序文「ある少女の独白」

 

 

 私は、いつも独りだった。

 それは幼い頃に交通事故で家族を亡くしてからだ。

 そう、事故。その車の中に私はいなかった。だから助かった。

 不幸にも物心もついて、分別も弁えた年頃だったから。家族の死は私を闇色に染めた。 孤児となった私は伯父の家に引き取られた。

 彼らはとても私に良くしてくれ、閉ざしていた心も開けた。

 私は中学まで、奇術師の伯父にくっついて全国各地を回っていた。

 転校の繰り返し。最初は友達もいたが、私は段々とそれを作ることを拒んでいた。

 別れはつらいから。……家族のことを思い出すから。

 私は、いつも独りだった。

 それは独りになるくせがついたからだ。

 小学校卒業間際。私は伯父さんの家に定住するようになり、近くの学校で卒業。

 中学に入学するが、やはり私は独りだった。

 別にそれでもいいと思っていた。

 私は常に独りだったし、これからもそうしていこうと思っていた。

 友達なんて必要ないと思っていた。

 私は、いつも独りだった。

 だけど。

 いつだっただろう。

 彼女たちがわたしに話しかけてくれた日は。

 いつだっただろう。

 私が、独りになることと決別できた日は・・。

 

 

 

 

 

 

 第一章「それぞれの開始位置」

 

 

                    1

 

 

 彼女――光刃 言葉(こうじん ことは)は今現在、料理部に所属していた。

 今現在というのは他でもない。彼女はちょくちょく部活を変えるからだ。

 彼女曰く、

「人生の中で学生でいられんのは高校までだったら12年。大学入るんだったら16年。小学4年までは部活出来ないから3年。要は最高で13年しか部活できないわけよ。それなのにその短い日々をなにが悲しゅーて同じ部に居続けなあかんわけ?」

 とのことだった。

 ただいま彼女は高校3年。季節は7月。夏休み手前である。

 本日の天気は晴天。時間は放課後。場所は第一調理室。部員数は5名。

 そんな真夏の盛り日になぜかキムチ鍋を汗水流して嬉々としながら作るのは、短い日々を無駄に過ごしているとは言わないのだろうか。

 少なくとも彼女自身は微塵も感じていなかった。

「ね、ねえ光刃さん。あのー今回はなぜにキムチ鍋? その鍋から発せられるかぐわしきかほりが部員たちが作ってるケーキとかアイスとかの香りを完全にキムチ色に染め上げてかなりアレなんだけど」

