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・ I wish......  〜銀河に翔ける想い〜

★ 遠距離恋愛と新幹線〜逢いたい時にあなたはいない〜★
↑ 毎週日曜夜の東京駅の新幹線ホーム。2人で過ごした時間を胸に、刹那を惜しむカップルたち。
 恋人たちの想いを込め、最終列車を「シンデレラエクスプレス」と呼ぶようになって16年が経つ。
2003/08/17 21:14 東京駅18番線にて。21時18分発 新大阪行最終列車「のぞみ95号」発車前のひととき。

1.『逢いたい時にあなたはいない』

 関西に生まれ育った私にとって、北海道は未知の土地。そんな私が、縁あって札幌で自らの力を試すことになったとき、心に浮かんだのはひとつのテレビドラマでした。

 タイトルは『逢いたい時にあなたはいない』。札幌に転勤した乳製品メーカーの営業マン・雄介(=大鶴義丹)と、東京の看護婦・美代子(=中山美穂)の遠距離恋愛を描いたドラマです。すれ違う心や逢えない辛さをテーマに、いわゆる「月9」(=フジテレビ月曜夜9時のドラマ)にしてはせつなさいっぱいのストーリー。2人の心をつなぐ存在として、ANAの当時最新鋭のジャンボ機(747−400)が頻繁に登場しました。雲海を抜けてゆくコックピットからの映像に、ヒロイン役の中山美穂の歌う主題歌『遠い街のどこかで‥』が流れるエンディングは、遠距離恋愛の難しさや苦しさ、信じる気持ちの純粋さが伝わってきて、私のお気に入りでした。

 このドラマの最終回、ヒロイン・美代子は、一度は別れたものの、どうしても忘れられない雄介への想いを抑えきれず、札幌に行くことを決意します。しかし冬休みで込み合う羽田空港で夕方までキャンセル待ちしたものの、結局乗ることができず、失意のまま夜勤に就くのでした。
 夜勤明けの翌朝、友人から羽田14:00発千歳行きANA65便のチケットが取れたとの連絡。美代子は喜んで羽田に向かいますが、千歳空港が吹雪で天候調査のため、出発が見合わされてしまいます。小春日和の青空を恨めしく見上げるヒロイン。やがて何とか飛び立ちましたが、今度は機内で急病人が発生。美代子の診断で羽田へ引き返すことになり、彼女はそのまま付き添って病院に行ってしまいます。美代子の判断で急病人は一命を取り留めますが、結局その日の千歳行は最終便まですべて満席。今日中に札幌に行けないことを知った友人は「どうして羽田に引き返せなんて言ったの!」と訊ねますが、美代子は「‥私、看護婦だもん‥」とポツリ。彼女の仕事への思いの深さを悟った友人は、明日のキャンセル待ちを薦め、彼女を慰めます。
 ‥羽田で落ち込む美代子の前に、一人の男が現れます。美代子に想いを寄せながら、札幌の雄介への想いの深さゆえ、受け容れられなかった男性でした。旅行会社に勤める彼は、「クリスマスプレゼント」といって美代子に一枚のチケットを差し出します。それは羽田20:00発千歳行き最終ANA75便の航空券でした。「旅行会社は必ずキャンセル待ちのチケットを押さえておくんだ。こういう万一の事態に備えてね」との彼の言葉に美代子はハッとなります。さっきのANA65便のチケットも彼が用意したものだったのです。「どうして私のために‥」。そう訊ねる彼女に、彼は「俺のためだ」と答えます。「自分の手で君を彼のところに送れば、君が忘れられる」と。涙が溢れてとまらない美代子。こうして美代子は、ようやく千歳に飛び立てたのでした。


