ストーブ

 山吹中学は古いだけあって、若干時代がかった設備が未だに残っていたりする。
 例えば冬場のストーブと言えば、大きなダルマ型で排気筒がついているタイプだ。上に載せた薬缶やかんがしゅうしゅうと湯気を吐く。近くの席になると熱気に当てられるので、冬場は何かと席替えで揉めるのが、山吹中学の常だった。
「けど公立中学でもまだ使っている所があるって言ってたよ」
「……比嘉の連中か?」
「ううん、違うよ。都内に住んでる友達。そういえば沖縄はどうなんだろうね、長袖は三ヶ月くらいしか着ないって言ってたけど。寒くないのかな」
「どうだかな、」
 言って、亜久津はの体を抱え直す。膝の上に横抱きにする形なので、声がいつもより近い。亜久津の低い声がくすぐったくて、は小さく笑い声を漏らした。
 冬休みに入って数日が過ぎていた。自主学習のために教室は開放されていたが、山吹高校へのエスカレーター式進学を希望する達のクラスには、誰も登校してくる気配がない。遠くの受験クラスにわずかな気配があるだけで、廊下は昼間もひっそりと静まりかえっていた。
 初めは教室でいちゃつくのに抵抗のあったも、次第に二人きりの雰囲気に押し流されかけている。机の上に広げた英語ノートがぎりぎりで理性を引き留めていた。

「うん」

「ん、」
「……やっぱり家で勉強するか」
「駄目。それじゃぜったい勉強にならないから」
「ちっ」
「亜久津が後で困るんだよ。山吹高校側にも頼み込んで留学の承認サイン出して貰ったんだから。途中で取りやめたりしたら中学の先生方にも迷惑がかかっちゃう」
「分かってる」
 吐き捨てるように言って、亜久津は猫でも追い払うように膝の上からを追い出した。
 ジレンマ。だけど仕方ない。留学を決めたのも、そのために準備が必要だと判断したのも亜久津の方だったから。

 ぴいぃ――、と薬缶がリコーダーのような間の抜けた音を上げた。
「お茶にしようか、」
 は言って、ストーブの上から薬缶を持ち上げた。まだお湯がたっぷり入っている。
 鞄から紙コップとティーバッグを取り出し、セットして熱湯を注いだ。紅茶は合同文化祭のときに氷帝の生徒会から譲り受けたものだ。会長跡部様は茶葉から淹れないと気が済まない質なので、あやうくゴミ箱行きになるところだったらしい。あの時期は毎日大変だったけど楽しかったな、と少し懐かしくなる。
「まだ熱いから気をつけてね」
 亜久津の分をことんと机に置いて、自分のコップを両手で包み込む。しばらく会話もなく、はちびちび紅茶を啜りながら木枯らしの吹く窓の外をぼんやり眺めていた。
「…………悪ぃ」
 コップの中身が半分になった頃、ぼそっと声がした。
「悪かったな。手伝わせておいて、嫌な思いさせちまって……」
「私、別に嫌な思いなんてしてないよ」
 は紅茶の残りを机に置いて、椅子に座っている亜久津を抱きしめた。亜久津がいつも付けているオードトワレの香りが、肺から身体の中へしみこんでくる。
 心もち腕に力をこめると、それ以上の力強さで抱き返された。言葉が絶える。しゅんしゅん、かたかたと薬缶から湯気の立つ音だけが大きく聞こえる。
「仁、」
「ん」
「……今日、長文読解あと5問やったら、一緒に帰ってもいいよ」
「なんで、」
「メリハリつけた方が勉強ははかどるでしょ。週に1回ならOKってことに決めたの」
「別にいいっつってんだろ」
「私が、仁の家に行きたいの。そうだ、ついでに駅前でモンブラン買っていこ。新しいお店が出来たの見つけたから。ね?」
「……ったく、仕方ねぇ奴だな」
 そんな返事だけで、幸せな気分になってしまう自分はちょっと末期症状なのかも知れない。後悔はしてないけど。
 亜久津が軽く頭をもたせかけてくる。
「……敵わねぇな」
「え、何?」
「――お前こうやって抱いてると温かいって言ってんだよ」
「ばか。紅茶冷めるよ」
 ああこれは陥落だな。頬が火照るのを感じながら、は目を閉じた。


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2007/07/20
夏に書いてます。頭が煮えてる。
試験前の緊迫した雰囲気は割と好きです。
だるまストーブは母校にありました。
タライにお湯張ってレトルトカレーとか、温かい物を食べるために皆頑張ったもんです。