リワインド




 女と言う生き物は永遠の愛とやらを無闇に誓いたがる。指輪や、ネックレスや、そういった装飾品やその他の物を二人で分かち合いたがり、それに言葉で呪を掛けていた。永遠の愛情を、などと言って。
 それは本物の呪を使いこなす名取から見れば呆れるくらいの滑稽さだった。少しばかりの期待は大概その時点で醒めてしまう。
 意味のない、真意の篭らない呪は役に立たない。愛を呟いた女たちはどれも一緒で、少しの期間を経て名取から離れる。
 彼女たちが名取から離れる時に共通する言い訳は、名取の上辺ばかりの優しさを責めるものばかりだった。私だけを見てくれないから嫌だとか、私だけの人を見つけただとか、そういった類の物ばかり。自分の裏切りを棚に上げて、誰にも同じ笑顔を振り撒く名取を責める。
 いつだって名取は、お門違いだ、と白々しい彼女たちを心中で見下ろしながらやはり変わらない笑顔を撒いてやるだけだ。大切でもないものに対して、怒ったり、諭したり、本物の感情を吐いてやるほど暇じゃない。笑って、その行動を肯定してやればそれで終わりなだけだ。
 第一、彼女たちが見ているのは名取自身ではないのだ。俳優の名取周一であったり、顔のいい見栄えのする青年であったりすればいいだけだ。彼女たちを飾る装飾品のひとつに過ぎない。呪を施した道具と何ら変わりはない。
 それは彼女たちを利用している名取とて変わらない。要はお互い様だ。
 そうして、役立たずの呪を紡がれた道具たちは必要なくなれば安易に棄てられる。かわいそうに、と名取はその道具たちにこそ哀れみを憶える。

「あんたは何を言ってんですか」

 いつもの公園のベンチの上で、ペットボトルの茶を飲み干した夏目が訝しげに名取を見る。
 白くて丸い猫は興味なしと言いたげに二人から離れて毛繕いをしていた。春の色をした風が吹き抜ける。

「だから、呪の話だよ」
「だいぶ脱線してますけど」
「そうかな、脱線してないと思うけど」
「してます」

 吐き棄てるように言い切ると、夏目は空になったペットボトルをゴミ箱に投げつけた。狙い違わず、ペットボトルは銀のゴミ箱に落っこちた。

「お見事」
「どうも」

 乾いた会話が過る。風に夏目の薄い色の髪が揺れた。
 その眼も髪と同じくらい揺れている。

「素人さんの呪に意味なんてないって事さ」
「なら、そう簡潔に言ってください。おれはあんたの恋愛経験を聞きに来たわけじゃないんで」

 大体何で呼び出したんですか、と夏目はぶちぶち呟く。彼にしては珍しくずいぶんと苛立った口調だ。いつも温厚な彼はこんな感情は他の誰にも見せないのだろう。
 自惚れではなく、知っている。夏目が本物の感情をさらけ出せる人は名取だけだ。
 それが名取には腹立たしい。

「ちょっとした例文だよ」
「どこがですか」

 怒りを深めたであろう夏目の心中をわざと逆撫でした。そうやって彼が心をさらけ出す時、名取はささやかな満足感と多大な苛立ちを手にする。
 子どもは名取と同じ道を少し後ろから歩いて来る。同じ石に躓き、同じ景色に目を奪われる。行く道は何もかもまるで同じ。つくづく自分たちは似ていると思う。
 それなのに、彼と自分のほんのささやかな違いと、無意味にしか見えない足踏みと優しさが名取の苛立ちを重ねて行く。

「大体、何で呪とかそういう話になってるんですか」
「後学の為に、と思って。君くらいの力があれば、些細な呪でも効力を発するさ」

 嫌味に聞こえたのだろう。夏目は眉を顰めて名取を睨んだ。
 似ているのに、違うのは何故だろう。名取は今の彼の歳の頃にはもう妖を祓う術を持ち、皮膚を這い回る家守が妖であることを知り、それを憎んでいた。
 だが、彼はきっと同じ家守を宿してしまったとしても、それを憎むことはないのだろう。どうにかして共に生きようとするだろう。彼の選ぶ道はいつだって優しさに満ちている。
 夏目が身に纏う優しさは果たしてどこから来たものなのだろうか。同じ道を歩いているのに、同じ悲しみを持っているのに、名取はそれの出所が解らない。
 例えば、時間を巻き戻して小さな頃からやり直したのならば、彼のような優しさを手に出来るのだろうか。

「呪とか、使いたくないです」
「使わざるを得ない時がいつか来るよ」
「そんなこと」
「ないとは言えない。その時知識がなければ危険な目に合うのは誰だい?」

 畳み掛けると夏目は口をつぐむ。
 うなだれて、自身の未来を重苦しく考えるその姿につい手を伸ばそうとして、寸前で止めた。
 どれだけ巻き戻したってきっと同じだ。名取は夏目のようにはなれないし、夏目は名取と同じにはなれない。

「……そんなことを言いに、わざわざ来たんですか」
「別に、そんなつもりじゃないんだけど」
「じゃあ、何を言いに来たんですか」

 苦しげな口調に罪悪感を憶えながらも、名取は夏目を責め立てたかった。頭で理解していても、感情がついていかない。
 何で全部同じでいてくれないんだろう。夏目にとってそうであるように、名取にとっても夏目は特別なたった一人なのに。

「言いたいことはあるよ」
「何ですか」
「忠告しておくよ。君がいつも危ない目に遭うのは単純だからだよ。誰かが嘘をついて、自分を貶めたり利用しようとしているんじゃないかって、疑ったりしないのかい?」

 ぎっと夏目が唇を噛んだ。砂を蹴ると、それを合図にしたように猫がさっと起き上がる。

「そんなことですか」
「うん」
「それだけなら、おれ、帰ります」
「そう」
「……ご馳走さまでした」

 子どもは律義に奢ってあげたペットボトルの礼を言って頭を下げ、くるりと名取に背を向ける。
 走り去る夏目の後ろ姿を猫が追いかけて行くのを眼の端で見ながら、名取は夕暮れの空を見上げてぼんやりと口を開く。

「だからね、夏目」

 簡単に誰かを信じちゃいけないよ、と名取は誰もいなくなった公園で呟いた。

 安易に信じてはいけない。
 それが人でも、妖でも、その狭間に立つ同類でも。

 嘘を吐き続けるのなら、尚更。




2009/04/12