スーベニアフィルム -preview-




 水の音がしていた。
 森の中の獣道はぬかるんでいる。さっきまで降っていた雨を大量に蓄えた土は踏むたびに濁った泥水をたっぷりと吐き出していて、スニーカーはすっかり泥まみれになっていた。ぐちゃぐちゃの土に何度も足を取られるが、そのたびに力を込めて足を引き抜くしか前に進む方法はない。
 繰り返しの作業に夏目が辟易し始めたころ、すぐ隣でべしゃりと何かが転がる音がした。
「うおっ」
「先生?」
 横を向くと、隣を歩いていた猫が見事地面に転がっていた。短い足を泥に取られたらしく、ぬかるみにはまって沈んだ猫は尻尾から顔まで見事に全て泥と同化していた。


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 髪から水が滴り落ちて木の床に落ちる。ぼたぼたと絶え間なく垂れてくる水を無理やり袖で拭いながら夏目は下を向いた。
 正直な気持ちを言ってしまえば、怖い。
 ついさっきまで近くで鳴り響いていた雷鳴が夏目の脳に木霊していて、恐怖で手足が少し震えている。だけどそれを知られたくなくて、夏目は身体のそこかしこから滴り落ちるのを気にしている体で俯いて床を見ていた。
「急に降ってきたね」
「そう、ですね」
「そういえば猫ちゃんは?」
「あれ、いませんね……置いてきたかな」
 気が付くと、雨が降り出す直前のついさっきまで一緒にいた猫がいなかった。見渡しても影も形もなく、気配すらない。
 ずっと静かに同行していた柊も今はいない。最も、彼女は自ら森の様子を見に行くと言ってたった今出ていったばかりなのだが。
「まあいいや、どっかで身体洗って帰ってくればいいし」
「いいんだ」
「そのうち戻ってきますよ」
 けれど、夏目にとっては何でもないいつものことで、猫が急にいなくなるのは日常の一コマに過ぎない。さらりとそう返すと、名取は少しだけ苦笑いしたように見える。それもまたいつものことだった。
 それよりも、足の震えが止まらない方が困る。身体を支えるには少し覚束なくて、大きく息をつくと夏目は床に座り込んだ。