――何でこんな日に限って。
熱で良く回らない頭で、リョーマは自分の不運を恨めしく思った。
夜が更けるにつれて、風邪はますます酷くなる一方だった。
頭はがんがんするし、たまにぶり返す咳のせいでなかなか寝付けない。心配そうに鳴くカルピンに、大丈夫だと背中を軽く叩いてやるのが精一杯。
――今日は俺の誕生日なのに。
12月24日は、越前家にとって重要な意味を持っている。
リョーマの誕生日で、普段は女子寮で生活している姉のが帰って来る、大切な日。
毎年この日はリョーマのリクエストに応えて、が和食作りをするのが恒例になっている。今年は菜々子も手伝って、クリスマス料理に和食にケーキと食べきれないほど豪華なディナーになった。
けれど肝心のリョーマ自身は哀しいかな、風邪のせいでなかなか箸が進まなかった。
お腹が空いているのに、どうしても食欲が出ない。心配する家族に促されて、リョーマは途中で自分の部屋に引き上げる事になってしまったのだ。
……けれどあの後、階下に戻らなければまだマシだったのかも知れない。
リョーマは先ほど見た光景を思い出して、カルピンをぎゅっと抱き締めた。
酒が出たせいか、宴会はずいぶん遅くまで続いていた。
(せっかく姉貴が作ってくれたんだから)
少し具合が良くなった気がして、リョーマは一旦、居間に引き返そうとした。そうして階段を下り切った時だった。の声が、耳に飛び込んできたのは。
「……ごめんね、こんな夜遅くに」
声は廊下の辺りから聞こえた。
(姉貴……?)
そろそろと近づいていくと、は窓際で携帯電話を掛けていた。窓の外にはいつの間にか白い雪が降り積もっている。
「さっき降って来たの。そっちも積もってるでしょう?」
の唇から幸せそうな笑みが零れる。綺麗だね、と呟く横顔は、リョーマがこれまで見たことのないほど輝いていて。
「メリー・クリスマス、仁」
(あ)
――がつん、と頭を殴られるようなショックを受けた。
リョーマは後ずさり、そのまま自室に引き返して布団を被った。今見た光景を全部、頭から締め出してしまいたかった。
――俺の誕生日なのに。
ふいに目の裏が熱くなって、リョーマはますます布団に顔を押し付けた。
が亜久津と付き合っていることは知っていた。
初めて千石に聞かされた時は冗談だと思った。それでも心配になって、先月、を問い詰めたら、は嬉しそうに頷いたりなんかするのだ。
何で、選りに選ってあんな奴と。
そう思ったら頭の中が真っ白になって、気が付いたら酷い言葉を叩きつけていた。
ようやく我に返った時には、の目からは大粒の涙が零れていて。
……だから今夜はちゃんと謝るつもりだったのに、何度も機会を逃して、なかなか言い出せなかった。折角作ってくれた料理もほとんど手をつけられなかった。まだ八つ当たりしているのだと、がっかりされたかも知れない。
――来年もちゃんと俺の誕生日、祝ってくれるのかな……。
何だか胸を絞られるような気持ちになって、思わずカルピンに手を伸ばしたら、いつの間にかふかふかした感触が消えていた。一気に意識が現実に還ってくる。
ひやっとした物が額に触れた。
「何……?」
舌が良く回らない。
苦労して重い瞼をこじ開けた。横を向くと、ベッドサイドで黒い人影が身じろぎするのが見えた。
「――起きたの、リョーマ」
「姉貴……?」
額に手が伸びてきて、ずり落ちた濡れタオルを元通りに乗せ直す。少しリョーマの顔を覗きこむようにしてから、が安堵の息をつくのが伝わって来た。
「熱は下がったみたい。喉、渇いてない?」
「……少し」
「柚子茶があるわ。待ってて」
は水筒の蓋をくるくる開けると、中身を注いでリョーマの口元へと持って来た。甘い柚子の香りの湯気がふんわりと漂う。
「…………美味しい」
「そう? 良かった。――カルピンに感謝してね。リョーマの具合が悪いみたいだって、知らせに来てくれたのよ」
ほぁらー、と足元で聞き慣れた鳴き声がした。
が白い毬のような体を抱き上げて布団をめくると、カルピンはひとりでにリョーマの側に潜り込んで来た。リョーマがしっかり抱えてやると、満足そうに喉を鳴らす。がそれを見てくすくすと笑った。
リョーマははっとしてを見た。
「……って、姉貴。今、何時?」
「そろそろ二時、かな」
「そ……」
――そんな夜遅くまで看病しているなんて。
そう言おうとしたのが伝わったのか、は目尻を下げた。
「勉強していて遅くなっただけよ。もう私も寝るから、リョーマもしっかり布団被って良く眠るのよ?」
「待っ、」
が立ち上がろうとするのを見た瞬間、反射的に手が伸びていた。の袖を掴む。
(言わなきゃ)
酷い事を言って後悔していること、今年も変わらずに誕生日を祝ってくれて嬉しかったこと、――それから、それから。気持ちばかりが逸って、口を開いても言葉が上手く出てこない。
が目を丸くしていたが、やがて、再びベッドサイドにすとんと腰を下ろした。
リョーマの手を取って布団の中に引き戻す。ただし手は握ったままだった。小さい子を安心させるかのように、きゅっと手に力が込められる。
「――姉貴、」
リョーマは不意に泣きそうになった。
ずっと忘れていた。小さい頃、リョーマが熱に喘いでいると、が良くこうやって寝かしつけてくれたのだった。
は何も言わなくていいというように微笑んでいる。
リョーマはおずおずと手を握り返した。の小さな声が降って来る。
「……何か歌ってあげようか?」
「また、そうやって子供扱いする……」
「具合の悪い時くらい素直になりなさいよ。ほら、リクエスト」
「いいって。……あ、一つだけ。『Silent Night』がいいな。英語でね」
「私、日本語版しか歌えないわよ」
はそう苦笑して、『きよしこの夜』を歌い始めた。
囁くようなクリスマスキャロルを聞きながら、リョーマはゆっくりと目を閉じた。
今度は夢も見ないで朝までぐっすり眠れそうだった。
2007/12/21 up
大苦戦したリョーマverです。
リョーマさんが情緒不安定なのは風邪のせいという事で…。
病気になると人恋しくなりますね。