 見るに絶えかねなくなった一人の部員というか部長が、にこにこしながら獄赤の汁をぐるぐるとかき回している言葉におずおずと抗議する。

 話しかけられ言葉は振り向いた。

 『光刃』の性と対照的なショートの黒髪。切れ長で、わずかに吊り気味な黒の瞳。背丈は平均的で、でも出るところは出ていた。

 総じて述べれば、かなりの器量よしだ。

 彼女は調理中ということで、制服の上にチェック模様のエプロンをかけていた。地獄鍋制作の影響か頬に朱がさしている。

「えー? なんだって?」

「いやだから今の時期になぜキムチ鍋を作ってるの?」

 問うと、言葉はにこりと微笑んだ。

「えへへ。逆療法ってあるでしょ。暑いときに熱いものを食べる、あれ。あれをちょっとやろーかなーって。あ、モチみんなの分も用意してあるから安心してちょーだい」

 それを聞いた部員たちが、全員同時にうめき声を上げた。

 冗談じゃない。一人でやってくれ。いやそれ以前に作るのやめて。

 という心の叫びが、今の「うっ……」に全て要約されていた。

「あのね光刃さん……」

「あーあー解ってる。解ってるって。いくら何でもキムチ鍋だけじゃあんまりだ、せめてデザートの一つでもつけてくれ、とこう言いたいわけでしょ?」

「え? え……。若干というかとても違う気がするけど」

 もごもごと反論するが、当の言葉は聞いてはいない。気付いたら彼女は黒板の真向いにある冷蔵庫の前にいた。

「しーんぱいナッシングよ。そう思って実は用意してたのよ、ゼリー」

「ぜ、ゼリー?」

「そ。お、いい感じで冷えてるわね」

 そう言って取り出したのは、なぜか試験管だった。

 理科の実験で使われるごくごく普通のもので、長さ15センチ程。中に緑色の寒天に似たなにかが詰まっていて、きっちりと栓がしてある。

「それは……?」

 尋ねると、言葉は陽気に笑った。

「言ったじゃん。ゼリーだってばさ」

「ゼリーって……。なんでそんな怪しげな入れ物に。……それに量だって少ないし」

「へへへ。ところがどっこい。あたし今、ここと科学部かけもちしてるんだけど。これはその科学部の実験成果なのでーす」

「え!? 実験!?」

 部長以下はあからさまに顔をしかめた。

 光刃 言葉が実は大金持ちのお嬢様であることは有名だ。

 彼女の両親は希代の科学者で、超伝導物質やら水に溶けないリチウムやら水混合石油の発明、治療用ナノマシンの実用化などを行って一代で莫大な財産を築いた偉人である。

 彼らはその資産を使って「影明」(シャドウライツ)という会社を設立。株の投資や貿易、自らが手懸けてきた研究の続行、最近では機械類の開発や情報通信業、プログラム開発やそれに付随したゲーム作成、挙げ句の果てには合法すれすれの巨大賭博場まで始めた。

 しかもこれらがことごとく大当たりし、今では日本一笑いが止まらない財団だ。

 言葉はその彼らの娘だけあって科学に手を染めている。

 やはり機械の作成よりも、怪しげな薬のようなものを作るのが無性に楽しいらしい。

 が、彼女はいつでも余計なことしかしない。

 彼女は普段こう見えてなかなか理知的な人間なのだが、こと彼女の「実験」に関しては常にトラブルが付きまとってくる。

 一年の頃は何を思ったか惚れ薬を作ろうとしてスタミナ増強剤を作ってしまい、しかもそれが盗まれるという珍事件が発生。

 二年の時はアロマテラピーにハマッていた彼女がオイルを科学薬品で作った所、気分がハイになってラリッてしまう神経ガスを生み出してしまう。しかもそれらが全校に広まりエラい騒ぎになった。

 これはほんの一例で、これに似た事件はいくつもいくつも起きている。そしてその度に彼女の友人二人が事件解決のために動いていた。

 被害らしい被害はとりあえず起きたことはなかったが、妙なことはいつも起きていた。 そこに、問題の彼女が取り出した、見るからに再びこの学校の歴史を刻みそうな試験管。中に入っている不気味なほど透き通った緑色の物体。

 これを警戒せずにいられるだろうか……!?

「実験って……。いったい何の?」

 一応聞いてみた。

「ふふふ。こう思ったことはない? ゼリーでお腹一杯にしたい、とか、一度でいいからゼリーのプールで泳ぎたーいとか、そういうの」

 ねーよ。

 と心のうちでつぶやくが、あえて声にはしなかった。

 一方言葉は目をキラキラと輝かせながら言う。

「今回の実験はその夢を実現させる為の一大プロジェクト! ななななんと、この僅かなゼリーを空気にさらした時、コイツは勝手に自己増殖を始めてすぐに膨大な量になんの」 テレビの通販もかくやといった熱弁で言葉は語るが、それがはたして食べ物かどうかは最高審議にかける必要があるだろう。

