序幕(二)




「で、結局亜久津は来なかったと」
「まあ、そこは仕方無いな。亜久津もいまさら辞めた部活の集まりに顔を出すのは気恥ずかしいだろうからな」
「あ、南もちょっとガッカリな訳ね」
 、南、千石の三人は顔を見合わせ、苦笑まじりの溜め息を漏らした。
 翌日――放課後。男子テニス部は、他の部活が解散した頃合を見計らって再集合していた。
 釣瓶つるべ落としの秋の日はとうに落ち、校庭のライトがぽつぽつと頼りない灯りを闇に投げかけている。
 彼らがいるのは新校舎の北側、校庭の隅っこの辺りだ。ここなら宿直室から離れているし、校舎の影になっているのでそうそうバレる危険はない。すぐ側の出窓は、日中に細工して予め鍵を開けてあった。
 南はざわつく部員たちに向き直ると、パチンと懐中電灯のスイッチを入れた。
「さぁ、これから恒例の肝試しを始めるぞ。さっき説明した通り、七不思議の場所には予め俺達が番号を振ったメモを隠してある。今から二人ペアを組んで、七箇所のメモを集めて戻って来ること。いいな。質問は?」
「あ、あのう……僕、一人ですか?」
 びくびくしながら手を挙げたのは太一だった。他の部員はシングルス同士、ダブルス同士でペアを組めたようだが、何となくあぶれてしまったらしい。
「太一はさんとペアを組んでくれ」
「ええっ!?」
「あー、いいなあ壇君。さん案外怖がりだからなあ、抱きつかれてドキドキしちゃったりして」
「絶対ない! そんなこと! 千石も後輩に変なこと吹き込まないでよ」
「……あー、何でもいいけど静かにしろよお前ら。見つかったらコッテリ絞られるんだからな」
 その時、室町がすっと手を挙げた。
「部長、七不思議って昔から語り継がれてる話なんですよね。じゃあ話の中で『出る』って事になってるのは、旧校舎の方じゃないですか? 元々は向こうの校舎が使われてた訳ですし」
「まあ、それはそうだが。旧校舎じゃ教室の配置も分からないし、校舎が傷んでいて危険な場所があるかも知れないだろう? そんな所で肝試しは出来ないよ」
「でも……」
 不満げに言いかけた室町を、千石が遮った。
「それにねえ、室町君。何でうちの旧校舎が取り壊されないか知っているかい? あの旧校舎を壊そうとする度に、現場の人が怪我をしたり、機械が突然故障して工事が進められなくなるんだって。――向こうに出るのは正真正銘のホンモノだよ。そこにちょっかいを出すのは、ちょっと危ないんじゃないかなあ」
 一瞬、場が静まり返った。後輩がごくりと息を呑む音さえ聞こえる気がする。
 千石は数拍間を置いて、能天気そうにへらりと表情を崩した。
「まあまあ、そう気落ちしないでくれよ。新校舎にもちゃーんと『出る』から、さ。俺らが今から回るのは、新校舎版の山吹中七不思議の場所だよ」



 初めに出発したのは一年生のペアだった。手にした懐中電灯の光が小刻みに震えている。時間差であと二組を送り出すことになっているが、早くも一・二年生の間には見えない恐怖が広がり始めているようだった。
「……相変わらず上手いな、千石」
「どうも。東方も一つ、どうだい? こういうの覚えておくと、女の子は結構盛り上がるもんだよ」
「いや、俺は遠慮しておく」
「……呆れた。千石さん、いつもそうやって女の子を口説いてるんですか」
 室町がジト目で睨んでも、千石は平気な顔だ。
「障害が多いほど恋は盛り上がるもんだよ」
「吊り橋効果、ってヤツですね」
「そうそう、詳しいね新渡米君」
「丁度ウチの先輩が実例示してくれてますからね」
「フッフッフ、良く分かってるね喜多君」
「……なぁ、もうその辺にしといてやれよ。だんだんさんが気の毒になってきた」
 錦織が悪ノリする部員達をそうたしなめた。は暗闇でも分かるほど真っ赤になっている。
 そうこうする内、やっと一組目のペアが戻って来た。南が七枚のメモを確認して頷くと、ほっと安堵の息を漏らした。何だ簡単だったじゃん、とすぐに軽口を叩き合い始める。
 ――あんなに怖がっていた癖にな。
 南は東方と目配せした。
 あの一年生ペアは、二年前の自分達の姿そのものだった。吊り橋効果と言えばこの肝試し自体、部員達の信頼を育むのに一役買っているのだろう。山吹中ダブルスの強さの秘訣は、案外こんな所にもあるかも知れないと南は密かに思っている。
 それにこの肝試しは、三年生にとって部の締めくくりの行事でもある。この行事が終われば部の引継ぎ、そして引退という流れが待っている。だから南は、本人たちが嫌がるのも承知でや亜久津にも参加を促したのだ。
 ――ま、亜久津のことは仕方無いさ。俺は部長として、最後の仕事を全うするだけだ。
 南はそう一人決めして、次のペアを呼び出した。



