ステラ

 夜。親父や母さん、菜々子さんが寝静まったのを見計らって、そっと隣の部屋を訪ねていく。

「リョーマ? 入って」
 はパジャマ姿で、ベッドで本を読んでいるところだった。
「何、読んでるの?」
「ハリーポッター。これ面白いよ、眠れなくなる」
「ふぅん。そっち行っていい?」
「いいよ、おいで」
 嬉しそうに笑う。
 隣に滑り込むと、タオルケットを一緒に羽織るように肩に掛けてくれる。息を感じるほど距離が近くて、触れる肩やシャンプーの匂いに心臓がドキドキした。
 どうかこの心臓の音が、には伝わりませんように。

 オレがアメリカで暮らし始めたのは、まだオレが物心つかないほど小さい頃のこと。オレと姉の、そして親父と母さんの4人で、アメリカに移住した。
 だが引越してすぐ、はひんぱんに体調を崩すようになった。慣れない生活が、に相当なストレスを与えたらしい。日本に帰りたい、とが泣いて訴えたこともあり、だけは日本に残っていたばあちゃんの所に返されることになった。
 オレはよく覚えていないけど、と離れ離れになりたくないと、その時のオレは相当酷くぐずったらしい。今でも良く親父にからかわれる。
 でもそんなのは、遠い昔の話。電話の声でしか接しないのことは、次第にオレの中では小さな存在になっていった。
 日本に帰って来た、その時まで。

「久しぶり、リョーマ」
 菜々子さんと一緒に迎えてくれた、その人を、オレはぽかんと見つめるだけだった。これが、オレの姉貴?
 つやつやした黒い髪も、わずかに吊りあがった目も、確かにオレや親父と良く似ている。だけど覚えている訳がない。そんな風に親しげに呼びかけられても困ってしまう。
 菜々子さんが気付いて助け舟を出してくれた。
ちゃん、リョーマ君は小さかったから覚えてないのかも」
「あっ、そうか……ごめんね。リョーマ、私てっきり昔に戻ったみたいで」
 その声があまりに寂しそうだったから、オレは反射的に言葉を遮っていた。
「違うよ。ずいぶん雰囲気が変わったから驚いてただけ。……ただいま、
 そう言った瞬間、の表情がぱっと明るくなって。
 ああ、この人と一緒に暮らす日々はどんなにか楽しいだろうなとそのときオレは思ったんだ。

「ハリーはね、親がいないの。おじさん一家に引き取られているけど、冷たくされて最低な暮らしをしてる。だけどある晩、ハリーに魔法学校からの入学通知が届くの。そこから物語が始まるのよ」
 ギングス・クロス駅の9と3/4番線、魔法学校へ向かう列車。ドラゴン。クィディッチ。楽しそうなの声が耳元を通り過ぎていく。

 ずっとと一緒にいたい。
 その気持ちに気付いたのはいつだっただろう。
 に好きな人が出来て、がその誰かとキスしたり、それ以上のことをする、なんて想像しただけで胸が黒いものであふれそうになる。
 オレはおかしいのかも知れない。
 が好きだ。家族としてじゃなくて。
 雑誌モデルのセクシーな女の子を見てドキドキするように、がふとした瞬間に見せる仕草や表情に目を奪われる。触りたい、欲しい。発作的にそう思って、一瞬後には自己嫌悪で吐きそうになる。
 実の姉に欲情するなんて。
 が知ったらどんなリアクションされるだろう。時々そんな夢を見て、怖くて目が覚める。気持ち悪い近づかないで、と突き飛ばされた夜は、夢だと分かってても震えが止まらなかった。
「……どうしたの? 寒い?」
 気がつかない内にマジな顔になっていたらしい。が心配そうに顔を覗きこんでいた。
「ごめん。何でもない。……えっと、どこまで話してたっけ」
「だめ、頭がボーっとしてるんじゃない。もう寝なきゃ。リョーマは明日も部活でしょう?」
 痛いところを突かれた。次に寝坊したら校庭100周だって手塚部長に釘を刺されている。それでも悔し紛れに言い返した。
が寝たら寝る」
「もう、そういう事じゃないでしょう。……じゃあ、こうしよう。リョーマが部屋に戻ったら、間の壁をちょっとだけノックするから。聴こえたらノックし返して」
「オーケー。それで?」
「私は100数えたら、またノックする。リョーマがやり返す。……その繰り返し。ノックが途切れたら、眠ったってことだから、起きてる方も大人しく寝るの。いい?」
「……分かった。言っておくけど、寝たふりはダメだよ」
 もう少し一緒にいたい気持ちはあったけど、仕方なくベッドを降りた。入ってきた時と同じように音を立てないよう細心の注意を払って、自分の部屋に戻る。
 冷たいベッドに潜り込んで、耳をそばだてていると、トントンと小さな音が聞こえてきた。ほんの少しの力で、壁をノックする。
 また、暫く待っていると、さっきよりもっと小さくノックの音。同じ弱さでノック。
 壁をはさんで交わす、密かな通信。
 ――いつかはまた、この壁の向こうからはいなくなってしまうかも知れない。それを考えるのはとても怖い。でも今は、この時間だけは、はオレ一人だけのものだから。
 その夜はと空飛ぶ列車でドラゴンを見物にしに行く変てこな夢を見て、朝までぐっすりと眠った。


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2011/05/18 up
帰国子女なら名前呼びもありですね。
この背景画像、魔法っぽくて気に入っています。