 このドラマが放送された1991年、羽田−千歳線は863万人と当時史上最高の旅客数を記録しました。搭乗率は通年で75%、8月に至っては86%と驚異的な値を示しました。この搭乗率の記録は現在でも破られていません。航空券は文字通りプラチナチケットと化し、まる一日キャンセル待ちした挙げ句、涙を飲んだヒトも少なくなかったことでしょう。冬季の千歳空港の不安定さも含め、このような背景を理解すれば、ヒロインの苦労は、あながちつくり話とも言い切れません。

2.『シンデレラエクスプレス』 〜遠距離恋愛の定着〜

 ところで、遠距離恋愛と高速交通といえば、「シンデレラエクスプレス」が知られています。
 国鉄時代最後の全国ダイヤ改正とうたわれた1986(昭和61)年11月改正。東海道新幹線は2時間56分運転にスピードアップされると共に、東京発新大阪行きの最終列車が繰り下げられ21時ちょうどになりました。その頃から、日曜夜の東京駅で別れを惜しむカップルたちの姿が目立つようになりました。1987(昭和62)年に誕生したJR東海は、収益の柱である東海道新幹線のイメージアップを図るため、会社設立からわずか2ヶ月後の同年6月、この最終列車「ひかり289号」をテーマにしたTVCFを放映します。その名は「シンデレラエクスプレス」。就職や広域異動のハードルを越え、1分でも長くそばにいたいと願うカップルたちの姿を、時計の針に追われるように王子のもとを去るシンデレラになぞらえたのです。イメージソングはユーミンの「シンデレラエクスプレス」。切れ長の目をした当時最新鋭の100系車両を前に、白いドレスの女性がガラスの靴をかかげる幻想的な光景が広がります。


1987年6月に放映された初代シンデレラエクスプレス
TVCFのキャンペーンポスター(実物)。車両は、当時
国鉄から承継した7編成しかなかった100系車両。撮影は
東京駅で三日間、終電後から翌朝の始発までの五時間
を使って行われたという。

 このCFは大ヒットとなり、1992年まで計18作を数えました。「シンデレラエクスプレス」は、就職や転勤で恋にハードルが訪れた多くのカップルたちに、当時一般的でなかった「遠距離恋愛」という可能性を与えました。JR東海は「遠距離恋愛を応援する会社」というイメージを勝ち取り、以後現在に至るまで同社を大卒就職先人気企業に名を連ねさせる基礎を築きました。先に紹介したドラマ『逢いたい時にあなたはいない』も、シンデレラエクスプレスの航空版ともいえるかもしれません。

 当時ホンモノの「ひかり289号」は旧式の0系車両だったのですが、JR東海は特に運用を組み替え、日曜夜の同列車だけはTVCF通りの100系車両で運行する粋な計らいも見せました。
 やがて日曜夜の最終列車は「のぞみ」に変わり、出発時刻も21時18分と繰り下がりました。シンデレラはあの頃より18分だけ長く、大切な王子様に身を委ねることが出来るのです。車両も時代を経て、現在の700系は3代目になります。

 ダイヤも車両も時代も変わったけれど、あの頃と同じように、恋人たちはつかの間の逢瀬を惜しみ、想いを確かめ合っています。東京駅だけではありません。仙台でも、博多でも、新大阪でも、日曜夜に繰り返される、切ないシーン。

 ホームでの別れのシーンだけではありません。関西に住む私のまわりにも、「のぞみ」で、あるいは「ひかりRailStar」で想いをつなぐ人たちはたくさんいます。そんな一人が、金曜の朝、私に話してくれることがあります。

 「今日は会社を定時でひけて、新大阪18:53の『のぞみ』で東京に帰るよ!」

 そう話すときの彼女の笑顔はとても幸せそうです。

 そして‥。
 未来の新幹線でも、刹那を惜しむシンデレラたちが見られることでしょう。2人の恋に現れるハードル‥都会に出ての就職や、見知らぬ土地への転勤が続く限り、これからも、ずっと。

