北へ! 東北&ほっかいどう銀河新幹線
・この路線をめぐるエピソード・
    3. 北の始発駅はなぜ東京か?(3)         〜消えた新宿ターミナル〜                (東 京 その3)

1.ターミナルが足りない!

 1970(昭45)年5月に国会で可決・成立した「全国新幹線鉄道整備法」、略して全幹法は、「高速輸送体系の形成が国土の総合的かつ普遍的開発に果たす役割の重要性に鑑み、新幹線による全国的な鉄道網の整備を図り、もって国民経済の発展と国民生活領域の拡大に資する」ことを目的としていました。

 東北新幹線は、上越・成田の各新幹線とともに、この全幹法に基づいて着工が決定された最初の新幹線です。東北・上越・成田が着工した翌1972(昭47)年には東北(盛岡〜青森)、北海道(青森〜札幌)、北陸(東京〜大阪)、九州(福岡〜鹿児島)、九州(福岡〜長崎)の5新幹線の基本計画が決定、翌1973(昭48)年にはこの5路線について整備計画の決定及び建設の指示がなされるとともに、新たに12の基本計画路線が決定されました。マスコミ等に取り上げられる「整備新幹線」とは、整備計画が決定済みの5新幹線を指しています。

 話を戻しましょう。
 東北・上越新幹線が着工した2年後、先の5新幹線の整備計画が決まりました。しかし、この決定は新幹線の東京ターミナルが飽和状態に達し、新たなターミナルを必要とすることを意味していました。


東海道・東北・上越の各新幹線の要をなす東京駅。
当時の計画では、最も拡張した場合でも第6〜第9ホーム(8線)とされた。
その代わり、東海道と東北・上越のスルー運転で線路容量を確保する計画だった。
この8線をフルに使っても、北陸新幹線の開業や東北・上越の増発には対応できないと考えられた。
2004/05/30(日) 10:45 東京駅にて (のぞみ112号到着時)

 たとえば北陸新幹線は「東京都を起点とし、長野市付近・富山市付近・小浜市付近を経由して大阪市に至る」路線で、「東京都・高崎市間は上越新幹線を共用」する計画です。一方、東北新幹線(盛岡〜青森)は「盛岡市を起点とし、八戸市付近を経由して青森市に至る」路線、北海道新幹線は「青森市を起点とし、函館市付近・小樽市付近を経由して札幌市に至る」路線ですが、既に着工されていた東北新幹線(東京〜盛岡)と同一の建設規格となっており、直通運転が前提の計画です。つまり、東北・上越・北陸・北海道の各新幹線は、いずれも東京を起点とする運転系統が中心となると考えられていたのです。
 当時の東北新幹線東京駅の計画は、東海道との直通を前提とした5線を確保するものでしたが、これら4新幹線の運行には不十分と考えられました。ターミナル設備だけでなく、東北・北海道と上越・北陸が合流する東京−大宮間では列車が集中して運行能力を超える(=線路容量が飽和する)ことが予想されました。そこで考えられたのが、東京都〜大宮間を結ぶ第2の新幹線(以下「第2新幹線」)の計画でした。

2.第2ターミナルは新宿に

 この第2新幹線は、「東北新幹線(以下「第1新幹線」)の東京−大宮間の線路容量が飽和する時期を見越して計画に着手する」とされたため、検討した資料が公式に残されているわけではありません。しかし当時の国鉄発表の資料や関係者の証言から、計画の大要を知ることができます。


↑ 第1新幹線と第2新幹線
第2新幹線は東北貨物線の用地を利用してつくられる予定だったとされる。


 第2新幹線のターミナルは、新宿を想定していました。別に記した通り、東北新幹線のターミナル選定、さらに以前の東海道新幹線のターミナル選定でも、新宿は有力な候補となった経緯があります。それに、東京駅付近に新幹線のターミナルを新設する余地はほとんど残っていなかったことも、新宿案を後押しする強力な動機だったと考えられます。当時、東京駅周辺では、成田新幹線の鍛冶橋地下駅(後に京葉線東京駅に転用)、あるいは総武快速線の東京地下駅などが工事中でした。