 現に部員達は疑惑の眼差しで言葉を見つめるが、マイペース爆走中の彼女にツッコめる勇者はさすがにいなかった。

 いや、一人いた。部長だ。

「あのー……。それって食べられるの?」

「難しいわね」

「真顔の上に即答!?」

「いやーでも別に危険物を混ぜたつもりはないし。一応生体実験を行なったけど特に何の異常も見られなかったし。大丈夫よ、平気平気」

「でも実験したってことは百パーセント安全とは言いきれないのね……?」

 鋭い指摘に彼女の顔は引きつった。冷汗も浮かんでいた。

「大体あなた生体実験って言うけどそれってモルモットかなにかでしょう? 人が食べて同じ結果が出るのか解らないじゃない」

「あ。その辺は大丈夫」

 胸を張って自信満々に答えた。

「被験者はうちの弟だから」

「人体実験!? あなた弟さんに何かあったらどうする気だったの!?」

「あー、いーのいーの」

 手をぱたぱたと振りながら言葉は言った。

「あいつは才能だけで何でもこなす生意気な野郎だし。たまには痛い目見ないと、ね」

「なんかまた論点がずれてるような」

「あーこんな話はおしまい。とにかく開けるわよ。なんだったら最初に通りすがりの人間とっ捕まえて試食させりゃいいわ。ちゅーことで」

 迷いなく栓を引き抜く。

 シャンパンを開けた時と同等の景気の良い音を響かせて、封印は解き放たれた。

 ――騒ぎが起こったのはすぐ後のことだった。

 

 

                    2

 

 

「ふう」

 同時刻の第二家庭科室。ため息と共に、一つの作業が終わった。

 作業とは、帽子づくりだ。

 製作者である十文路 蓮華はミシンの上に乗っている完成品をじっと眺めた。

「ふむ」

 の一言で沈黙を破り、手に取る。

 履き古したジーンズの生地を再利用して制作したその帽子は、出来たてなのにも拘らずやたらくたびれていた。

 弥月(みづき)にはやれないな……。

 それは彼女の妹の名前だ。

 今年で中学二年生になる活発が勢い余って暴走と転じてしまっている彼女には、確かに薄い寒色は似合わないような気がした。

 大体が蓮華の履き古しであるのも理由の一つだ。

 しばらくいろんな角度から眺めていた彼女は、軽くそれをかぶってみた。

「うん」

 悪くない。

 そのまま蓮華は黒板の真向いにある姿見へと歩み寄った。

 鏡に写る彼女は、制服の上にひよこ模様のエプロンを、頭の上に帽子を乗せていた。

「……」

 少し滑稽な印象も受けたが、問題の帽子は彼女のためにあつらえたかのように――実際そうなのだが――しっくり来ていた。

 ……なかなか、わたしの腕も捨てたものでは……。

 ちょっとした満足感に浸っていると、背後から黄色い歓声が上がった。

「きゃー! 完成したんですかせんぱーい!」

「ああ、すっごい似合ってますよおー。さすがは十文路先輩!」

 ぎょっとして振り返ると、そこには部員達――彼女が所属している裁縫部のメンバーがこちらに近付いてきていた。今の二人は一年生である。

「ていうか、十文路さんは何着ても似合う気がするわよね。特に青とか黒とか、そういうワイルドっぽいやつ」

「うらやましーわー。かっこいい女って、なんか憧れるわよねー」

 この二人は三年生。部長と副部長だ。

「あ、ああ。どうもありがとう、みんな」

 少ししどろもどろになりながら蓮華は答えた。

 彼女は女性にしては長身の方だった。その瞳は鋭く、同時に吸い込まれそうな程深い。 その瞳を含め、蓮華はどこか冷たい雰囲気を宿していた。蓮華がやけに大人びた印象を持たせる要因の一つだ。

 髪は鴉の濡羽を思わせる艶黒。腰まで届くほど伸ばしたその髪は、首筋辺りで無造作にゴムで止められていて、さながら箒を思わせる。

 ついでに言うなれば彼女はモデル並みのプロポーションまで保持していた。

 結論を総じて述べれば、蓮華は半ば反則なぐらい超絶的な美女である。

 その気になってお洒落をして、その気になって街を歩き、その気になって誘惑すれば、オトせない男はまず存在しないだろう。

 しかし彼女は自分がそれだけの器量に恵まれていても、それを活用しようとしたことは人生の中で一度たりともなかったが。

 そもそも彼女は『紅蓮の華』と赤を連想させる名前でありながら、対抗するかのように寒色系の衣類――つまりはジーンズ製品をやたら好んで着込む。基本的に私服はGパン、Gジャン、Tシャツ――冬場はセーター――の三点である。

