空白の数時間




 冷たい床に、声と水音が零れ落ちていく。
「ひっ……あっ、はぁっ……」
 遠く微かに聞こえるのは、人のざわめきと軽快なメロディ。賑やかな学園祭を思い起こさせるそのノイズが――より一層、薄暗い個室の中で行われる行為を淫靡で非日常的なものとして際立たせていた。
「……は」
 打ち寄せる快楽と鈍痛の狭間で、は何とか意識を繋ぎ止めようとする。
 けれどそんな拙い努力も、亜久津がカラダの中で少し律動した瞬間に呆気なく吹き飛ばされてしまった。
「あ、ふぁっ……!」



 模擬店を出た亜久津とがどこへ向かったかというと、それは立入禁止エリアに指定されている最上階のフロアだった。
 学園祭の間は教室も締め切られ、どの戸口もぴったりと閉ざされている。
 なぜこんな所にと訝りながら、は亜久津に手を引かれるまま歩いた。ちなみにまだ模擬店のメイド服を着たままだ。腕の先や膝の辺りがすーすーして何だか落ち着かない。
「ねえ仁、ちょっと着替えて来ていい? すぐ戻って来るから」
「駄目だ」
「駄目って、どうし……」
 何気なく顔を上げ、は思わず足を止めた。言葉が喉の奥で立ち消える。
 全力で後ずさろうとすると、亜久津の手がすかさず手錠のようにがっちり手首に食い込んだ。
「……じ、仁。やだ、冗談でしょう」
 目の前にある部屋は教室ではなかった。鏡の下に白い洗面台。薄い水色のタイルから、そこが男子トイレであることは明らかだ。
「ここまで来て何言ってんだ。誰もいねえよ」
「そういう事じゃないでしょ、ここ学校……っ」
 亜久津がちっと舌打ちをした。
 次の瞬間、の視界がぐるんと回った。
 何が起きたか気付くよりも、亜久津が抱え上げた体を個室に押し込める方が早かった。床に足がついた時にはもう、亜久津はドアを閉めようとしている。は咄嗟にドアの隙間に飛びついた。ここで鍵を掛けられたら逃げ場が無い。
 ドアはの手を挟む寸前でぴたりと止まった。
「――、手を退けろ」
「やだ」

 亜久津が軽く腰を曲げるようにして顔を寄せてくる。熱い息が頬にかかった。顔に血がのぼるのを感じて、はぶるぶると頭を振った。
「……だ、だって、こんな所で……するのなんて、絶対おかしいよ。私、帰りたい……」
「帰さねぇ」
「仁っ」
 耳を甘噛みされて、思わず言葉尻が撥ねた。過剰な反応に、亜久津が面白そうにくつくつと喉を鳴らす。ドアを押さえていない方の手がの腰に回された。
「――んな格好して来る方が悪いな。しかも何だ? ご主人様って。ああいうプレイが最近の流行りかよ。あぁ?」
「プレ……ちが、私そんなつもりじゃ……ふっ……、仁、舐めるの止めてってばっ」
「てめぇがその気にさせたんだろうが。最後まで責任取っとけ」
「そんなの無茶苦茶――、」
 言葉の後半はキスに飲み込まれた。
 いつもと少し違う亜久津の様子に、は戸惑った。それは、これまでだって強引に誘われたり、性急に求められたことはあった。でも亜久津がこんな風に濃密なキスから始めるなんて――多分付き合いだしてから初めてじゃないだろうか。
 幾度か角度を変えて浅いキスを繰り返した後、舌先が歯列をなぞって奥に忍び込んだ。熱い舌が口腔を蹂躙するかのようだ。ざらついた舌が柔らかい口内と擦れ合う感覚に、は思わず背を反らした。
(やば)
 じんわりと頭の芯が快楽に痺れていく。
 無意識に浮き上がった舌が絡め取られた。深く吸われて一層意識が遠のく。
 はぼやけた意識の中で、がちゃんと鍵が下りる音を聞いた。まるで、逃がさない、という無言の意思表示のような。
「……ん」
 ちゅる、と名残惜しそうな音を立てて唇が離れた。
 いつの間にか亜久津にもたれるような姿勢を取らされていた。太腿を這う指に力を込められて、意識がそちらに集中してしまう。羞恥心を煽るためにわざとキスを止めたのだと気付いて、は浅く唇を噛んだ。
(――ここ、学校なのに)
 他にも同じ事を考えるカップルがいるかも知れないのに。
