気づいて、気づかないで





 同期同士での飲み会は、毎月1日前後に行われる。
 10人ちょっと、男女半々の同期の仲は入社して2年目も相変わらずで、同期カップルが成立したりするようなドラマもなく、ただ毎日の仕事や近況を話し合って笑い飛ばすような、そんな当たり前の気兼ねのない飲み会だ。
 皆凄く楽しみなようで、会ってから別れるまで常に笑顔だ。
 ――でも、きっと一番楽しみにしてるのは俺だろうな
 そう思いながら、定峰はネクタイを緩めてジョッキを持った。今回の幹事の女子が元気よく「かんぱーい!」というのにあわせ、ジョッキを掲げる。
 そして向かいの男と真っ先にジョッキを鳴らすのだ。
 ――この瞬間と、これからの会話で
 一月の癒しを取ろうだなんて考えているのを、悟られるわけには絶対にいかなかった。








 定峰了(さだみね・さとる)は同期の中では眼鏡、ツリ目、色白、黒髪、細身、とそこそこのキレ者アイテムを所持しているルックスで、色んな場面でブレーンとして頼りにされるタイプだ。だが、外見ドSっぽいだのクールだの言われても、中身は結構そうでもない感じで、そのギャップで同期から嫌われないで居られるのだと定峰は思っていた。
 結構喋って酒も結構強くて、どんな話題にもそこそこついていける。妹がいるから女子の話題にも強いし、見た目ほど真面目じゃないのもポイントだった。仕事も仕事でそこそこ出来るので、上司との仲も悪くない。なかなか上手くやってるじゃないか、と自負してしまうほどだ。
 しかし、人間関係が円滑であればあるほど、どこかで無理をしてしまっているのが人間だよな、と定峰は時折肩に重く圧し掛かるストレスと闘っていた。元より真面目な見た目に反して適当で、すぐに口が出るのを抑えながら仕事をするのは、やはりどれだけ業績がよくても疲れてしまう。それは同期の連中も同じようなもので、だからこそ同期だけの気兼ねない飲み会というのが、月1という結構なペースで行われるのだろう。
 
 そんな定峰の癒しの対象が、同期のかわいい女子をダントツで抜きこの目の前の男――昆川和臣(こんかわ・かずおみ)なのには、単純で明快な理由があった。
 何の事はない、昆川が爽やかで可愛げのあるイケメンだからだ。
 同期連中は男女共にかわいかったり綺麗だったり男前だったり気配りができたりといい奴ばかりなのだが、その中で一番洒落てて優しく素直な昆川の言動に定峰はきゅんとしてしまうのだ。こう書くとまるで昆川がとんだ乙女系男子のように感じられるかもしれないが、彼は別にフェミニンなわけではなかった。
 休日はフットサルや野球に興じているので肌は健康的に焼けていて、身長も177だか8だかとそれなりに高い(それを言ったら定峰も180近くあるのだが)。髪型だって毎朝きちんとしているのだろう、襟足のすこし長い髪をすっきりとまとめている。社外プロモーションやネット渉外などを担当しているだけあって、服装にも気を使っているようだ。