3.シンデレラエクスプレスに託す想い

 ところで、これほどまでに遠距離恋愛が一般的な国は、世界広しといえど、日本だけではないでしょうか? 「ヒトを好きになるのに、理由なんていらない」といいます。けれども、相手のことを知らなければ恋ははじまりません。恋をすれば、ずっとそばにいたいと願います。‥そうだとすると、遠距離恋愛という概念自体が、もともと背反したものを秘めているのかもしれません。

 恋をすれば、もっと相手のことを知りたいし、いつもそばにいたいと思うでしょう。けれど、遠距離恋愛はそれがままならない。シンデレラエクスプレスのTVCFが流行った当時なら、手紙を書いたり電話をしたりして、少しでもつながっていたいと願ったことでしょう。今なら携帯電話もあるし、メールもあります。
 けれども、どんなにケータイやメールをやりとりしても、やっぱり逢いたいという想いは募ります。いや、つながっていると感じるからこそ、逢いたい想いが一層募るのかもしれません。遠距離恋愛を応援するサイトを読むと、「遠恋(=遠距離恋愛)カップルは、たまにしか逢えないぶん、逢えたときの嬉しさがずっと大きなものになる」なんて書いてあり、うらやましくもあります。
 そして楽しい時間を共有したあとに必ずやってくる別れの時‥。また逢えるから、となぐさめのキスをして、列車はホームを離れてゆきます。残るのはテールライトの赤い残照ばかり。

 ‥いつもそばにいたいと願うのが恋する者たち共通の願いだとするなら、たまに逢うくらいでは淋しさが埋められないのは、むしろ自然なことではないでしょうか? ネットで知り合って恋に落ちる「ネット恋愛」ですら、やっぱり恋人たちはもっと同じ時間を共有したいと願います。仕事を取るか、恋を取るか‥本来二択でない命題に追い詰められ、別れがやってくることも少なくないでしょう。

 結婚を幸せのひとつの通過点とするなら、正直いって遠距離恋愛で愛を育み結婚に至る確率は、ごくふつうの恋愛に比べて、かなり低いと思います。物理的な距離はもちろん、電話代や交通費などお金の問題、せつなさや淋しさを乗り越える強さと思いやり、それにひとりの人を変わらず愛し続けるひたむきな想い、すべてが揃ってはじめて、恋が愛へと育ってゆくのでしょう。「シンデレラエクスプレス」が多くの人に共感されたのも、遠距離恋愛の困難さが、遠恋してるひとはもちろん、そうでないひとにも直感的に理解できるからこそ、そのハードルを乗り越えて幸せを実らせてほしい、という人々の願望ではないでしょうか。

4.遠距離恋愛と新幹線

 主要駅で日曜夜に繰り広げられる切ないシーン。それはとても切なく、美しいものです。そんなイメージからか、「シンデレラエクスプレスは、新幹線の究極のあり方だ」という人がいます。私自身、ある一面で同意できるものの、それではあんまり切なすぎるとも感じています。

 私は平日・週末を問わず新幹線を利用しますが、よく使うのはむしろ週末です。
 バブル経済真っ只中の頃、平日「ひかり」はデッキや通路にも鈴なりのお客様を乗せて走っていました。しかし今の「のぞみ」や「ひかり」でそんな光景はまず見かけません。列車本数は同じくらいなのに‥。新幹線で中長距離を移動するビジネスマンが減っていることを感じる瞬間です。会社の経費節減のなかで出張が減ったこともあるでしょうし、航空運賃が安くなったためにシフトしてしまったこともあるでしょう。あるいは新幹線の提供するサービスに魅力がなくなっているのかもしれません‥。
 一方、休日はどうでしょう? バブル期並み、あるいはそれ以上に多くのお客様が新幹線を使って移動しています。しかも、以前よりずっと気軽に。そのことは服装のラフさでわかります。