 そうでなくとも、は模擬店のシフトを放り出して来たままだ。万が一クラスメイトが探しに現れたりしたらと思うと身が竦む。千石はまさかそんな面倒なことはしないだろうけど――いや、案外面白がってデバガメしようとするかも知れない。
 と、太腿が突然ギュッと抓り上げられた。
「痛っ」
「ヤッてる最中に他の野郎のこと考えてんじゃねえ。犯すぞ」
 声が静電気のようなぴりぴりした怒気を孕んでいる。
 亜久津の勘はときどき空恐ろしい。は泣きそうになりながら頷いた。
「……は、ひ」
「ったく。あぁー……ムカつくな。もう手加減しねえ。マジでやるからな」
「えっ、やっやだ、待っ――!」
 足の間に亜久津の膝が割り込んだ。
 背中がドアに押し付けられ、ガタンとかなり大きな音を立てた。黒いワンピースがたくし上げられて一気に素足が曝け出される。這い上がる冷気にぞわりと鳥肌が立った。
「仁、待って。あやま、謝るからっ」
 返答の代わりに耳を噛まれた。
 亜久津は腰を抱き寄せる手にワンピースの裾をまとめて持ち、空いた手で秘裂をショーツの上から押し上げた。苦痛しか伴わない愛撫に亜久津の苛立ちが如実に現れている。は混乱の極致に突き落とされて悲鳴を上げた。
「やっ……仁、お願い、許してっ……」
「ウゼェ」
「仁、じん、……ふっ、く」
「――」
「ふっ……ぇ……お願い、何でも、するからっ……」
 涙混じりの訴えに、亜久津の瞳がわずかに揺らいだ。
 目の中に、泣き顔を浮かべた自身が映っている。せわしなかった愛撫が急に鈍ると、は糸が切れたように亜久津の胸にしがみついた。
 泣いたせいで呼吸が乱れていた。肩で息を繰り返し、ようやく気持ちが落ち着いて来る。涙の伝った頬や素肌を曝した太腿も寒くて仕方ない。
 抱き締められて胸が詰まったのは多分、その肌寒さのせいもあったと思う。
 亜久津は少し間を置いてから、念を押すように言った。
「――何でもするっつったな?」
「え……う、うん」
 亜久津はを抱いたまま、二歩ほど後退した。はドアから背中を離して、ずるずると個室の奥へと進む形になる。亜久津は便座に腰を下ろし、ぽんぽんと自分の膝を叩いてみせた。
「座れ」
「へっ……?」
「二度も言わせんな。何でもすんだろ?」
 にやり、と見上る顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
 は慌てて膝にちょこんと乗った。亜久津は強引に足を開かせ、下腹部が密着する形に修正する。対面座位だ。
 名前は知っていても、実際にこんな体位になったのは――少なくともは初めてだった。硬い膝の上はぐらぐらとして落ち着かない。
「……じ、仁。どうすればいいの……?」
「今日はお前が動け。ああ、その呼び方も変えろ。さっきの『ご主人様』ってヤツでいいぜ」
「〜〜っ」
 そう来るか。は口をぱくぱくさせたが、亜久津の不遜な表情は少しも変わらない。膝を軽く揺すられて、は慌てて亜久津の肩にしがみついた。
「おら、さっさと動けや。まずは手始めにキスでもしてみるか?」
「……わ、分かった」
「『分かりました、ご主人様』」
「〜〜! 分かりました、ご主人様!!」
 憤然と言い直すと、は覚悟を決めてえい、と唇を合わせた。
 亜久津は自分から唇を開こうとはせず、なされるがままだ。薄目を開けてこっそり覗き見ると、亜久津はじっと目を閉じてキスを味わっているようだった。さっきの激しい責め方からは一転した態度がまるで別人のようだ。
(……こういう時に、いきなり冷静になるのってズルイと思うんですけど)
 少しも揺るがない態度が悔しくなって、は一旦顔を離した。
 自分の唇を湿らせてから、キスを再開する。舌で亜久津の唇を軽く撫でてから、こじ開けて口の中に侵入した。
 亜久津の舌を端から少しずつ舐めて、刺激を与えていく。いつも彼がそうしているように、時折舌を絡めては音を立てて唾液を吸い上げた。
 やがて亜久津が自分から舌を絡めてくると、は嬉しくなって、一層激しく舌を動かした。