 実際に彼女が所持している衣類もこれらがほとんどで、あとは去年の誕生日に弥月から送られた革ジャンや、蓮華の素行に嘆いた友人達が、からかい半分で彼女へと押しつけた「女の子らしい服」とやらである。もちろん後者は滅多に着ない。

 要するに蓮華は女性らしいお洒落など全くもって行なわない。明確な理由は不明だが、本人は一欠けらの不満も持ち合わせてはいない。

 そんな彼女は去年まで同姓の――特に下級生の支持率が高かった。運動系の部活による活躍と、美人なのに社交性がないことが原因である。

 それも去年の文化祭で思い切り覆ってしまったが。

 何があったのかは割愛するェ、友人のおかげも相成って、今や彼女も学校名物の一人と成り果ててしまっていた。

 ふと蓮華は時計を見た。

 そろそろ、か……。

 と、今度は自分が今まで座っていたミシンのイスを見た。その下には赤いプラスチックの容器――ストーブの灯油入れが何故か二つほど置かれていた。

 繰り返すが現在は7月である。

「どーしたんですか?」

 蓮華の視線が気になったのか、後輩のうち一人が声をかけた。

「いや。なんでもない」

「そーですか。……あ、そー言えば十文路(じゅうもんじ)先輩はこれからどーするんですかあ? 帽子、完成しちゃったんですよねえ?」

 悲しそうな二年生の声に、蓮華はああと答えた。

「そう、ね。そろそろまた身体を動かしたくなってきたから、また運動系の部活の助っ人生活に戻る時期かもね……」

「ええー! やめちゃうんですかー!?」

 そう声を荒げたのは一年生の後輩だ。

「まだ入部して1ヵ月くらいなのに……。なんでもう行っちゃうんですかー? もう少しここに居てくれても」

「まーまー。この娘は旅ガラスだからね。一つの所に長くは留まらないわよ」

 そう言って割って入ったのは部長である三年生。

「でもあんた達って、どこ行ってもやっていけるから凄いわよね。器用って言うかなんて言うか。……まあ光刃は……、あの調子だけど」

 言って部長は苦笑した。

 光刃とはもちろん光刃 言葉のことである。

 蓮華が行動を共にする友人は二人いるが、言葉はその内の一人。三人のリーダー格だが同時にとんでもないトラブルメーカーでもある。

 蓮華は事実上、トラブルの鎮火実行班となっていた。ちなみにもう一人の友人は参謀兼分析班を担当している。

「光刃先輩が文化系中心で十文路先輩が体育系中心ですよね。……なんか普段の先輩達を見てると立場が逆っぽい気がしますけど」

 二年生が苦笑すると、部長は指を振って否定した。

「甘いわね。この娘ったら実家が格闘道場をやってるもんで、正気と常識を本気で疑う位無敵だし。身の軽さと持久力は人間離れしてるし。身体動かしたら絶対誰も勝てないわ」「光刃もなんだかんだ言って成績常に首位だしね。……真面目に動けば、あいつって案外なんでもできるんだけどねえ」

 苦笑混じりに副部長が言った。

 と、唐突に蓮華が左を方を向いた。いきなり視線が合った後輩は何事かとひるむ。

 だが蓮華は彼女ではなく、その先にある引き戸を見ていた。

 そこで狙いを澄ましたかのように戸が開く。

 何事かと一同が視線を集める中、そこから一つの影が飛び込んできた。

「蓮! ちょい手伝って!」

 威勢よく現れた影はここまで走り込んできたらしく、肩を大きく上下させていた。

 蓮華は荒息をため息で返し、彼女の名前を呼んだ。 

「やはり言葉か。その様子だと、また」

「あーそーよ。いまさっき調理室でまた一つ伝説を作り上げてきたところよ。んでもってあたしはアンタを伝説の証人にしてあげようと呼びにきたわけ」

「証人じゃなくて後処理班だろ。苦笑い浮かべながら強がりを言うな」

 再び嘆息。

「調理室、ということはアレか。朝自慢げに見せてきたあの怪しさ爆発のゼリー。酸素に反応して量が増えるとか言った」

「ぐっ。当たり」

「警告したのに……。どうせ試験管から出しても思ったほど増大しなかったからって酸素スプレーを吹きかけたら暴走して手に負えなくなって慌てて逃げ出してきたんだろう?」「いやん。蓮ったら相変わらず鋭いねえ」