 実は、当時の国鉄では、将来も新宿の発展が続くことを予想して、様々な鉄道新線のターミナルを新宿に配置できるよう地下空間の利用計画を策定していました。この計画は「大新宿構想」と呼ばれました。「大新宿構想」は都市計画決定がされたものではなく、あくまで国鉄部内の計画の域を出ないものでしたが、関係する鉄道事業者(国鉄・営団・東京都交通局)の設計協議に色濃く反映され、実質的な新宿の地下空間利用計画として定着していました。

 「大新宿構想」では、新宿に新幹線のターミナルをつくり、これを「大新宿」の核とすることが考えられていました。ターミナルの位置は、新宿駅南側の貨物駅用地を転用、その地下を想定していました。乗り入れるのは、大宮に向かう第2新幹線と、まだ基本計画にすぎない中央新幹線です。さらに南側からは東海道新幹線の新宿乗り入れも考えられていたといいます。当時の中央新幹線は、リニアモーターカー(マグレブ)ではなく、通常の鉄道タイプを想定していました。

新宿駅の埼京・湘南新宿ホームから高島屋タイムズスクエアとNTT DoCoMo代々木ビルを仰ぐ。
このホームと巨大ビル群は、新宿駅南側の貨物ヤードを再開発して生まれたもの。
「大新宿構想」では、この画面の地下に大規模な新幹線ターミナルを建設、新宿の核とする計画だった。

2004/06/04(金) 14:45 新宿駅3番線にて 

 地下空間利用計画では、新幹線のほかにも国鉄部内で「開発線」と呼ばれた東京近郊(つくばや湘南等)へ向かう通勤新幹線の乗り入れも考えられていました。関係する地下鉄(丸の内線、10号線、12号線、13号線)の駅は、これらのターミナルと連絡する位置に配置する計画だったのです。

 新宿ターミナルを出た第2新幹線は、新宿から山手貨物線の地下を池袋付近まで進み、ここから東北貨物線の直上を高架で駒込に至ります。ここで地下にもぐり、赤羽付近で再び高架へ。第1新幹線を交わした後、東北貨物線を転用した敷地を高架で大宮まで進み、第1新幹線に合流する計画でした。既に発展した山手・京浜東北線沿線での用地買収が困難であることを考慮して、全線が既存線の地下又は直上高架、さらには既存線の敷地転用という大胆なルート選定でした。

3.「大新宿構想」のその後

 「大新宿構想」が描かれた1973(昭48)年頃の時点で見ても、その鉄道新線計画は、明らかに当時の現実の投資能力をはるかに超えるものでした。各方面に計画された「開発線」などはその典型です。
 しかし、それでも地下空間の利用計画は真剣に検討されました。それは何故か・・・・当時の東京は、さらなる膨張を続けていました。それどころか、どこまで膨張するのか、その先すらも予測できない巨大都市に変貌しつつあったのです。このような状況にあって、将来、一体どこまで鉄道をつくれば通勤混雑の緩和が図られるのか、当事者ですら戸惑っていたことが伺えます。


当時「大新宿構想」の夢が描かれた新宿駅南側貨物ヤードの「いま」の姿。
「大新宿構想」の新線計画は芳しい成果を挙げなかった。しかし都市発展の視点から眺めるとき、
高島屋タイムズスクエアやNTT DoCoMo代々木ビルの存在は"新宿"を南側に拡大させた。
2004/05/30(日) 12:37 甲州街道歩道橋より撮影

 ‥それから30年。「大新宿構想」の計画通りに実現したのは、1971(昭46)年に着工済だった都営地下鉄10号線(都営新宿線)、1990(平2)〜1992(平4)年着工の都営地下鉄12号線(都営大江戸線、*1)、そして1999(平11)年着工の東京地下鉄(株)13号線の3路線。それに大江戸線と新宿アイランドタワーに接続する丸の内線西新宿駅(1996(平8)/05/28開業)のみです。計画を策定した国鉄自身は分割民営化されて既に消滅。地下鉄計画、ひいては地下空間の利用に強い影響を与えてきた帝都高速度交通営団も民営化されました。しかも2度にわたるオイルショックと経済成長の鈍化、財政の悪化等から国鉄関連の新線は1つも開業していません(*2)。