「ん、……は、ぅ……」
 いつの間にか、亜久津の手が乳房を鷲づかみにしている。
 服の上からやわやわと揉まれて、はキスの合間にほぉっと息を漏らした。可愛いブラジャーをつけて来ていて良かった、と、頭の隅で思う。
 心もち、胸を押し付けるようにして尋ねる。
「ご、主人様……気持ちいい、ですか?」
「ん。悪くはねぇ、な」
「どうすれば、もっと気持ちよくなりますか……?」
 絡んだ視線に欲望の火が灯っている。
 背筋がぞくぞくとした。視線で促されるまま、足を進めて体を密着させる。ショーツの下にこつんと硬いものが当たった。
「……は、ぁ……」
、キス」
 糸を引くような粘っこいキスが繰り返される。は熱い舌に翻弄されながら、無意識に下半身を膨らみに摺り寄せていた。亜久津のそれは次第に体積を増していく。かちゃり、とベルトを外す音が小さく聞こえた。
「……腰浮かせろ」
「やぁ……むり……」
「早くしろ」
「ふぁっ!」
 パン、と太腿を叩かれた。目の裏に白い稲妻が走る。ぐらつく腰を浮かせると、ショーツを太腿まで一気に下ろされて尻が丸出しになった。
 亜久津は制服のズボンをずらして、ポケットに手を突っ込んだ。取り出した小さな銀紙の端を口で食い千切り、慣れた仕草でゴムを装着すると、を膝の上に座らせ直した。
 ふと気付いたようにの片足を持ち上げて、邪魔になったショーツを足から引き抜く。力任せにしたせいで、おまけで外れたストラップシューズがタイルの上に転がった。
「……乱暴、すぎ」
「テメェがなかなかやらせねーからだろ。――
「っ!」
 ずぷ、と先端が秘裂に埋め込まれた。
「ひっ、あっ」
 何の前触れもない挿入に、は思わず声を上げた。既に幾らか潤ってはいるものの、慣らされていないそこは異物の侵入を受け入れられずにいる。ギリギリと締め付けられ、亜久津は眉を顰めた。
「……、声抑えろ」
「や、あああっ」
 穿たれる痛みに、は既に意識を飛ばしかけていた。唇からは間断なく嬌声が漏れている。
 亜久津は舌打ちしてのワンピースのポケットをまさぐると、ギンガムチェックのハンカチを見つけ出した。
 綺麗に畳まれたそれをの口に押し込む。息苦しさに、の目に涙が浮かんだ。
「……うう、ふ」
「飲み込んで窒息すんじゃねえぞ」
「ふぁっ……」
 亜久津は再び腰を押し進め始めた。
 強制的にハンカチを銜えさせられたの姿は、メイド服という特殊なコスチュームと相まって圧倒的に淫らがましかった。
 まるで、無理やり抱いているかのような錯覚。泣き出しそうなの瞳にチクリと胸を刺されたが、それ以上に背徳的な快感が込み上げて来る。
、」
 亜久津は奥深くで一旦動きを止めると、の骨盤に手を添えて腰を上げさせた。媚肉は離れていく亜久津を引き止めるかのようにぴったりと吸い付き、擦れ合ってえも言われない快感をもたらす。
 結合が解かれる寸前で再びずぶずぶと身体を沈めていくと、はか細い悲鳴を上げた。
「う、ぁぁ……!」
 いつもと比較にならない圧迫感に、は息も出来なかった。自分がどこにいるのかさえもう分からない。声に逃がす事も出来ず、ただ身体に感じる全てを追っているだけの状態だった。
「ぁ、……ふ、は」
 暫くして身体が慣れて来てようやく、亜久津が動きを止めていることに気付いた。亜久津は苦しげな表情でを見つめている。
(……そうか。仁も、苦しいんだ)
 亜久津はいつもこういう時に言葉を使わない。けれどその視線が、が欲しいと訴えていた。逸る気持ちを抑えて、が受け入れるのを待っている。
 はそっ、と亜久津の頬に自分の頬を摺り寄せた。
(いいよ、続けて)
 今度は自分から、亜久津に合わせるようにして、ゆっくりと腰を落としていく。抉られる痛みから逃げ出したそうとする身体をなだめて、耐え切れない程じゃないと必死で言い聞かせる。亜久津が息を呑むのが伝わってきた。
 冷え切った個室の中で、触れ合っている箇所だけが痛いほど熱かった。律動が激しさを増す中、身体の奥で生まれた熱が次第に高まり、火花を散らしていく。
