路が上手いだけだったのかもしれない、彼は彼で締め上げながら自身の快楽のツボを腰を動かしながら突いていた。
 津路の声は抑える事を知らず、鼻に掛かった甘い声を駄々漏れにしている。それを止めるのが嫌で葛西はその艶めいた唇にキスすることをやめた。その代わりに自分も腰を動かして、片手で彼のものをしごいてやる。
「あっ、はっぁ…ぅん…っあ、っあ、ぁっ…っかさいさ…」
 上下に揺さぶられる快楽に、津路は思わず葛西の両肩に手を置いて耐えるようにした。間近に情欲に染まった目尻の赤い顔が寄せられて、葛西は思わず目を細め、唇を塞いだ。めちゃくちゃに貪るように深く舌を絡めて、葛西はおおよそエリートサラリーマンらしからぬ荒々しさで津路を責めたてる。
 唇を離した途端、津路は達した。白い精液が葛西の白いシャツの上に染みを作る。視覚的に酷く扇情的なその様を見て、葛西も一層動きを激しくした後、津路の双丘の間に射精した。流石に腸に放つのをやめるだけの理性はある、と長いため息を漏らしながら自分を褒める。
「…シャツが汚れた」
「あ、はい…」
 さっきまで寝ぼけ気味だった葛西に代わって、今度は津路が夢見心地のようなぼんやりとした声で頷いた。舐めてくれ、と言うとあっさりと身を屈めて染みの原因を舐めあげる。この真っ赤な舌が自分に奉仕していたのか、と、改めて葛西は相手の色香の強さに眉根を寄せた。
「…も、きれいになりましたよ」
「有難う。…君の尻も随分と濡れているな」
 言いながら葛西はねっとりと指を尻の割れ目に沿わせ液を掬い、津路の蕾の中、内壁へと塗りつけた。
「んっ…あ、葛西さん…ったら」
「…今度は、私がマッサージしてやろうか?予約をさせてくれ」
 流石に今日は明日の仕事が気になる。葛西はそう付け足して、津路の最奥を突いた。そして、強すぎた快感に悲鳴をあげる津路は、がくがくと頷いたのだった。



 葛西の仕事が素晴らしい速さで終わったのは言うまでもない。