 正確に言えば、国鉄関連で完成したものが唯一つあります。それは当時の計画になかった、埼京・湘南新宿ホームです。
 そもそも埼京線自体、東北新幹線が埼玉県下を通過する見返りとして計画された路線ですが、そのターミナルに選ばれたのは新宿でした。といっても新宿に乗り入れるために新路線を建設したわけではありません。池袋−新宿間は山手貨物線を活用、新宿は貨物側線の撤去跡と貨物ヤード跡地の一部を使ってホーム1面(2線)を設けたのでした。この工事の完成を待って、埼京線は池袋暫定開業から半年を経た1986(昭61)年3月、晴れて新宿乗り入れを果たしました。その後、1991(平3)年3月には、成田空港へ直結する特急「成田エクスプレス」の発着に備えて、貨物ヤード跡地にさらにホーム1面(2線)を新設しました。
 2001(平13)年12月には、大船(小田原)−渋谷−新宿−池袋−大宮を貨物線経由で結び、東海道/横須賀・東北/高崎線を相互直通する運行系統、「湘南新宿ライン」の運行が開始されます。東京−上野間の「縦貫線」の完成を待たず、業務・商業の両面から発展著しい新都心3区を経由して東京の南北を直結する画期的な運行系統の誕生ですが、このとき旧埼京線ホームと旧成田エクスプレスホームをあわせ、南行・北行のホーム2面(4線)として機能するよう改良されています。その後2002(平14)年12月には、埼京線とりんかい線(東京臨海高速鉄道(株))との相互直通運転の開始により、臨海副都心へ向かう電車もこのホームから発着することになり、非常に多目的に活用されています。

 これまで見てきたように、新線建設という面では芳しい成果を挙げなかった「大新宿構想」。しかし都市開発の面から見ると、その発展ぶりには目を日張るものがあります。1996(平8)年にオープンした高島屋タイムズスクエアは、休日には13万人、年間3,000万人の買い物客が訪れる大商業施設です(*3)。1998(平10)年には、高島屋タイムズスクエアの向かい側に、中央・総武緩行線/山手線と小田急電鉄を跨ぐように建設された人工地盤「小田急サザンテラス」と隣接する「小田急サザンタワー」も誕生しました。 いま、甲州街道を横切る歩道橋に立てば、新宿の人の流れが、甲州街道を越え南側にも押し寄せたことが実感できます。このような流れは高島屋タイムズスクエアの完成前には全く考えられなかったことです。
 「大新宿構想」の夢が描かれた新宿貨物ヤード跡地は、"新宿"という街を南側へ拡大させ、さらなる成長を遂げさせたのでした。


4.幻に終わる計画


 2003年秋現在、北陸新幹線が富山までフル規格で、東北新幹線も新青森までフル規格で、それぞれ既に着工しています。整備新幹線ネットワークの全面整備実現が疑問視されている現在、確実とは言えないにせよ、いつの日か、北海道・東北・上越・北陸の各新幹線が東京を起点にネットワークを広げる時代もやってくるかもしれません。そんな時代に備えて、新宿−大宮間の第2新幹線を整備すべきとの論調も一部にあります(*4)。しかしこれは非現実的な願いといっていいでしょう。