 肝試しも終盤になるとのんびりしたものだった。もちろん、幽霊はいなくても見回りの先生はいる。後輩には見つかったら大変なことになると脅してあるが、今夜の宿直は新垣先生だ。万が一バレても笑って許してくれるだろう。その辺も考慮して日取りを決めてあるのだ。
 だから――壇が独りで帰って来なければ、今年の肝試しもつつがなく終わる筈だった。
「お帰り、壇君。あれ、さんは?」
「それが……先輩、先に行って欲しいって、そこの昇降口の所で別れてしまったです。何だかちょっと様子が変でした」
 壇は心配そうに校舎を振り返る。千石は首を捻った。
「トイレでも行きたくなったのかねえ? 一人で怖くないのかな。とりあえず、もう少し様子を見てみようか」
 だが、五分が過ぎてもが戻って来る気配はない。三年生全員がこれはおかしいと気付き始めた。千石はそっと南の袖を引っ張った。
「おい、南……これはヤバいんじゃないか? どうする、探しに行くか」
「あ、ああ。だが――全員で行くのは拙いな。さんも迷子になっているか、怖くて動けなくなっているだけかも知れないし」
「ぼ、僕、戻って探して来ます! 先輩にもし何かあったら、亜久津先輩に謝っても謝り切れないです」
「――何かあったんですか」
 室町と喜多が異変を察して近づいて来た。
 錦織が軽く額を押さえる仕草をする。それから一つ頭を振って、南に声を掛けた。
「南、そいつらに説明してやってくれ。他の連中に不安が広がるとコトだ。僕らは他の連中を連れて、先に帰ろう。――手が必要になったら携帯で呼んでくれ」
「ああ、そうしてくれ。助かるよ」
 錦織らは肝試しの終わりを伝え、一・二年生を誘導しながら引き上げて行った。後に残ったのは三年生の南、東方、千石、新渡米、二年生の室町と喜多、一年生の壇の七人になった。
 室町は事態を把握するなり、血相を変えて壇に詰め寄った。
「お前……太一、何で先輩を置いて戻って来たりしたんだ!? もし独りでいる時に、誰かに襲われでもしたらって考えなかったのかよっ」
「止せ、室町。今は喧嘩してる場合じゃない。とにかく校舎の中を探そう。最悪、新垣先生に事情を話すしかないが……」
「俺も付いていく。心配するな、南。きっと無事だ」
「俺も一緒に行くよ。無理にさんを誘ったのはそもそも俺だしさ」
「東方――千石――……」
「あのー、盛り上がってるところ申し訳ないですが」
 つんつん、と喜多が南の脇をつついた。
先輩ならあそこ歩いてますよ」
「え!?」
「ほら、外。食堂と新校舎の間のとこ。――あっちは宿直室から丸見えだと思うんですけど。あ、食堂に隠れちゃった」
「向こうに移動しよう」
 七人はぞろぞろと食堂の影に移動した。の姿は――無い。千石は目をすがめて宿直室の明かりを確かめたが、新垣教師の長身はどこにも見つからなかった。
「……見回り中に見つかって、叱られてるって訳でもなさそうだね。喜多君、本当にさんを見たのかい?」
「ええ。そこから、旧校舎の方へ向かってふらふらーっと。たぶん真っ直ぐ旧校舎に入ったんじゃないですか」
「他に隠れる所もないしね」
「と言っても、旧校舎は鍵が掛かっていて開かない筈なんだが……」
 千石は南の肩に手を掛けた。
「南、ここまで来たら直接調べた方が手っ取り早い。シンちゃんが戻って来ないことを祈って、俺はあそこの昇降口まで走ってみるよ」
 止める間も無く千石は走り出した。だてにテニス部エースを務めていない、息が切れることもなく昇降口の扉にすぐ辿り着いた。鼓動が逸ったのは寧ろ、押した扉がギィ、と内側に開いた後だった。
「あ……開いちゃった……?」
 やばい。どうしよう。それにこの、隙間から溢れてくる空気は何なのだ。巷のミステリースポットなんてレベルじゃないよ、これ。
 しかし背後からどやどやと足音の集団が近づいて来て、千石の頭に一瞬浮かんだ『逃げる』という選択肢はあっさり粉砕されてしまった。
「千石、どう――お、やっぱり開いてたか。凄いな、三年間山吹にいるけど、旧校舎に入るのは初めてだぞ」
「み、南。何で。みんなも」
「ここまで来たら直接調べる方が手っ取り早いんだろ?」
 南は鷹揚おうように笑って扉を更に押し開ける。しかし千石はその手がわずかに震えていたのに気付いてしまった。――見なかったことにした。
「……そうだよな、南。ちゃっちゃとさんを見つけて帰ろう。急いで帰ろうな」


To be continued...