 ――それで性格もおもしろいとか
 詐欺だろ、と新しく肉を頼む昆川を見ながら、定峰は灰汁すくいで鍋をぐるぐるとかき回していた。
「あ、サトルも肉食えよ、俺代わるから」
「ん?おー、食ってた食ってた」
 今日はしゃぶしゃぶの食べ放題飲み放題で、さっきから感慨にふけりながら灰汁取りに精を出していた定峰は、そう言われてやっとまともに昆川と目を合わせた。
 ――いや、さっきからちらちらと見てはいたんですけどね!
 視線が合いそうになる直前にそれとなく他を見ていたせいで、視線が交わることが殆どなかったのである。長く見つめていればこそ培われるそのスキルに、変態かよ俺は、と定峰は内心ため息をついた。
「なんか、相変わらず会社員ぽくない2人だよねえ」
 何を思ってか、定峰の隣に座っていた女子・竹井が口をだした。
「失礼な。俺ほどインテリっぽくしてる会社員も中々いないって」
「定峰くんのはインテリヤクザっていうか、科学者っぽいっていうか。エリート会社員を演じる俳優って感じするんだよね」
 ――鋭くないか竹井ちゃんよ
 ぎく、と灰汁を掬う手を止める。
 スーツが必ずしも必要とされない会社であるのに、定峰の普段の格好というのは大抵かっちりしたスマートなものだった。自分に似合う格好であるという理由の他にも、好きな漫画のキャラクターに似てると昔友達から言われ満更でもなく、それからコスプレのような感覚で着る者を選んでいた節があった。だから、あながち演じてるというのは外れてはいないのだ。家に居るときの定峰のだらしない格好を見られたら、きっと別人だろうと皆思うに違いない。
「昆川くんはアパレルっていうか、バンドやっててもおかしくないっていうか」
 モデルというには身長が足りないかもだけど、などとのたまう竹井の話には、定峰も軽く頷いた。
 昆川はボディバランスがよく、ほどよく鍛えてある体のせいか、何となく定峰より背が高く見えてしまうのである。定峰と昆川が並んで歩いていると、結構女子大生やら見つめられたりもして、定峰的には嬉しかったりする。この場合の嬉しいとは、勿論自分が見られて嬉しいというよりも、昆川がいい男なのだ、と再確認することができるからだった。
「そうかな、俺聴き専だからな。音楽ならサトルがやってなかったっけ」
「え?あ、ああ。まあ」
 ――ここで俺に振るのかよ!
 無茶振りっていうか、どう考えても自分のターンは終わっているから、女子の服装ジャンルの話に相槌を打つだけだろうと思っていた定峰は、面食らって中途半端に頷いた。
 ――正直話したくない話題なんだけどなあ
「なんだっけ、キーボード?」
「そう」
「え、定峰くんバンドやってたの?」
 しかし昆川に嘘をつくことはできなくてさっきよりちょっと強めに頷くと、昆川の隣にいた女子、芳野が口を出してきた。芳野は同期の中でも一番の音楽好きで、有給を使ってまで野外フェスに繰り出す精力的な人間だ。
 こういう奴に根掘り葉掘り聞かれるのが嫌だから女子には黙っていたのに、と眉根を寄せて軽く昆川を睨むと、軽く肩を竦められるだけの反応が返ってきた。本意だったのかそうじゃないのか判断しかねる曖昧な表情である。その後目を細められて困ったように笑う。
 ――!…萌えてやらんぞ!萌えてなんかやらんぞ俺は!
 誰にともなく心の中で強く思って、定峰はついっと昆川から視線を外した。何かを期待してそうな芳野に向かって口を開く。
「やってたよ、もうやめたけど」
 ――嘘でーす、本当はこの間もライヴしましたー自主CDも手渡しましたー
 でも大学の頃のバンドは解散しているからあながち嘘でもないかと自分に言い訳しながら、しれっと言ったのだが、女子の反応は思った以上に大きいまんまだった。
「そうなの?キーボードっていうと何系?フジファブとか打ち込みとか?」
「誰かメジャーになってる人で知り合いとかいないの?」
 芳野の後に続いて竹井まで話しに加わってきた。
 ――だぁから嫌だったんだ
 説明しにくいジャンルで活動していた定峰は内心苦虫を噛み潰す。だが、楽しい飲み会でそれを顔にだすのもなんだから、表情は至って軽いまんまだ。
「んー中間みたいな感じ。一応そん時のボーカルはメジャーになってるよ。ほら、TOKIのボーカル担当したりしてる」
 そう言うと、周りからああ、とかへえ、いう納得したような反応がかえってきた。TOKIはテクノの世界では有名だったが、最近CM楽曲を担当したりしてる分一般にも名が知られてくれてるおかげで助かった、と小さく息を吐いた。
「あの女の子さーフィノだっけ、ハーフの子じゃなかった?」
「そう。一緒の大学」
「そうなんだ〜」
 綺麗だよねー顔も声も、とか何とか言う女子たちの話題は、そこから歌手のスタイルのよさとかにシフトしてくれたようだった。
 やれやれ、とやっと安心したように肉をつまんだ定峰の耳に聞こえてきたのは、ああいうハーフの子は男性受けするのかという話だった。確かにフィノは細くて女性的、というよりは中性的なイメージが強く、そこが逆に女性からの支持を得られたポイントだったりもする。実際の性格とかを知らないのに女子は好き勝手いうものだな、としみじみ思いながら、定峰は肉をゴマダレにつける。ここはがっついておかなければ損だろうと言うように一口で頬張るように食べた。
「俺フィノ好きだけどなあ。きれいじゃん」
 ――?!
「え、昆川くんってそういう子タイプだったっけ」
 女子の話題に自然に入っていった昆川の言葉に、女子が意外そうに聞き返した。自然、定峰も昆川を見上げる。
「うん、ハーフが好きっていうんじゃなくてこー、ああいうスタイル?」
「細いの好きなの?男って結構ぽっちゃりが好き〜とかよく聞くけど」
 竹井が聞く。確かにダイエットしなきゃ、という女子ほどそんな必要がなさそうに見えるんだが、と定峰も心で同意しながら話の続きをそれとなく聞く。同時に、さっき感じた驚きはなんだったんだろう、と小さく首を傾げた。恋愛対象とか考えたことのなかったフィノのことを好き、と言う男になら、今までだって何人か会ったはずである。
 ――ショックとも違うけどなあ
 ふっと昆川をもう一度見ると、目が合った。何か言いたげな顔をされたが、意地の悪そうな笑みを返してやると眉を八の字にされた。
 ――そうそう
 こういうやりとりをするのが楽しいんだよな、とほわほわ癒される自分の心に満足しながら、女子たちも気になっているような昆川のタイプについて早く話せ、と肘で小突いて促した。何がタイプと言われてもそれなりに弄ってやろう、と若干積極的だった。
 そんな定峰の調子に後押しされてか、昆川があえて何でもない風に口をを開いた。
「あー、色白で背が高いの好き」
 しかし何故か定峰の方を見ながら言われ、定峰は突っ込むタイミングを完全に逃してしまった。
 ――はい!自分背高くて色白です!
 と普段のノリなら言えたのかもしれないが、今回ばかりは無理だった。ちょっとだけ下を向いてからジョッキの残りを呷ってしまう。
 色白といっても、背が高いと言っても、それはあくまで昆川基準の女子に対するタイプなだけで、それに関して自分が当てはまってるとか思うこと自体どこか間違っているのだが、そう勘違いしてしまう要因は昆川側にもある、と定峰は思った。
 ――てめえ何だあの顔!
 心の中でもう一人の自分がごろごろ転がっているのが解る。じっとこっちを見てきた昆川の目は冗談ぽさが殆どなくて、まるで自分のことを言われているような気がしてしまったのだ。
 自意識過剰すぎるだろ俺、とごまかすように溜息をついていると、竹井が「じゃあ色白で背高かったら年とか関係ない?」と聞いてきた。こんな風に詳しいことを聞いてくるのは決して昆川を狙っているからではなくて、単純に最近彼女と別れたと情報の久しい昆川に、新しい彼女候補をあてがってやろうかという老婆心のような好奇心のようなものが含まれていることを昆川も解っているようで、だから素直に答えていた。
「できれば年上かなあ」
 ――だから!
 なんでお前はこっちを見て言うんだ、と、昆川のほうを見ずとも視線を感じながら定峰は一瞬だけ眉根を寄せた。
 院卒だったからお前より2つ上ですよ、上なんですよ俺は、と言いたくなるのを必死で抑えながら女子と一緒に「「わかるわかる〜」」と頷きあう。
 同期内でも昆野が姉2人の男1人という末っ子気質だというのは周知の事実だったから、姉さんタイプとさばさばした付き合いがしたいという感じなんだろうな、という意味をこめても「わかる」に昆川は苦笑した。
 それから、ああでもないこうでもないという女子の恋愛事情に相槌をつきながらも、定峰は腹いっぱいに肉と野菜を食べることでさっきの微妙な感情を飲み込んだ。