○問われる採算性

 北海道新幹線の事業採算性が良好とされる秘密は、航空旅客の大幅な新幹線シフトによる旅客収入を建設費返済の原資に充てるスキームにあります。北海道新幹線建設促進期成会「北海道新幹線の需要予測と収支採算性について」(監修:佐藤馨一北海道大学大学院工学研究科教授)によると、新幹線の開業に伴う新規旅客需要の誘発をカウントしなくても、航空旅客からのシフトだけで年間671億円程度の増収効果が期待できるとしています。この増収効果40年ぶんから利息を差し引いた残りで、建設費の大半を賄うことが可能です。しかも、当サイトでこの研究を精査したところ、費用項目を国鉄時代のデータを元に過大に見積もったと思われる箇所があり、実際の増収効果はより大きくなると考えられます。
 しかし、新宿−大宮間の第2新幹線はどうでしょう? そもそもこの新幹線は東京−大宮間の輸送力増強の一環として計画されたものですから、そのプロジェクト自体が新たな収入を生み出す性格のものではなく、増収効果は皆無に等しいプロジェクトです。もちろん採算性だけが建設の判断基準ではありませんが、大深度地下方式で建設しても8,000億円程度の投資となる第2新幹線。その建設費の大部分を公的負担するシナリオは、よほどのことがない限り、期待しづらいと考えます(*5)。
 もちろん第2新幹線に東北線や埼京線の通勤混雑の緩和緩和の役割を持たせるなどして、いわば都市通勤鉄道の位置づけを持たせて建設することも不可能ではないでしょう。しかし、運輸政策審議会の審議過程で取り上げられた「広域ネットワーク形成に資する路線」は、「京葉線の中央線方面延伸(東京−三鷹間)」を中心に、これと総武・京葉接続新線(新木場−新浦安−船橋−津田沼)や西武新宿線、東海道貨物支線(東京貨物ターミナル経由)を接続させるものだけです。第2新幹線は当然これらの計画よりプライオリティ(優先順位)の低い投資対象とみなければなりません。

○第2新幹線がなくとも、東北・ほっかいどう銀河新幹線は実現可能

 はっきりしておかなければならないのは、「東北・ほっかいどう銀河新幹線(東京−札幌間)の整備にとって、この第2新幹線の建設は必須の条件ではない」ということです。以下で具体的に検証してみましょう。

 札幌延伸で想定される輸送密度は新青森−札幌間で平均9,000〜15,000人/片道・日程度であり(*6)、その大部分が首都圏発着旅客であることを考慮しても、東京発着列車は横4列座席のゆったりした車両による8両編成を毎時2〜3往復も走らせれば十分対応できます。
 一方線路容量ですが、東京−大宮間の第1新幹線は、現在の設備でも2分強の間隔で続行運転を行うことが可能ですし、2005年度に予定される新型ATC(*7)への改良により、さらなる運転間隔の短縮も可能です。このことから、札幌延伸や北陸新幹線の延伸に伴う増発には余裕を持って対応できると言えます。
 問題は東京ターミナルの容量です。現在、東北新幹線の東京駅は上越・長野(北陸)の他新幹線や山形・秋田等のミニ新幹線、上野第運転所に入出庫する回送列車も含め、ピーク時には毎時11〜12本程度の列車を扱っています。東京駅の発着能力は毎時15〜16本程度であり、現在すでに限界が近いことがわかります。
 しかし先の通り、札幌延伸に伴う旅客増加は8両編成で十分対応できること、長野(北陸)の全列車と上越の一部は今だ8両編成であることを考えると、異系統の併結を行えば、毎時8連5本程度の増発余力は備えているといえます。実際、2004年春より東京−高崎間で上越・長野(北陸)の各新幹線の分割・併合運転を実現する工事が施工中です(*8)。また北陸新幹線が開業しても、長野発着列車の延長で対応されると考えられることから増発幅が小さく、あまり大きな影響はないものと思われます。

 異系統併結してもなお増発できない場合は、東北新幹線東京駅のホーム増設を考える必要があるでしょう。第5ホームの新幹線化(20/21番線)の際にかかった費用は、中央線重層化等の付帯工事も含めて約950億円と推定され(*9)、今後新幹線ホームを増設する場合にはこれよりコストがかさむ可能性があります。しかし8,000億円規模が予想される第2新幹線の建設費に比べて、はるかに少額で済むことは間違いありません。


↑ 住宅が密集する市街地を貫く東北新幹線(第1新幹線)と埼京線(通勤新線)。
その建設には約15年の歳月と多くの犠牲が払われた。
既存ストックの活用で新しい交通軸をつくるという東北・ほっかいどう銀河新幹線のコンセプトは、
この犠牲の上に成り立つことを忘れてはならない。