「解ったからまずその妙な猫なで声を止めろ」

 疲れたように蓮華は肩を落とした。

 余談だが言葉ともう一人の友人は蓮華のことを「蓮」と呼ぶ。彼女の下の名前を呼ぶのは蓮華の家族と彼女達くらいだった。

「……まあいい。もう準備は済んでいる。ちょうど帽子も出来たことだし、早く行くぞ」「帽子? おお、似合ってんじゃんそれ」

 言葉は蓮華のそれを手にとって、自分の頭に乗せた。そうして何やら納得した後、それを再び持ち主にかぶせた。

「うん。いい感じじゃん」

「それはわたしか? それとも帽子?」

 そういう蓮華の顔は笑っていた。

 先ほどみんなにもてはやされた時には見せなかった表情だ。

「さて、まずは漫研か。ソフィアを呼びにいくんだろ?」

「そーねー。人手はあったほうが――って蓮、何してんの?」

 言われて振り向いた蓮華は例のイスの足元の灯油入れを両手に所持していた。十歩ほど離れた位置からさも当たり前といった口調で彼女は言う。

「準備をしたといっただろう」

「……あーそ。ま、いいわ。とにかく行きましょ」

「ああ」

 歩くたびに水音を立てつつ蓮華が廊下に出ると、言葉は唖然としている部員達に向かい微笑を一つ浮かべた。

「んじゃま。おじゃましました〜」

 小気味いい音と共に戸が閉まり、部屋内に静けさが戻った。

「なんか、嵐みたいな人でしたね……」

 そうつぶやいたのが誰なのか、確認する者はいなかった。

 

 

       3

 

 

 その時、彼女は部室のソファーで寝そべって漫画雑誌を読んでいた。

「ふうん。そういう展開になるわけね…。なるほど」

 言って、彼女は昼間残しておいたカレーパンを一口パクついた。後ろを向いて、視界に映った後輩に持っていた雑誌をちらつかせる。

「佳代、見せてあげるわ、占術街都。256頁で主人公が」

「ああー! やめてくださいよソフィア先輩! あたしまだ読んでないんですからあ! ネタバレはハラキリですよ、ハラキリ!」

「えー? あなた今なに読んでいるの?」

「FMPですよ。昨日出たばっかの」

「の、どこ?」

103頁です。主人公がいなくなって、ヒロインが知らない男とラブホテルに入って、その男をのして、そのあと見張っている人間が出てきました」

 手に持った小説に目を向けたまま佳代と呼ばれた後輩は答えた。

「ああそこね。そしてヒロインがそいつの後ろを取るんだけど、本物の追跡者が彼女に襲いかかってきて」

「ネタバレはやめてくださいってば! てゆーか先輩もう読み終わったんですかこれ?」「夕べのうちにね。あなたの方が読むの遅いのよ」

「あたしは大事に本を読むタイプなんです!」

「はいはい、さようでございますか」

 ふうと息をつくと彼女は手にした雑誌をソファーに置いて通読を再開。他の部員も各々漫画や小説を読むか、創作活動にふけっている。

 そう、ここは漫画研究部。通称漫研である。

 主旨は特にない。みんな好き勝手に自分の持ってきた本を読むか、部共有物である本棚に置かれている本を読むか、創作活動――漫画・小説の執筆をするかという感じである。 けっこうただれた部活であるが、部員の数はかなり多い。文科系クラブだったら三本の指の中に入っている。原因は、やはり部費で好きなものを購入できる点だろう。