「じゃ、おつかれさま〜」
「また来月な」
「おう、お疲れー」
 皆三々五々にそれぞれの帰路についたところで、定峰は大きくため息をついた。
 ――心臓に悪かった
 いつもなら癒しの対象でしかなかった飲み会での昆川との会話は、しかし今回だけは非常に疲れる結果となってしまった。
 ――ストレスがたまるとか、そういうんじゃないけどなぁ
 とにかく、なんだか無駄にいろいろ考えてしまった自分が馬鹿なんだよな、と自嘲しながら地下鉄へと向かう階段を降り始めたところで、後ろからぽん、と肩を叩かれた。
「帰りこっちだったっけ?」
「昆、川」
 ――お前丸の内線じゃないのかよ
 といいそうになるのをぐっと抑えて、階段を下りる速度を落としながら昆川を見た。ここでそう言ったとしたら、なんで知っているのだ、と怪訝な顔をされるに決まっているのだ。実際入社してから同期で行動する機会は多かったから、それで自然と覚えてしまったというのが本当の所ではあったが。
「いやー、でもサトルがフィノと同じバンドだったってのは知らなかったよ」
「別に自慢するようなことでもないしなあ」
「プロモとかで使うのにお願いできたりとかしないかな」
「あ〜、どうだろ」
 ――やっぱそういうことか
 フィノ自身はそこまで有名というわけではなかったが、確かに会社のポスターとかに使えたらいいのができそうだ。そのコネを作ってくれないか、ということなのだろう。そうでなければ、わざわざ追いかけてなど来ない気がした。
「ってのは口実で」
 ――ほーら
 それ込みでフィノに会いたいって言うんじゃないか、と定峰はちょっとわかりやすく鼻白んだ、つもりだった。