 山陽新幹線や、このサイトで主に扱う東北・北海道ルートでは、この傾向がもっと顕著に現れます。中距離の都市間輸送に関する限り、平日より週末のほうが明らかに混雑が激しいのです。平日でも混んでいる「ひかりRailStar」は、まさに鈴なりの人を乗せて走っていますし、平日なら程よい混雑率で走る「はやて」「こまち」が、土曜朝や日曜夕方〜夜にかけて全列車満席になってしまうのです。それもお盆や正月など特定の時期ではなく、ほぼ一年を通じて。
 東北新幹線で特に混むのは、日曜の仙台を17:24〜19:24に出る3本の東京行「はやて」+「こまち」です。これらの列車が、発車前に空席ありになっている日は、今年になってから殆どありません。あまりに混雑するので、現在では日曜運転の臨時列車が運転されていますが、こちらも殆ど毎週満席です。実は、これでも「はやて」+「こまち」が全車指定席になり、座席提供数(指定席)が倍近くになって、指定券もずいぶん確保しやすくなっているのです。連結両数が少なく(当時14両、現在16両)自由席もあった「やまびこ」+「こまち」時代(2002年11月まで)は、前後の列車も含めて、指定券が全く確保できない状態でした。
 この人気を支えるニーズは、もちろん首都圏に住む人の週末を使った東北旅行も大きな要素でしょう。しかし何度か利用してみての実感として、これに加え、あるいは同じくらいに、週末の帰郷、そして「シンデレラエクスプレス」的な利用が多いと感じています。

↑ 日曜夜の上り東北新幹線の予約状況(画像は2003年8月24日18:00現在、「サイバーステーション」より)。
平日はそこまで混まない東北新幹線も、週末になると満員御礼の盛況を呈する

盆や年末年始でもないのに、全列車満席の日が珍しくない。

 かつて新幹線の主なお客様はビジネス客でした。もちろん観光客もいたのですが、それはビジネス客よりも少なく、利用区間も東京−熱海間や東京−京都間など、一部の区間に限られていました。
 しかし、現在の新幹線は違います。ビジネス客、観光客に加えて、プライベートでの利用が非常に多いのです。しかもそれは年を経るごとに、大きな比重を占めるようになっています。その最たる例が、シンデレラエクスプレスでしょう。


5.新しい時代の新幹線のコンセプト 〜遠く離れたヒトとヒトのココロをつなぐ、もっとも優れたツール〜

 約30年前、「列島改造論」で世を席巻した田中角栄元首相は、新幹線を国土開発の手段だと訴え、世論もその主張に酔いしれました。現在の整備新幹線計画はその時代に生まれたものです。
 ‥けれど、時代は移りました。あの頃の発想を、今の時代が必要とするコンセプトに応じて見直すことは当然必要だと思います。

 それでは、今の時代が必要とする新幹線のコンセプトとは一体なんでしょう? ‥私は、このコンセプトを「遠く離れたヒトとヒトのココロをつなぐための、もっとも優れたツール」だと考えています。
 航空機やクルマではなく、新幹線こそが「遠く離れたヒトとヒトのココロをつなぐツール」としてもっともふさわしい理由は、いつでも飛び乗れる=いつでも大切な誰かに逢える安心感、開業以来死傷者が殆どいないことに代表される高い安全性、輸送にかかるコストが長期的に見て極めて安い低コスト性、二酸化炭素や有害物質の排出もケタ違いに少ない環境適合性などに裏付けられると考えます。
 ある程度まとまった輸送量があり、ゆったりした超高速列車のサービスを提供すれば航空輸送に対して十分競争力を持ち得る都市間の幹線ルートには、やはり新幹線が必要です。なぜなら、都市に住まうたくさんの人々、そのヒトとヒトのココロをつなぎたいと願う思いがある限り、その思いをもっとも高いレベルで実現するための手段が新幹線だと考えるからです。

