白馬の微笑
〜耳年増〜
――それは、普段と変わりの無い夜の事だった。 普段と違うことがあるとすれば、梅雨がその終わりを見せまいとしているかのように強めの雨が窓を叩いていて、そんな豪雨の所為で「帰る気がしねえな」とのたまった吉浦が、どういう訳だか午後11時の現在未だ部屋にいるという事だ。 ――別に何もされてないから、普段と変わりのない事には違いない、のだ。 「…しっかし」 缶ビール片手に、ネクタイも外してこの上なくリラックスしたような背中をこっちに向けた状態で、吉浦は言った。 「あんたの部屋、本当に殺風景なんだな」 「…何を、今更」 カチャ、と台所に茶碗を置きながら川西は口を開いた。 今日も今日とて外食に誘われたのだが、川西にはどうしても今日中に仕上げておかなければならない仕事があったので丁重にお断りするという旨をメールにて送信したのだ。そうしたら『じゃあ何時にあがるんだ』ときたので普通に10時半くらいには終わるかなと思い――それは有坂に【超希望的時間】といわれた時間だったが――それを告げたら、1分と経たずに『あんたの家に行く』と返信がきた。それこそお断りしたい事態である、とムチャクチャな理論で遠慮したいと送ったのだが、それは見事に無視をされた。 ――それに、『俺がメシを作るから』と言う言葉に揺れてしまったのがいけない。 実際料理は美味しかった。親子丼に味噌汁その他と言うのはカロリーも高そうな気がしなくもないのだが、実際はそうでもなく味は至ってやさしめで、最近の修羅場続きでまたもおかしな食生活になっていた川西の胃を一気に癒してくれた。茄子と油揚げの味噌汁は反則だ、好きなコンボである。 「…流石に家に来て直『殺風景だな』なんて言う訳ないだろうよ」 「……そりゃ、そうだろうが」 お互いに背中を向けているのに、何となく雰囲気はよく解った。幾度となく体を重ねてればこういうのも解るようになるのだろうか…と思いをめぐらせて時点で川西の思考は一瞬固まってしまう。 ――な、何故俺は冷静にそんな事を考えられるのか… きっと疲れがたまっているのだ、そうに違いないと思いながら無心に茶碗を洗う事にする。作ったのが吉浦なら、洗うのは川西だ。料理ができない川西でも流石に食器洗い位は出来る。1人暮らしを始めた時に母親が2つずつ揃えてくれた食器が今久し振りに食事に使われ洗われたのかと思うと、少しの感慨も出てくるというものだ。…申し訳ない気持ちも、なくはないのだが。 「生活感のなさとは裏腹に、パソコン機器だけは充実してるしな…」 「――…趣味と仕事が直結してるんだから仕方ないだろ…」 「出たよ仕事中毒」 「…してないよりゃマシだろ」 「……大分話すようになってきたな」 「っ!」 洗おうと思った箸が、手から零れてカシャンとシンクに音を立てる。 水音に気を取られて気づかなかったが、実はすぐ後ろに吉浦が来ていたのだ。 「…まだ洗ってるのか?」 「――平均速度、だ」 耳元で話しかけられても答えられるようになってきたのは、ひとえに川西の努力の賜物だ。 そう、例え後ろから柔らかく抱きしめられていたとしても、洗い物をする集中力はある。 「ほっとけよ、さっさとくっつこうぜ」 「いっ、今くっついて…」 るじゃないか、という言葉は飲み込まれるようにして消えた。 うなじの辺りを、ゆっくりと吉浦の唇が這ったからだ。 ちょっと前に髪を切ってから、事あるごとにそこを触られるようになった。初めての時から随分固執しているようだったが、ここまで解りやすく反応を示されるのもそれはそれで複雑だ。 しかし何度やられても慣れることはなく、すぐに川西も行動不能になってしまう。 キュッと蛇口が締められ、冷水にさらされ濡れた手に吉浦の指が絡まってきた。 「…日付変わる時には、しっかり乱れさせてやるよ」 「――…ゲームでもよく言わないぞ、そんなの…」 憎まれ台詞にニヤリとした笑みで返すと、吉浦は有無を言わさず川西を寝室の方へと連れて行った。 ――いつの間に布団の場所まで… と思ったが、思えばダイニングのほかに寝室しかない我が家だ、間取りなんて知れたものかと押し倒されながら川西はぼんやり思うのだった。 寝室には布団が敷きっぱなしで、まるで吉浦とこうすることを期待していたといわんばかりに掛け布団だけ畳んであった。万年床という訳ではないが、疲れがたまって倒れているところに仕事場から急な連絡がきて、慌てて家を飛び出したのだ。川西に非はない。 しかし、吉浦には好都合以外のなにものでもない。 「なあ」 「………何」 シャツのボタンを外しながら、早くも川西の膝を割って入ってくる吉浦を見上げると、薄暗がりの中でも奴が笑っているのが解った。 ――こういうときが、一番恥ずかしい 特に触られているわけでもないのに、相手の瞳は間違いなく自分を犯そうとしている。 ――いや、犯されるわけじゃない、か 一応、不本意ながら、合意なのだ。 とにかく、そういった瞳に見られて反応しかかっている自分が、非常に恥ずかしい。 やるならさっさとやっちまえと、そう思ってしまうときだってあるのだ。実際盛り上がってる最中は意識だって半分溶けたようなものだし、それならそれで恥ずかしいも何もないのだから。 「布団の上ってのも、結構いいな」 「……しゃべん、な」 「ベッドより音が出ないし、落ちる心配もない」 ――無視するな…! そう思うのだが、もう言葉にはできなかった。というのも、口をしっかりと塞がれてしまったからだ。勿論、一番ロマンチックな方法で。 「……んっ…」 上半身裸になった吉浦に、脱がされながら深く口付けられる。相手の熱い舌を、どうなっているのか自分ではよく解らない口腔内で感じるのは酷く曖昧で、だからこそこんなにも身体を浮かすように熱くするのだ。 「…んぅ…っあ、はぁ…よ、しうら…」 「何だ、明日仕事が、とか言う気か?」 「それは…違う」 ――体反発座布団を買ったからな… ふと冷静になって仕事場の椅子を思い出す。こんなこともしばしばある。それはそれで我に返ったとき目前に吉浦の顔があって驚く事はあったのだが、今回はもう慣れたらしかった。視線を外すように顔を仰け反らせて、そうすることで事なきを得たのだ。結構なレベルアップ振りだ。 「んん゛っ」 しかしそうすることによって首筋に噛みつかれるようにキスをされてしまったのは、不覚と言うより他はない。 「色気のねえ声だなあ」 “まあ痛いのは仕方ないか”等と1人納得するように呟く吉浦を、川西は力なく睨みつけた。 こういう事をするようになって解ってきたのだが、吉浦は結構なサド嗜好の持ち主だ。 人を痛めつけてそれに性的悦びを覚える――という程の物ではないが、血が出るかでないか、そのスレスレの所まで歯を立てたりキスマークをつけたりする。はっきりいって、痛い。 だが、その瞬間3回に2回は出てしまう浮ついた声を、吉浦は求めているらしいのだ。ついでに言うとその時の表情も“たまらない”らしいのだが、自分の顔に何の魅力も感じない川西としては不思議で仕方がない。 ――まぁ、羞恥プレイだとか放置プレイだとかに走ってくれないだけ、マシだ。 そう思ってしまうのは、川西の過去のゲーム作成経験からだ。触手だとか拘束だとかそういったある種ファンタジーと言っていいジャンルのエロゲームを見てきた川西にとって、吉浦の今までの行為はまだまだ許容範囲内なのである。寛大といえば聞こえがいいが、こういった場面でもそうであるのは若干あっちの気があるのかもしれない、と若干の危惧を抱いたのはつい先日のことだ。 「…ふ…ぁ…」 胸から臍の部分にかけてゆっくりとまさぐっていた吉浦の熱い手が、するり、と下腹部から更に下を撫でる。やんわりと掴まれては思わず出てしまう声に、ようやっと熱が入ってきたような気がした。 ――ああ、もう少しか もう少し何も考えないで快感に身を委ねれば、直に何もかもどうでもよくなってくることだろう。あと少しの汗、あと少しの辱め。 早く、恥ずかしいだなんて思うことすらできなくなる位、触ってくれればいいのに。 「…ほら、あと少しだ」 吉浦も解っているのだろうか、それとももっと別の事に関してだろうか。にやり、と口の端を歪ませるようにして笑いながら巧みに川西のモノを擦る。 チュ、とキスするようにして川西の胸の突起を口に含み、川西がより感じるやり方で、舌の先端を使い攻めたててくる。 「あっ…く、ぅん……――っ」 思わず腰が揺らぎ、一気に汗が滲んでくる。それを認識するかしないかの内にビクリ、と達してしまい、そのごちゃごちゃとした全身を覆う快感で、冷静さは一瞬にしてどこかへいってしまった。 ――だから、あんな提案にも頷いてしまったのだ はぁはぁと短い呼吸を繰り返す川西の手を取って、吉浦は自らの熱が集まっている所へと触れさせた。 「…欲しいなら」 ゆっくりと、まるでどこから出ているのか見当のつかない声が紡がれる。耳ではなく触れている皮膚から直接心臓に届いているような、そんな震える声だ。 「その口に、くれてやろうか」 「……っよしう…」 ぐい、と手首から先を掴まれて引き起こされる。眼鏡を外されて焦点のなかなか定まらない視界は、それでも熱の中心が解るほどには近くに引っ張られたようだった。 「ほら」 ゴクリ、と思わず喉が動く。今まで舐められた事はあっても舐めた事はなかったのに、何故か今非常に興奮している自分を川西は感じていた。 