「サトルのこと言ったのに全然こっち見てくれなくなったから、大丈夫かなって」

 ――・・・?
 完全に思考が停止して、階段を一段踏み外す。最後の段だったから大事にはならなくて済んだが、頭の中をその直後階段から落ちるより強い衝撃が走った。
「うわ、サトルどした?けっこーそういうドジなとこあるよなあ」
 見た目はそうでもないのに、と笑いながら軽く背中を支え、昆川は笑った。
「はぁ?!」
「え?」
 思わず自分にしては大きな声を出して昆川を見ると、どれに対しての“はぁ?!”なのか解らなかったようで首を傾げられた。
「全部だ全部!からかうなら女子をからかいなさい!」
「そんなそんな。うちの女子タフじゃん」
「そういうんじゃなく…バカかお前は」
「ひっでぇ」
 昆川は笑った。まったくへこたれてないらしい。
 ――少なくとも
 俺みたいなのにそういうのをふっかけられるその度胸に萌えておくべきなんだろうか、と見当違いの事を思いながら、定峰は昆川の二の腕あたりを拳で軽く突いた。
 だが、その力ない突っ込みは、昆川の手によってつかまれる。
 そのままちょっとだけ引き寄せられて、そんじょそこらの漫画でもないような展開に定峰は目を見開いた。
 昆川の口が耳元に寄せられる。
「でも、そういうとこも割りと俺のタイプです」
「・・・・・・・・・・・!」
 馬鹿じゃないのか、と言おうとしたが言えなかったのは、昆川の顔が真剣そうに見えたからだろうか。それとも、そんなことを言われて少しでもうれしい、と思ってしまった自分が悪いのだろうか。
「お前・・・」
 そこから先の言葉を捜すと、昆川がさえぎるように前を歩き出した。
「俺、サトルのこと思ってる以上に知ってるからな」
 だから大丈夫! とわけのわからないことを言って地下鉄の改札をするりと抜けていった昆川を追いかけることができなくて、定峰は歩くのをやめた。

 ――な、に、を
 ――知ってやがるんだお前は!!!
 今日の飲み会だけでもずいぶんのことを隠して話を進めていた手前、何をどれだけ知られているか、考えただけでも冷や汗が止まらない思いがした。
 ――つーか、それ以前に
 ――ドキドキしてんじゃねーよ俺…
 呆れる位純情な鼓動の高鳴りを誤魔化すように、大きな大きなため息をつく。
 
 ――気づくな、気づくな

 ずっとずっと癒し、だけで片付けてきたことを、誰にも自分にも気づかれたくなくて、定峰は何もなかったかのように歩き始めた。