彼のヘアバンド

 黄色いボールがころころ転がっていくと、ボク、まだ反射的に追いかけてしまいそうになるです。
「壇くん。いいから練習続けて」
「はっ…そうでした。すみません」
 マネージャーの先輩が、苦笑してます。すごく恥ずかしいです……。まだ先輩の下について、マネージャーをしてた時の癖が抜けてないんです。
 亜久津先輩が退部して、ボクが選手になった春。……あれから季節がふたつ変わった今も、ボクは相変わらず下手っぴで。まだ試合には一回も出して貰っていません。
 だけど、春より身長が3センチ伸びました! この前、怪我して保健室に行ったときに先輩が測ってくれたです。部活ジャージ(Sサイズ)も、ぴったりになったねって言われて、凄く嬉しくて。
 ――亜久津先輩は、こんな話を聞いたら笑ってしまいますか?
 落ち込みそうな時はヘアバンドに触って、アメリカにいる亜久津先輩のことをよく思い出しています。

 亜久津先輩が入部してきた時のことは、今も部員たちの間で語り草になっています。
 伴田先生にスカウトされて来た時の亜久津先輩は口に煙草を……うわわわっ、いえっ、何でもありません。
 とにかく、あまり良い態度では――なくて。
 だけど先輩は、少しも怯まなかったです。つかつか歩み寄っていって、コートを汚さないでって叱り付けました。ボクも部員のみんなも、先輩が殴られたらどうしようって一瞬ひやりとしました。
 幸い、その場はうまく伴田先生がとりなしてくれたですけど……。亜久津先輩と先輩は、その後もすごく険悪で、何かあるとすぐ言い合いになってました。
 亜久津先輩に憧れてるボクは、「あの不良のどこがいいのよ?」って先輩に冷たく諭されて。
 亜久津先輩からは「マネージャーだぁ? あんな女に顎で使われてんのかよ」って冷笑されて……。
 思い余って千石先輩に相談したら、お腹が痛くなるまで笑われてしまうし……ダダダダーン! もう、笑い事なんかじゃないです! ボクは真剣に悩んでたんですから。



 ……だけど、そんな二人が、どうして付き合うことになったんでしょう?
 千石先輩も南先輩も、そこの所はぜんぜん教えてくれないです。

 付き合い始めたといっても、二人は人前でいちゃついたりはしてなかったです。
 ボクが一度だけ見かけたのは、放課後の黄色い光の中、校庭で寄り添う亜久津先輩と先輩の姿でした。
 抱き合うこともなく、二人で何か話しながら……ゆっくりと歩いていく……たったそれだけの光景なのに、なぜか胸に焼き付いています。
 亜久津先輩が留学したのは、その一週間後でした。

 先輩はそれからも、変わらない態度でマネージャーを続けています。
 ちょっとくらい落ち込むとかしてもいいと思うんですけど……ず〜っと観察していてもそんな様子はちっとも見られないです。
「何? 壇くん。じろじろ見て」
 わわ、見つかってしまいました。
「……先輩は、亜久津先輩がいなくて寂しくないですか?」
 部室にちょうど他の部員がいなかったので、思い切って訊いてみると、先輩は目をぱちぱちさせていました。
「寂しい?」
「はい。だって、好きなひとが遠くに行っちゃったら寂しくないですか?」
「いいえ」
 すとん、と切り落とすように言われて、ボクはもうそれ以上なにも言えなかったです。
 先輩は少し経ってから、思い出したように顔を上げて言いました。
「ねえ、壇くん。そのヘアバンド、ちょっと貸してくれない?」

 もしかして先輩は、亜久津先輩の形見が欲しくなったんでしょうか。
『こ、これはボクが貰ったものだから、だだだ駄目ですっ!』
 思わずそう叫んで部室を飛び出しちゃいました。
 だけど慌ててたせいか、どこかでヘアバンドを落としてしまったみたいで……、部室まで引き返してみたけど、どこにも見つかりません……。

「折角、亜久津先輩がくれたのに……失くしてしまうなんて、情けないです……」
 次の日、しょんぼりしながら部室に行くと……。何と先輩が、あのヘアバンドを持って立っていたです。
「あっ! 先輩、そのヘアバンド、拾っておいてくれたですか!?」
「あぁ、壇くん。ちょうど終わったところなのよ。付けてみて」
 ???
 先輩からヘアバンドを渡されて、付けてみると、
「わわ! 全然ずり落ちてこないです」
「でしょう? 良かった。前から心配だったのよ、練習中に邪魔になったら困るもの」
「もしかして先輩、縫い直してくれたですか? だから昨日『貸して』って……」
 先輩がこっくり頷いたので……ボクは、先輩を疑った自分が恥ずかしくなりました。
 先輩は、少し遠い目をして言いました。
「ねえ、壇くん。昨日『寂しくないか』って訊いたよね。
 私、寂しくないって言ったけど、そうじゃないの。本当は仁がいないと泣きたいくらい寂しくて悲しい」
「……はい」
「だけどね、こう考えることにしたの。仁と一緒にいられる時間は幸せで楽しかった。だから、それ以外の時間は自分にできる他のことを沢山がんばろうって」
「自分にできる、こと……」
「仁が留学して向こうで頑張っているように、私も自分が出来ることをするの。勉強を先に進めたり、友達を増やしたり、後輩の面倒を見たり――ね」
 そこで、先輩は思い出したように振り向いてくすっと笑った。
「仁が心配していたわ。最も、仁のことだから素直に訊けなくて『太一のヤツ、テニスが下手な癖にまだ粘ってるのか』なんて言っていたけど」
「ダダダダーン! そ、その訊かれ方はちょっとショックです」
「大丈夫。壇くん、春よりずっと上手くなったわ。一年レギュラーは難しいかも知れないけど、この調子で練習していけば来年は試合に出られるかも知れないわよ。
 卒業するまで、きっちりしごくからそのつもりでね」
「はいっ…! ボク、頑張るです!!」


いつか再び、亜久津先輩――あなたに出会うとき、恥ずかしくないボクでいられるように。


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2011/06/15  up
誰が何と言おうと亜久津夢です。
意外と壇くんの一人称は書きやすかった。

作業BGM:
『君と僕のMake a Wish』小林由美子(as壇太一)