星屑



「ああ、ほら見ろよ。星こんなにでてんじゃねえか」

俺の手を握っていた恋人は、そう言って笑った。







【星屑】






俺は高校から兼部ではあったが天文部に所属していて、結構星が好きだったから大学に入ってからも天文研究会なるサークルにあっさり入ってしまっていた。夏に合宿して星を見たり、暇な奴だけで天文スポットに足を運んでみたりと、だらりとしたサークルではあったがキツいことが1つもない分、雰囲気が悪くなるという事がなかった。
そんな俺が同い年、同じ学年で同性の、ワンダーフォーゲルにも籍を置いている木月と付き合い始めたのは、お互いを2丁目の喫茶店で見つけたからという、どうしようもない所からだった。
付き合おう、とセックスの合間に言われた事を俺は肌を重ねるたびに思い出す。


「おい、安藤。何ぼーっとしてんだ」
「あ、ああ、悪ぃ」

――木月は、一緒に居るときに俺が違う事を考えているのが解ると途端に不機嫌になる。
それが鬱陶しくなかったのは始めの1ヶ月位だった。3ヶ月も経った最近では、ちょっと合わないのかもしれない、と思うようにまでなっていた。俺は拘束されるのが何より嫌いだ。それで女嫌いになったといってもいいくらい。
「酔いでもしたか?」
木月はハンドルをそりゃもう見事にさばきながら聞いてきた。機嫌と運転技術が比例するようなタイプじゃなかっただけよかったのかもしれない。
「別に」
「だよなー、俺の運転で酔う訳ないもんなあ」
――どっからその自信が出てくるんだ。
俺は内心げっそりしながらも、溜息をつかないように注意して前に広がる大波のような山々を眺めた。

…俺と木月は、今夜しし座流星群を見るために北上している。
こんな有名な流星群、今更見にいかなくてもいいような気がするんだが、『俺と一緒に行くのは初めてだろうが』と無理やり押し切られて今に至る。そんな風に振り回されるのが楽しいと思えたのは始めの2週間位だ。付き合い始めて6分の5は多少なりともストレス感じてたのかと思うと、俺の忍耐力に我ながら呆れた。
「よっしゃ、ここの山道抜けたら民宿だからそれまで我慢しろ」
「…うん」
木月の端正な横顔が少し歪んだ気がしたが、きっとそれは気のせいだろう。



木月俊也(としや)がいくら我侭かつ強引な男であったとしても、その顔立ちのよさと均整のとれた体躯は褒めるべき所だと俺は思う。確か身長は180で、174の俺が軽く顎を上げて顔を見る位だからまあそれ位だろう。祖父がドイツ人だったか移民したアメリカ人だったかは忘れたが白人系のクォーターで、申し分ない脚の長さだ。歩くスピードが早いから一緒に歩いていていつも苦労する。でもいくら外人の血が入っているからと言っても顔立ちは日本人以外の何者でもなく、きりっとした鋭角的な印象のある顔に、流行りを無視したサラッとしたショートヘアーが似合っていた。
その顔で笑顔を向けられると、「別れよう」だなんて言えなくなるのだ。

「はいよ、肉焼けたぞ」
…今だってそんな笑顔を向けている。民宿の宿泊客皆でやってるバーベキューで、炭火が上げる炎の明りを受けてる木月は、何だかいつもより精悍に見える。ワンダーフォーゲルに入ってるだけあって流石、という所だろうか、奴の金網さばきには他の客(といっても数人だが)も驚いていた。
「ありがとう」
「ん。…もっと美味そうな面しろよな」
「充分美味しいって」
「そうかー?」
そう言いながら木月は他の客にも野菜やら肉やら盛ってやっていた。こいつの強引さは団体の中ではうまく社交性やリーダーシップに変換されるのだろうな、と俺はぼんやり肉を噛みながら思う。
――なんだか、一々観察してるのってどうかね。
俺とあいつの境界線がはっきり引かれた様に、俺はあいつを観察していた。仮にも今付き合ってる奴をじろじろと観察するのはどうかと思う。そんなにあいつの欠点を見つけたいんだろうか。
見つけて、そこを全部指摘して、そして別れを告げようとでも思っているのか。さっき、笑顔を向けられたばかりだというのに。
「安藤」
「…ん?」
「星、見にいくぞ」
「え…」
「女将さん、飯ごっそさんでした!ちょっくら星見てきます」
よく通る声でそう言って、木月は俺の手首を握って歩き出す。引きずられるように、俺は雑木林の中に連れて行かれた。


「ああ、ほら見ろよ。星こんなにでてんじゃねえか」

小さな雑木林を抜けて、ちょっと行くと廃校になったらしい小学校のグラウンドに出た。夜の廃校だなんて肝試しでもあるまいし、と思う人間は多そうだが、天文好きにとっては格好の観測ポイントだ。
くるり、と木月は俺のほうを向いた。いつのまにか絡められていた指先がきつくて俺は眉根を寄せる。だけど、その先にある笑顔に何も言えなくなってしまった。

「…なんで安藤、今日ずっと空見ねぇの?」

――お前、なんでそんな顔して笑ってんだ?