2002/09/29 15:30 赤羽台トンネル終点方(東京都北区)にて
列車は新潟発東京行「Maxあさひ318号」
(E1系)


○既存の鉄道ストック活用の時代に 〜第2新幹線の挫折〜

 かつて、国土開発の名のもとに新幹線建設が考えられた時代がありました。冒頭に記した「全国新幹線鉄道整備法」はその象徴です。そして、この第2新幹線の計画もまた、そんな時代の遺物といえるかもしれません。

 しかし‥時代は変わりました。社会のあらゆる場面で、新規の設備投資よりも既存ストックの有効活用がうたわれ、大規模な設備投資は避けられる傾向にあります。その象徴が、先に記した「大新宿構想」でしょう。国鉄関連の新線プロジェクトは一つも実現しませんでしたが、埼京・湘南新宿ラインのホームは、今日もひっきりなしに電車が発着しています。かつて東京の流通を支えた山手貨物線は、今や東京のヒトの動脈として新たな使命を託されました。かつては貨物列車のみが走った2つの軌道の上を、今は埼京線・りんかい線・湘南新宿ライン・ホームライナー・成田エクスプレス・貨物列車と実に多くの種類の電車・列車が運行しています。

 このサイトで取り上げる「東北・ほっかいどう銀河新幹線(東京−札幌)」整備のコンセプトは、既に八戸まで到達している既存の東北新幹線を活用、その先を延伸することで、首都圏〜東北〜北海道のあいだに太い交通軸を確立することにあります。つまり「東北・ほっかいどう銀河新幹線(東京−札幌)」の整備は、既存の鉄道ストックの活用を基礎にした、採算性を強く意識したプロジェクトであることを忘れてはなりません。その観点から言えば、莫大な費用がかかる割に収益が見込めない第2新幹線の建設は、「東北・ほっかいどう銀河新幹線」のコンセプトに全く馴染みません。

 ところで、先に記した「大新宿構想」に関係するビッグプロジェクトが計画されています。すなわち京葉線の三鷹〜新宿〜東京間の延伸です。
 2000(平成12)年1月に答申された運輸政策審議会の18号答申で取り上げられたこの路線は、三鷹〜立川間の複々線化や京葉〜総武連絡線(新木場〜新浦安〜船橋〜津田沼)とあわせ、首都圏の東西を貫く高速幹線鉄道として計画されています。さしずめ「中央・総武超快速線」といったところでしょう。整備に際しては、「整備主体の見通し等の鉄道整備にかかわる熟度、投資能力等の面で解決すべき基本的な課題があり、現時点で開業は特定できないが、少なくとも目標年次(18号答申では2015年)までに整備着手することが適当である路線」とされています。この路線は現在のところ大まかなルートしか公表されていませんが、新宿駅については、かつての東海道方面の通勤新幹線の駅空間を転用することが考えられます。
 完成すれば、中央快速線の抜本的な混雑率緩和が期待できるだけでなく、八王子・三鷹と新宿・東京、そして船橋・津田沼・海浜幕張・千葉・成田空港などを結んで首都圏を東西に貫く大幹線鉄道の礎を築く超優良プロジェクトです。にもかかわらず建設計画が一向に煮詰まらないのは、やはり資金計画の不透明さ、そしてこれだけの巨大事業を実施するリスクを負う主体が存在しないことです。都市再生の起爆剤となりうる、このプロジェクトですら、今の時代のなかでは、やすやすと生まれることを許さない・・これが大型プロジェクトを取り巻く現実なのです。いわんや第2新幹線など・・。