 熱に酔わされながら抱き合い、一際強く貫かれたとき、突如意識が真っ白い閃光に包まれた。
「……おい」
 かくん、と喉を仰け反らせたを、亜久津が慌てて抱き寄せた。ハンカチを口内から引き抜かれて、はたと意識を取り戻す。
 亜久津は明らかにほっとした表情になった。
「イッただけか」
「うん、……そう、かな? 何か今、凄かった……」
「……俺、イッてない」
「あ……ごめ、」
 亜久津が不満そうに唇を尖らせる。いつも見上げている亜久津の顔が目線より下になっているせいもあって、何だかいつもより幼く見えた。はくすっと笑い、思いついてゆっくりと身体を離した。
 床に跪いて、亜久津の身体の中心に手を伸ばす。びくりと震えたそれを手で包んで、そろそろとコンドームを外した。
「……、」
 ちゅ、と音を立ててそこに口付ける。
 舌を這わせ、亜久津の表情を時折伺いながら少しずつ気持ちのいいポイントを探っていく。丁寧に愛撫して口に含むと、亜久津の手が頭に載せられた。髪を撫でていく手がいやに優しい。
「! くぅっ……」
 先走りを吸った瞬間、亜久津が小さく声を上げて仰け反った。髪が乱暴に掴んで引き寄せられる。
 口の中に苦いものが広がる。溢れた白い液体が顎を滴り落ちていった。



「……信じられない、学校でするなんて」
「仕方ねえだろ、家まで待てねえし」
「しかもトイレだし」
「……お前だって途中からノッてた癖に良くそういう事が言えるな。下の階まで声が聞こえるんじゃないかってヒヤヒヤしたぞ」
「あっ、あれは! 仁が、いきなり……」
「何だよ」
「……言わない」
 べたべたする口の周りを拭って、はそっぽを向いた。
 ちなみにはまた亜久津の膝の上にいる。
 あれからまた対面座位で二回目を達した後なので、身体中がくたくたに疲れ果てていた。冷静になればなるほど、数時間に及ぶ自分の行為の数々が詳細に思い起こされて、恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになる。が一番信じられないのは、亜久津に乗り気にさせられてしまった自分自身の方だ。
 亜久津はと言うとまだ体力があり余っているらしく、隙さえあればぺたぺたとあらぬ所を触ろうとして来る。いちいち律儀にそれらを払い退けながら、は窓の方と目を向けた。外の日差しは柔らかい黄色に変わり始めている。
 亜久津が手を止めた。
「……どうした?」
「ん、学園祭終わっちゃったなって……思って」
「まだ一日目だろ。そういえばお前、さっき何考えてたんだ?」
「? 何のこと?」
「ドアの所で――お前、何か考え事してただろうが」
 他の男のことを考えている、と亜久津が怒った時のことを指しているのだろう。は思い出して口ごもった。
「あ、あれはー……」
「言えよ」
「あれは違うよ。千石が」
「あぁ、千石!?」
 途端声を荒げた亜久津に、は慌てて身体を縮こまらせた。
「ち、違うって。……千石が、探しに来たりしたらどうしようって思ったの。こんな所でしてたのバレたら明日から顔合わせらんないもん」
「……んだよ。そうならそう言えっての」
 言ってまたぎゅっと抱き締められる。
 いつになく優しい亜久津の態度に、はやれやれと自分のメイド服を見下ろした。見られたら絶対に馬鹿にされると思っていたのに、予想外の大好評が素直に喜べない。
 それでもこんなに熱心になってくれるのなら、また試してみてもいいかななんて思い始めているのが――この服の持つ魔力なのかも知れなかった。


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2007/10/25 up
……。敢えて言い訳はすまい。
亜久津って「萌え」文化に絶対免疫ないと思います。

衣装はクラスが学祭費で購入しているので
この後ヒロインが「汚したから」とか何とか言って買取る事になるでしょう。