いや、もうまともな思考回路ではないのだ。 「………」 ゆっくりと、口を開き、ちろりと出した舌でもう大分硬くなっている吉浦のモノを、根元から上に向けて細く舐め上げる。同じ様に舌の先端でもう一度同じ道を下り、それから舌全体を使って舐めてから口に含んだ。 「…っ」 吉浦が短く息を吸ったのが解る。だが上を見ることはなく、ただ川西は黙々と先端に刺激を与えた。奥深くまで口に含んだ状態で、舌を使い上の括れをなぞる。収縮する内壁のように吸ったり上下に嘗め回してやれば、ひくりと吉浦の内股が震えた。 「…っ、う、まいじゃねえか」 その声に上目遣いで応えれば、無言で頭を優しく掴まれた。緩く腰を動かされ、喉の奥を突かれそうになるのを必死で避けながら刺激を与える。 「…いくぞ…」 飲め、と言われることはないが離されることのない手から本能的に理解して、ぐっと覚悟をする。 「――っ」 「――ん゛んっ」 くぐもった声を漏らしながらも何とか口腔内で受け止めて、味わわない内に一気に飲み込んだ。そうしてもどうしたって残ってしまう残濁を舌でどうにか片付けようとした瞬間に深く口付けられる。 「…たまんねえな、やっぱり」 そう、至近距離で片眉だけを器用にあげて、それでも愛しさが伝わってくるような笑みを湛えた表情で、吉浦は再び激しい愛撫をスタートさせた。 ――それから先は、もう本当に何が何だったか覚えていない。 2度ばかし達かされて、深く深く楔を埋め込まれたその熱だけは何とか体の重みで解った位だ。 「なあ、なんであんたはあんなにフェラが巧いんだ」 冷蔵庫から缶ビールを取り出しながら、シャワー上がりの濡れ髪をうざったそうに後ろに流した吉浦は、うつ伏せになって死んだようになっている川西に向かって訊ねた。 「…何でそんなに直接的に聞くんだ…」 やっぱりかすれている声を確認しては、またぐったりと気力がなくなっていったのを感じる。 ――というか、何でこんなに元気なんだ、こいつは そりゃあ攻める方と攻められる方では負担が全然違うだろう。理屈では解っているのに腑に落ちない思いを抱えながら、川西は胡坐をかいて座り込む吉浦の逞しい背筋をじとっと睨んだ。 「気になるからだよ。まさかあんた、前に男と付き合った事があるとか言うなよ?」 「それは、ない…」 ――何を言い出すんだ… たかだかフェラが巧かった程度でそんなあらぬ疑いを掛けられては頑張った甲斐もないというものだ。 ごろり、と吉浦の方に体を向けながら、答えを待つ相手の目をなるべく見て川西は口を開いた。 「…言っただろ、エロゲー畑出身だって。だから、耳年増というか…」 ビジュアルエフェクトが正常に働くかという点で、何度もエロシーンのテキストだとか動画だとかを見させられたことがあった。勿論それは二次元の女の子がファンタジーにも似た巨根相手に奮闘するという感じのものだが、野郎のファンタジーが詰まっているだけあって、無駄にテクニックはあったのだ。 「…それだけか?」 「――じゃ、相性が良かったって事で…」 ――ああ、段々眠くなってきた このまま吉浦が追求してこなければ、何だかいい夢がみられそうな気がする。まだ口の中が微かに苦いが、寝てしまえば何ら気にはならなくなるだろう。 だが、それは吉浦の豪快な笑いで吹き飛ばされてしまった。 「な…」 「いや、すまん。安心したのと想像したのとで」 ――一体どんな想像をしたんだ! コト、ともう空になったような音をたてて缶を置くと、吉浦がタオルケットの上から圧し掛かってきた。 「くっ、るしいだろ…何し…」 「好きだぜ」 「!!」 耳元で囁かれる重低音。わざとらしい言い方なのに、酷く心臓を掴まれるのは何故なのか。 「…な、このまま泊まってっていいだろ」 「ば…馬鹿言うな」 「ずっと触ってたいんだよ」 する、と入り込んでくる手を弾こうとして握られる。指を絡められ、さながら恋人繋ぎといった所か。 吉浦は初めの誤解から、こういう場面で積極的に自分の欲求を口にするようになった。解りやすくて助かるといえば助かるのだが、川西はそれに慌てるばかりでどうしても後手になってしまう。 今もそうだ。 結局布団への侵入を簡単に許してしまって、あまつさえ腕枕をされてしまった。こうなれば、逆らおうというほうが無理というものだ。 ――ああ、でも ――とどのつまりは自分にも拒否する気がないと、気づかされるのが恥ずかしいだけであって、だな。 こうされること自体は嫌いじゃないのだと、素直に受け止めて眠りに落ちていこうとする川西の前髪を、吉浦はゆっくりと梳くのだった。 「…あんた、雨が止んでるの知ってたか?」 End. |