 実現の見込みが全く立たない現在、第2新幹線の計画が永い眠りから醒めることはないでしょう。それが永久(とわ)の眠りになるかもしれないというのに・・。

2003年11月3日 筆者記す 2004年8月4日 加筆

(*1)12号線は次の3区間に分けて着工された。練馬〜光が丘 1986年6月着工/新宿〜練馬 1990年8月着工/新宿〜都庁前(環状部) 1992年2月着工。
(*2)国鉄の新線計画がなくなったため、地下鉄等の空間計画は変更された部分もある。たとえば12号線(現大江戸線)の新宿駅は当初計画の新宿西口広場地下から国鉄の計画(中央・総武方面の通勤新幹線)中止で浮いた空間に変更された。このため同じ都営地下鉄である10号線どうしの接続は現計画より改善された。
(*3)住友信託銀行ホームページ「リサーチカフェ」「新宿高島屋開業の影響」より。(数値は同行による高島屋へのヒアリング資料から)
(*4)川島令三「新線鉄道計画徹底ガイド 東日本編」pp.169-173。
(*5)運輸政策審議会第4回地域交通部会(1999年11月17日)資料によると「京葉線の中央線方面延伸(東京−三鷹間)」の事業費は計画キロ19.9kmで5,087億円とのことなので、キロ当たり単価は約256億円。新宿−新宿間の第2新幹線は約30kmなので、先の単価から単純計算すれば約7,680億円となる。

(*6)北海道新幹線建設促進期成会「北海道新幹線の需要予測と収支採算性について」(監修:佐藤馨一北海道大学大学院工学研究科教授)によると、2010年の新青森−札幌間の輸送密度は11,437人/キロ・片道と想定している。ここでは北海道の輸送の特徴である季節波動の大きさや新幹線開業に伴う誘発効果等も加味して、9,000〜15,000とした。
(*7)JR東日本では「DS−ATC」と称し、既に盛岡−八戸間に導入済である。この間の事情について、日本鉄道建設公団盛岡支社「東北新幹線工事誌(盛岡・八戸間)」p.652では、「東北新幹線(盛岡・八戸間)延伸工事に当たり、営業主体であるJR東日本より東北・上越新幹線の老朽取替え時に今回開発したDS−ATCを導入し更新するとの方針が提起された。盛岡−八戸間に現行多段制御(アナログ)ATCを導入すると今後15年以上に亘って東京〜八戸間に2種類のATCが混在し、両ATCの車内信号の表示方法、運転取り扱い方法が異なり運転上好ましくないため、盛岡〜八戸間には更新工事にさきがけてDS−ATCを導入するよう要請され運輸大臣の特別構造許可を得て施工した。」と述べている。
(*8)詳しくは東日本旅客鉄道東京電気工事事務所サイト内の東京電気工事事務所プロジェクト紹介のうち上越新幹線輸送改善に伴う高崎駅分割・併合設備新設を参照のこと。
    2004年3月に完成したが、当面は通勤時間帯の高崎分割併合と臨時列車(新潟行とガーラ湯沢行)の分割に使用されるにとどまっている。
(*9)朝日新聞1992年6月2日付によると同工事の「総工費は約900億円。このうち350億円が北陸新幹線建設費に含まれ、残りの550億円が同社(JR東日本=当サイト注)の自己負担となる。」とある。一方、種村直樹「北陸新幹線を迎える東京駅」『鉄道ジャーナル』1997年1月号pp.72-81によると、「JR東日本が自己資金で行なう中央線ホーム重層化工費が高架橋改築と合わせて約500億円、鉄道公団の北陸新幹線ホーム関連工事費も四百数十億円と見込まれ」(p.74)とある。また日本鉄道建設公団北陸新幹線建設局「北陸新幹線工事誌 高崎・長野間」pp.57-58によると、北陸新幹線建設に伴う委託工事費のうち、東京駅関係は施工委託・JR関係支障移転含めて44,483百万円で決算されている。朝日新聞の情報のみが事業着手前の1992年と古いこと及び1992年〜1997年の建設物価上昇率を勘案して、当サイトでは一連の工事の総工費を約950億円と推定した。その内訳は、中央線重層化(JR自己資金)約500億円、北陸新幹線東京駅新設(北陸新幹線予算)44,483百万円である。なお北陸新幹線の予算相当ぶんについても、全額税金で賄われているわけではなく、北陸新幹線の貸付料等でJRも負担していく点に注意を要する。