仮面の下




――中途半端は嫌いなんだ。


 物心ついた頃から、自分の将来に迷いはなかった。両親のことは好きだったし、尊敬もしていた。だから彼らと同じ道を進むことにためらいは無かった。

 力があるということは便利なことだ。知力、権力。この時代において、それらは単純な腕力よりずっと効果的なチカラを発揮する。僕はそれらを有効に使いこなしているという自信があった。
 誰もが自分の思い通りに動くと、考えていたこともあった。けれどそれは単なる錯覚だった。

 という名前は入学後まっさきに覚えた。何せこの僕を差し置いて、入学式の生徒代表に選ばれていたのだから。
 それは気に入らなかったが、大した問題ではない。彼女は頭の回転が早いだけでなく、落ち着きがあり周囲からも信頼されていた。親しくしておいて損はない。場合によっては交際してもいいと考えていた。
 けれど彼女は全く僕に興味を示さなかった。
 委員会の用事で会っても事務的に会話するだけ。僕だけじゃない、他の生徒に対してもそう。誰とでもそつなくやれる代わりに、親しい友人は一切作らないという態度を貫いていた。
 きっと人間そのものに深い不信を抱いているのだと、僕はそう納得した。僕はそこで見切りをつけ、他に告白してきた女の子と適当に付き合い始めた。

 僕はきっと、認めたくなかったんだと思う。という人間に心の底から惹かれていることを。そしてそれが完全な片思いだってことを。

 もし彼女がああして誰にも無関心なままだったら――僕はきっと、彼女が好きだという自覚もないまま卒業していただろう。
 けど亜久津仁がテニス部にスカウトされて、状況はがらりと変わった。『あの』亜久津に、彼女は真っ向から対立するようになったのだ。
(昨日も一昨日も練習をさぼっているの。全く、探し回るこっちの苦労も考えて欲しいわ)
(亜久津に何言ったって無駄だよ。さんももう構わなければいいのに)
(そういう訳にはいかないわ。腹が立つけど、亜久津が一番シングルで上手いのは事実なのよ。もう少し真面目に練習してくれれば優勝だって狙えるのに)
 彼女は本当に悔しそうだった。
 後で知ったことだが、彼女は手を故障して泣く泣く女子テニスを諦めた過去があったのだ。それだけに亜久津が天才的な才能を無駄にしているのが許せなかったのだろう。

 全てがモノクロに見えている彼女の世界で、亜久津だけがカラーで映っている。
 僕はそれがとても許しがたくて、――そうして僕は、自分がどれだけ彼女に固執していたかを思い知らされた。

 あれから、打つべき手は全て打ってきた。彼女の気持ちだけはどうにも動かせなかった。亜久津はいとも容易く彼女の心の中に入り込んでいるのに。歯がゆくて悔しくてどうしようもなかった。
 それでもギリギリのところで耐え忍んだのは、二人を繋いでいる感情が恋ではなかったからだ。その最後の防波堤もこの夏に決壊した。

 夏のテニス強化合宿で起こった、あの海難事故。海に投げ出された彼女を助けたのは亜久津だったという。
 詳しい経緯は分からないが、亜久津と彼女が互いに意識し合うようになったのは多分その件があったせいだろう。
 夏が終わり、二学期に入ってから、彼女は明らかに亜久津を避けていた。以前のようにやかましく口論することはもう無い。けれど良く見ていれば、彼女の視線が亜久津の背中へと向けられているのにはすぐ気付く。
 亜久津は亜久津でぼーっとしている事が多くなり、放課後に残ってベランダからテニスコートを――要はマネージャーである彼女を眺めていたりする。そのくせ部活が終わる頃になると、鉢合わせを避けるようにさっさと帰るのだ。
僕はそんな二人の様子を心底忌々いまいましく思っていた。

「さっさと告白すればいいのに」

 亜久津がアメリカへ留学することは千石から聞いた。このまま卒業してしまったら、彼女と亜久津に接点は無く、まして二人がお互いの気持ちに気付く機会は二度と巡って来ないだろう。そうして僕は苦い初恋の記憶をいつまでも引きずることになる。
 ふざけるな、と思った。

――中途半端は嫌いなんだ。

 感傷や未練は要らない。彼女への想いは、思い出と共にこの中学に置いていこう。
 欲しいのはこの想いを断ち切るタイミングだけだ。

「やぁ亜久津君、珍しいね。こんな時間まで残っているなんて」

 亜久津君、きみから見れば僕はとんだ道化師ピエロなんだろうね。それでも構わない。

 誰のためでもない、自分のために。
 僕は意を決して道化師の仮面をつける。


←back

2007/07/12 up
ヒロインに片思いしている男の子がいるといいなと思いついて一気に書いた話。
気が付けば性悪になっていたので千石に役を振るのは諦めました。
オリキャラとしては気に入っていますが。
ここから派生して『仮面』に続きます。
文中の海難事故云々は密かにドキサバのネタです。