 しかし購入に関する最終的な権限は部長に一任されている。

 その部長とはたった今カレーパンを食べ終わった雀羽 ソフィアその人である。

 名前が外人さんっぽいのはなんのことはない、彼女は実際、日本人とロシア人の混血児なのだ。ソフィアは留学生なのである。と言っても彼女の場合、留学とは呼べないが。

 彼女は小学生の頃父親と大喧嘩をし、その勢いで祖父母のいるこの国へ大規模な家出をかましてきた。それでそのまま日本に住み着いている状態なのだ。

 もちろん両親も何回も連れ戻しにきたのだが、当のソフィアは断固拒否。父親との関係は修繕したものの彼女は未だ祖国――英国に戻る意志はない。

「おいおい、日本人とロシア人のあいのこで故郷がエゲレスやねん」

 というつっこみが来そうだが、これは事実である。

 ソフィアの父親は貿易商で世界中を飛び回っていたのだが、彼はその際に英国をえらく気に入りそのまま永住の土地としたのだ。

 彼女は父親が家を購入してから二年後に生まれていた。だから国籍は英国なのである。しかし両親の影響で日本語とロシア語も流暢に扱える。バイリンガルな少女だ。

「あらま。この二人がくっつくのね……」

 つぶやきながらソフィアは母親譲りのセミロングの銀髪を手で撫でた。

 彼女が英国に帰りたがらない理由の一つが「漫画とアニメ」にあった。無論、故郷にもないわけではなかったが、日本が世界に誇る最先端技術(?)には到底及ぶべくもない。

 それに接触したソフィアは文字通りカルチャーショックを受け、この世界にどっぷりとハマッてしまったというわけだ。

 今では読むことはもちろん、描くことも出来る。

 この数年で人物や背景はもちろん、動物やら化け物やら機械など類もマスターし、プロの漫画家も真っ青の腕を身につけた。

 それだけではなく、演出や描写、表現能力の面でも独創的で、群を抜いた実力をもつ。彼女は「漫画でしか出来ないこと」を若干十七歳にして完全に把握していた。

 同人誌も出したことがある。いずれも完売。高評価だったが出品は数えるほど。

 これも理由がある。一つはコミケの空気が好きになれないこと。もう一つは余計な銭を使いたくないからだ。

 それに同人活動はそこまで儲からない。原因は費用がかかりすぎること。

 まず消耗品費。印刷代。チラシなどは名前が売れているため作らなくてもいいが、会場の入場料、さらにシャバ代。これらだけでも利益を上回ることが多い。

 まあ他の人間はそれでも求める何かがあるのだろうが、ソフィアの場合は苦痛だけしか得られない。いいことなどないのだが、部の仲間や意外と多いファンのために、たまには出品することにしていた。

「ま、好きなものを描ける点はいいのだけれど……」

 ソフィアのぼやきに、後輩の一人が反応した。

「へ? なんか言いました?」

「ううん、そろそろ宮村に頼まれてた同人の応援も手をつけないとね、と」

「……はい!? アンタまだやってなかったの!?」

 奥の机でなにやら必死にトーンを切ったり張ったりしている眼鏡の女生徒が鬼の形相で飛びかかってきた。

 述べ忘れていたがこの部室、元は職員室だったのだ。しかし諸事情で別校舎に移動することになったこと、漫研の部員数が急増したことを理由に先代部長が見事勝ち取った部屋なのである。なかなかに広く居心地がいい。ソファーなどがあるのもこのためだ。

「どーすんのよ! あたしだって今修羅場入ってんのに、アンタの作品がまっ白じゃ意味ないじゃない! アンタの名前で売ってるようなもんなのにー!」

「み……みやむらっ! くび、くびぃ……ッ!」

 襟を完全に極めてグイグイと上下に揺さ振られ白目むいてるソフィアにオロオロしながらも、近くにいた部員たちが一斉にフォローに入った。

「あー、しょうがないじゃん。部長って商業誌の仕事だってあるんだし」

「そーですよ。学生なのに出版社(むこう)の戦略で毎月24頁超、しかも今月はCC(センターカラー)までやらされたんですよねえ。アシさんも使わずにやってるんですから忙しくて手も回りませんって」「もーそろそろ短篇集と今やっている『破戒の行進』の単行本も出るんですよねー。表紙カバーとか手直しとか色々やんなきゃいけない時期ですしねー」