 「シンデレラエクスプレスは、新幹線の究極のあり方だ」という意見に一面で同意するのは、それが、現在の、そして未来の新幹線のコンセプト=「遠く離れたヒトとヒトのココロをつなぐ」目的に、もっとも素直な使われ方だからです。
 けれども‥できることなら、愛し合う2人は、ずっとそばにいさせてあげたい。たとえ、それがいろんな理由で叶わない願いだとしても。
 現在も、そして未来も、新幹線でココロをつなぐ遠距離恋愛がたくさん生まれていくことでしょう。そのカップルたちが、一組でも多く結ばれ、願わくば、今度は家族の幸せをつくるために新幹線を使ってくれる日がくることを信じます。新幹線が、未来に向かって走り続ける理由は、淋しい心のすきまに生まれる切なさや悲しみではなく、心いっぱいに満たされる幸せをつくるためなのですから。

6. 元祖「シンデレラエクスプレス」の引退 〜車両は消えても、伝えた想いは残ってゆく〜

 ‥ところで、「シンデレラエクスプレス」のTVCFは、その企画を担当したJR東海の社員自らの遠距離恋愛の経験が制作のきっかけだそうです。彼はこの企画を成功させた翌年、700km離れた広島の彼女との遠距離恋愛を実らせ、結ばれました。その結婚式でのこと、彼はTVCFで使われたシンデレラのガラスの靴(前掲ポスター写真参照)を新婦に手渡したとか‥。

 たくさん甘い思い出をつくった元祖「シンデレラエクスプレス」100系車両も、ついに東海道新幹線から引退しました。第1編成のデビューから18年、「遠距離恋愛」を世の中に広く普及させた功労者のファイナル・ランです。定期運用の最期は、2003年8月31日、東京発新大阪行「こだま425号」。このあと引退記念列車が走ることもあって、マスコミでもほとんど取り上げられない、淋しい幕切れ。それでも夜の新大阪駅には、ラスト・ランを待ち構える人たちがチラホラ見られました。そして、特筆すべきは、そのなかに何組かのカップルたちの姿があったこと。列車が到着したあと、彼らは100系車両をバックに記念撮影していました。
 「シンデレラエクスプレス」の企画を担当した彼も、現在はJR東海の要職にあります。その彼が、100系の引退を前に語った言葉があります。「あのキャンペーンには、少なからず僕の青春も詰まっているんです」(*1)。そういえば、ラストランの夜、新大阪駅で見かけたカップルのうちの幾組かは、新幹線を使った遠距離恋愛で結ばれたご夫婦だったのではないか‥そう思えるのは、単なる私の思い込みでしょうか。

 車両は消えてゆくけれど、流麗なその姿が象徴的に提案した新しい恋愛の形、離れたところで暮らしながら時々逢うことで想いを重ねる「遠距離恋愛」の概念が人々から消えることはおそらくないでしょう。「シンデレラエクスプレス」のTVCFに勇気づけられて遠距離恋愛を始め、やがてそれを実らせたたくさんのカップルたち、そしてそのカップルたちに憧れ、その幸せを願った多くの人たちがいる限り、この車両の記憶は人々の心に残り続けるのかもしれません。
 「車両は消えても、伝えた想いは残ってゆく」。これから未来に向かって伸びてゆく新幹線ネットワークも、あたたかい想いを乗せて走り続けてほしい‥。100系車両の切れ長の瞳(ライト)を見つめながら、そんなことを考えていました。

東海道新幹線の100系ラストラン定期列車が終着駅に到着。ひとつの時代が終わった。
100系車両は引退するが、遠距離恋愛という概念は、きっと未来に続いてゆく。

2003/08/31(日) 19:19 新大阪駅22番線にて (425A 100系G50編成)

(*1) 読売新聞中部版 2003年8月12日朝刊 連載「あの熱い夏 第1回 '87 シンデレラ・エクスプレス」より。JR東海 坂田一広氏(当時=広報課主席、現在=事業推進本部担当部長)の言葉。
ホーム:http://chubu.yomiuri.co.jp/index.html
記 事:http://chubu.yomiuri.co.jp/kikaku/atsui_natsu030812.html


2003年9月6日記す