多分、木月の声と俺の心は同時に発せられた。だって、木月。お前一度だってそんな切なそうな顔して笑ったことなかったじゃないか。

「安藤、答えろよ」
ぐい、と繋がれた片腕をひっぱられ、引き寄せられる。俺は思わず目を地面へ逸らした。
木月の溜息が耳元で聞える。

「…俺の事嫌いになったか」
「………」

何もいえない。今はただ木月の顔を見るのが怖い。声には苛立ちも悲しみも感じられない。普段喜怒哀楽がはっきりしていて、どちらかというとテンションの高い奴だったから、余計に怖いのかもしれない。
俺が何も言えないでいると、木月は繋いでいる手の甲をもう片方の手で覆った。熱が伝わってきて、俺はますます顔をあげられなくなってしまった。
「…俺は、…いや、俺が」
珍しく淀みある口調に、俺は瞬きをした。それでもまだ顔はあげなかった。

「俺がお前に惚れたのは、お前を2丁目の喫茶店で見たとき、お前が空を見てたからだよ」
「……」
「新宿の、あの狭い空を、それでも見てたからだよ」

――…今、俺はここが外でよかった、夜でよかっただなんて思っていた。
きっと良くて赤面か、悪くて涙目くらいにはなってる。

…だって、初めて「惚れた」だなんて言われたんだ。キスもしない初めてのセックスの間に、俺が快感で咽び泣いてる間に、「付き合おう、うん、そうしよう」とか自己完結して付き合いを始めた男に、今、初めて。

「……」
でも、嬉しい、とか、顔を上げたりとかはできなかった。はじめに言われなかった分、今言われても、すぐに終わりのための言葉にしか聞えてこないようになったのだ。
「…なあ、安藤。見ろよ」
ぐいっとまた引っ張られる。そんなに引き寄せて抱き寄せられたら、空なんて見えなくなるんじゃないか?

「空を見るみたいに、俺を、見ろよ」

バチッと、何かが胸に刺さる。木月の言葉か、俺の心臓か、それは解らない。
だけども俺は顔を上げてた。
そして、いつの間にか皓々と輝き始めていた星たちを、木月の肩越しに、痛々しそうに目を細めた顔の後ろに見た。

「…き、づき」
「安藤、俺と別れたいのか?俺の事好きだったのか?」
「木月」
「お前が好きなプレアデス星団ほども、お前は俺を思わなかったか?」
――それは、お前が大好きなM5星団位俺の事好きだったのか、と同じ質問だよな。ていうかM5星団とかマイナーだから。聞き方ばかり外人っぽいよな。どこの吹き替えだ。
6等星よりも暗い木月の瞳を、普段は明るく光る木月の瞳を見ながら俺は悠長な事を考えた。
「…木月」
――何だかどうでもよくなってきた。
俺だってお前に好きだなんて言わなかったし、お前以上に俺は喋らなかったし。

おあいこなんじゃないか、俺たち。

「…相変わらず強引だよ、お前は」
木月が目を見開く。多分俺が笑っているからだろう。
俺は気づきの首の後ろに手を回した。丁度いい程度に切られた髪の毛に少し触れる。
「別れたい、と思ったことがないとは言わないよ、俺」
「安藤…」
「お前と一緒にいると疲れたんだもん。合わないって思ってた」
「…」
今度は木月が黙り始めた。俺は、木月の目を見ているフリをして遠くの星を見ていた。
「…でもさ。やっぱ無理だ。……だってお前そんな可愛い所あったんだもんな」
――俺に惚れたって言ってくれる位。
大体浮気も何もされてなかったんだ。…一途さに怖がってどうする。
「木月」
「……」
黙ってる木月の唇にキスをする。俺からキスをしたのなんて初めてだった。…結局自分の方が惚れてるのを認めるのが癪だったんだ。
「でも、まあ、うん。別れたいって思ったのだって、お前が好きだからだと思うよ」
――少なくともプレアデス星団よりは。きっと。
そんな悪態を付け足す前に、俺は声が出ないほど抱きしめられた。


星達はいくら愛を囁きあっても抱き合う事は無理なんだから、せめて星屑の屑の屑の俺くらいは、恒星位に引力の強い男に抱かれてもいいだろう。