さよならを言わせて

「髪、切ろうかな」
「切んの?」
「まさか。ちょっと考えただけよ。この長さまで伸ばすの大変だったもの、勿体ないでしょう?」

 亜久津は眉をひそめた。髪を切る、と聞いてどんなに不満そうな顔をしていたのか、彼は自分で気付いていない。
 茶化したらきっと怒るだろうね、キミは。
 風に暴れる髪を払い除けて、私は小さく微笑んだ。

 山吹中学始まって以来の問題児。
 いま目の前で煙草をふかしている新入生は、そう呼ばれている。亜久津仁といえば、私のいる三年生の間でさえ恐れられる存在だ。
 たぶん亜久津と普通に会話できるのは、今のところこの中学では私くらいのものだろう。屋上で顔を合わせればたまに話を交わす程度だったけれど、この距離感が私は割と気に入っていた。

 顔見知りになったきっかけも煙草だった。
 この屋上で不器用そうにライターを擦っているのを見かねて、私が横から火をつけたんだっけ。その時に私は吸わないと言ったから、彼氏持ちだというのはとうに気付いていただろう。

「それに、振られたから髪を切るなんて、ありがち過ぎるしね」
「……アンタが振られたのかよ」
「私から別れを切り出す訳ないじゃない。まだたかだか一ヶ月よ」
「一ヶ月もてばいい方だろ」
「あっさり言うわね……」

 別れた原因は安直で、要は彼氏が元カノとよりを戻したからだった。元カノは彼氏と同じ大学に通っていて、ちょくちょく会っては悩み事を持ちかけていたらしい。
 アイツは俺がついていないとダメなんだ。そう訴えかける彼の目にはもう私は映っていなくて、だから諦めるしかないと一瞬で分かってしまった。

(あ、ちょっと泣きそうかも)



 一ヶ月、か。能天気に晴れている空を見上げて思う。
 一ヶ月で髪が伸びる長さは、約1センチだと誰かが言っていた。たった1センチ伸びる間しか一緒にいなかったのに。側にいなくても、私は大丈夫だと思ったのかな。

 私は彼の前で泣かなかった。もっと可愛らしい、頼りない女の子を演じていればもう少し続いたかも知れない。でもそんな風にしていたら私の心はいつか磨り減って消えてしまう。
 誰の手にもすがらずに、自分ひとりの足で立てるようになりたかった。―――例え、そのために何かを失うとしても。

「……髪なんて本人の自由だろ」

 亜久津が紫煙を吐き出し、それから不意に私の目を見た。

「俺ならンな下らないこと言わせねぇ。俺の女になれよ」

(―――ああ、)

 既視感。

 亜久津の目。この目は知っている。あの頃、味方なんて一人もいなかった頃の私に、亜久津は良く似ている。
 きっと亜久津なら、私の気持ちを完璧に理解できるだろう。だけど、

「―――ごめん」

 側にいても、私たちは孤独を深めるだけだ。同じものを欠いているから、共感は出来ても埋め合わせることは出来ない。

 亜久津は一瞬ひどく顔を歪め、バッと背を向けた。屋上を出て行く彼の背中に、私はもう一度ごめんと呟く。爪を剥がしたように心がひりひりと痛んだ。けれどもう、何もしてあげられない。



 無意識にルームメイトの少女を思い浮かべた。亜久津をのぞけば、この学校でただ一人の私の味方。
 私と同じように女子寮へ特別に入ってきた子だ。深い事情を抱えているのはきっと同じ。だけど彼女は私とは違う。もちろん亜久津とも。
 傷つけられても傷つけられても、手を差し伸べられる強さ。優しさ。あの子が側にいたから、私は今ここに立っていられる。もう二度と、泣き崩れたりはしない。

 きっと卒業すれば会う事も無くなるだろうけれど、彼女の与えてくれた温もりは心の中に残る。それはずっと後になっても、私を支えてくれるだろう。
 亜久津にもいつか、どうかそんな存在が出来ますように。
 ひとりきりの屋上で私は切に願った。


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2007/07/16 up
2007/08/22 renewal
拍手お礼小品第一弾。移動に伴い若干修正しました。
年上の先輩に振られる亜久津さんがテーマ。
実は長編予告のつもりで地味に伏線張ったりしてます。

作業BGM:
『SOLITAIRE』song by 加藤和樹(as跡部景吾)