「そんな中を無茶言ってお願いしてるんですから、きつく当たるのはかわいそーですよ」「むうー……」

 さすがに気がとがめてきたのか、宮村はしぶしぶ手を放した。

 ソフィアは激しく咳き込みながらも皮肉混じりにいった。

「うふふ。悪いわね、こう見えても売れっ子なのよ。あたしは」

 実はその言葉に嘘はなかった。

 去年の春、新人賞を募集していた少年漫画雑誌に冗談半分で送った作品が何を間違えたやら入選した。手を抜いていた漫画だけに驚きは大きかった。

 その後何度か短篇を描くことになり、去年の十二月から長期連載までやらせてもらえるようになった。気が付いたらプロ作家だったのである。

 職業漫画であり、学校も通いながらということで色々厳しい面があるものの、収入には目を見張るものがあった。アシスタントも雇っていないので原稿代はまるまる自分の物。下手に就職するよりよっぽど割がいい。

 おまけに初の単行本が近いうちに出て、印税も取れる。やはり彼女は人気が高く、売れ行きも見込めるだろうと担当は言っていた。

 同人誌と違い自由が効かない面があるものの、自分のやっている仕事に確かな手応えがあるというのはやはりうれしく、楽しい。

 出版社は何かとこき使ってくるが忙しいのはいいことだ、と彼女は思う。

「期末もあるしお仕事もあるし。昨日なんかあんま寝ないで背景入れてたぐらいよ? あなたも大変かもしんないけどあたしも遊びほうけてるわけじゃないのだから」

 ふん、と勝ち誇ったように鼻を一つ鳴らす。

「あれ? 先輩、先週の火曜ぐらいにもう原稿全部上げて『こんなん余裕余裕。息抜きまくるわよーひょほほい!』みたいなこと言ってましたよねえ?」

「――ひぃぃ!?」

 背後からの声は、小説に集中していたためいまいち状況を理解できていない後輩、佳代だった。

「大体先輩は絵はうまいし描き込みも多いのに、原稿描くスピードは尋常じゃないことぐらいみんな知ってますよね? 本当に忙しかったらこんな所で漫画読んでないですよ」

「こ、この馬鹿娘ッ! うまくまとまりかけてたとこで……!」

「へええ」

「ひいッ!」

 妙にドスの効いた宮村の声にソフィアは思わず教室の隅っこまで逃げ出した。宮村はそれを急いで追わず、距離を一歩一歩詰めていく。逆に恐い。

「そーよね。あやうくダマされるとこだったわ。修羅場って言葉とアンタはまるで無縁な人間だったわよね。そうそう」

「あ、あの宮村さん……?」

 彼女はそれに答えない。ただ自嘲気味の笑みをたたえながらまた一歩踏み出した。部員もさじを投げたのか、ソフィアを完全に見捨てる方向に入った。

 ――やばひ。

 と、直感で感じるが、対処する方法が思いつかない。

 そうこうしてるうちに双方の距離はじわじわとゼロに近付く。

「あたしは三ヵ月前からアンタにお願いしてたわよねえ? ページはどんなに少なくても構わないから、チラリとだけ名前を貸してほしいって」

「そ、そうね。ははは」

「金持ってるくせに『原稿代の代わり』とか言って駅前のケーキ屋の食べ放題おごらせたわよねえ? しかも三人分」

「あーそんなこともあった気が」

「次のコミケまでもう日にちないのに……。いまさら『落ちました』じゃすまないわよ!?テスト勉強までやらなきゃいけないし! なんとかなると思うわけ!?」

「いやだからそろそろやろうかなっていう話をして――って聞いてる?」

 聞いてない。

 ……今度揺さ振られたら確実にオチるかしら……。

 と、他人事のように思っていたとき、変化が起きた。

「ちぃーっす! ソフィアいるー?」

 戸が引かれ、声と共に女生徒が二名室内に侵入してきたのだ。

 光刃 言葉と十文路 蓮華。

 二人の姿を視認したとき、彼女は思わず口走った。

「た、助かった〜!」

 部員達はどっと歓声を上げ、宮村は舌打ちを一つ鳴らした。

 

 


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