夏目誕2。夏目と先生











花の名を




 大きな袋を抱えて帰路につく。重みが手に掛かるけれど、それさえもどこか幸福な感覚がして、誰もいない道で夏目は少し笑った。
 空が青い。

「何だお前は。にやにやしおって」
「わっ! 何だ、先生か」

 道の脇の草むらからニャンコ先生ががさがさ音を立てて出てきた。いきなりの音に夏目が驚くと、猫は身体についた草を払おうとしてかプルプルと短い尻尾を振った。

「いきなり出てくるなよ、タヌキかと思ったぞ」
「タヌキとは何だ!」
「太いからだろ。それに先生、何で花なんてくわえてるんだよ」

 猫の口にはきれいにまとめられた花束がある。それを指摘すると、猫はふんっと鼻を鳴らしてから短い手で口にくわえた花束を持ち直し、それを夏目に差し出した。

「ほれ、やる」
「え?」
「私とヒノエからお誕生日プレゼントだ。感謝するがいい」

 ぽかんとしたままの夏目にほれほれ、と猫が花を突き出す。夏目は我に返ると、くすりと笑って花を受け取った。

「ありがとう」
「礼は羊羹でいいぞ」
「うん。ヒノエも羊羹でいいかな」
「何だ、素直だな。お前からありがとうなんぞ言われるとは思っておらんかったぞ。ああ、ヒノエは知らん」
「言い慣れたんだ……今日、みんなが色々くれたんだよ」

 ほら、と夏目は抱えていた袋の中身を猫に示す。袋の中には様々な物が入っていた。手作りらしいお菓子から高価そうな箱までいくつもの贈り物がそこにひしめいている。

「おお、お誕生日プレゼントか? ずいぶん貰ったな」
「そうなんだ。学校でも色々貰ったし、名取さんにも会ったし。帰ったら塔子さんがケーキ作っててくれるって」
「ケーキだと?!」
「うん……今日は、たくさん、みんなにありがとうって言ったよ。嬉しかったな」

 誕生日おめでとう、とたくさんの人に言われた時の暖かい気持ちが蘇る。夏目が笑うと、猫は夏目の手からもう一度花を取り、袋の中にそれを押し込んだ。

「それならこれも入れておけ」
「うん。先生も、ありがとう」

 夏目がそっと猫を撫でると、猫は眼を閉じてされるがままになっていた。柔らかい毛の感触が心地いい。

「そうだ。先生、この花どこで摘んできたんだ?」
「見たいか? ほれ、こっちだ」

 そう言うと猫はがさりと草むらに走り込む。動く草の後を追って草原を歩くと、少し行った先で急に地面の色が変わった。

「わー、すごいなー」

 夏目は思わず歓声を上げる。そこは草の緑色だけではなかった。様々な色の花が咲き乱れる花畑が広がっている。

「なかなかのもんだろう」
「うん、すごい。きれいだなあ」

 吹き抜けた風が草花を揺らす。草いきれに混じって甘い匂いが漂ってきていた。息を大きく吸い込むと、澄んだ空気が肺に満ちた。
 花は山のように咲いている。匂いをかぎながら、夏目はそっと空を見上げた。

「なあ先生」
「ん?」
「レイコさんの誕生日なんて知らないよな」
「知るか、そんなもん」
「そうだよなあ」

 やはりニャンコ先生も知らない。もちろん夏目だって彼女の誕生日なんて知らない。多分、もう誰に聞いてもその答えは返って来ないのだろう。
 それならそれでいいか、と夏目は思い直すと地面にかがんで花を摘んだ。ぷちぷちと花を摘んで行くと猫が怪訝そうに夏目を見上げた。

「何しとるんだお前は」
「んー? ちょっと待っててよ、これくらいでいいか」

 いくら摘んでも山のように生えた花はちっとも減らない。茎を千切り、片手に抱えられるくらいの量の花束を作ると夏目は猫を手招いた。

「何だあ?」
「ほら、先生も持って」
「また訳のわからんことを……」
「いいから、ほら。せーの!」

 花束の半分を渡すと面倒くさそうに顔を歪めた猫を制し、それから掛け声と身振りで猫に動作を示しながら夏目はばさりと空に向って抱えていた花を撒いた。
 ニャンコ先生も不満そうな顔をしつつもそれに倣い、短い手でばさっと花を撒く。ばさばさと花が散り、鮮やかな赤や黄が空に舞った。

「レイコさんも、おめでとう」

 空に舞う花を見ながら、夏目はちいさく呟く。猫はふああと欠伸をして、声を遮ることなく夏目の脇にうずくまった。
 きっと、彼女は誰かに祝われたことなんてないだろう。今までの自分と同じように、誰一人として気にしてくれる人なんていなかっただろう。だから、誰も彼女の誕生日なんて知らない。
 それなら勝手に祝おうと思った。夏目が祝われた今日の日に、彼女にもその幸福を分けたかった。

「ありがとう、レイコさん」

 彼女がいなければ生まれてくることもなく、こうして誰かと関わって好意や幸福を貰うことなんて出来なかった。夏目はもう、自分が存在することを拒否出来ない。誰かと関わって、存在していたい。生きていたい。
 そう思えるようになったことを、生まれてきて良かったと、夏目がそう思っていることは彼女にはもう伝わらない。
 それでも、彼女がいてくれなければ何も始まらなかったから。
 いてくれたことに、深い感謝を述べたかった。




2009/07/07