ひかりの窓辺




 初めて会ったときは父の、先代の葬式だった。それはよく憶えている。
 中庭から向かい合わせで見えた廊下の向こうで、同じ歳くらいの子どもが眼に付いた。的場の屋敷内で幼い子どもなど自分以外に見たことはない。いつでもたったひとりで周囲の大人に埋もれていた小さな的場には、その子がまるで異次元から来たかのようにさえ見えた。
 それに、その子に着せられた真っ黒の喪服は色鮮やかな色の鳥に無理やり真っ黒のカラスの羽根を植え付けたように見えて、ひどく滑稽だった。明るい茶色の髪と、それに合わせたかのように同じ色の眼をした子は黒の群れの中で一人だけ奇妙なほど鮮やかに的場の眼を引いた。
 だから、老人に連れられて廊下を歩いていたその子が、違う廊下の半窓の下に一人でいたのを見つけたときに声を掛けてしまったのだろう。

「君、だれ?」

 驚いたように振り返ったその子はやっぱりどこか鮮やかな色をしていた。黒やグレー、セピア色と言った沈んだ色に染め上げられた的場家の中で、彼はたったひとりでひどく異質だった。
 鮮やかさが眼に痛む。幼い子どもであると言うだけで、的場家の中でたったひとり異質だった的場には、自分以上に異質なその子が浮き上がっているかのように見えた。
 眼を見開いて的場を見たその子の眼の端に涙が溜まっている。今にも零れ落ちそうな涙を拭うこともせず、彼はぱくぱくと金魚みたいに何度か口を開けたり閉じたりしてから、ようやっと声を出した。

「……君こそ、だれ?」
「僕は的場静司って言うんだけど」
「聞いたことある……的場家の、次の」

 そこまで言って彼は口をつぐんだ。眼の端に涙を溜めたまま、不思議そうに的場を見上げてくる。
 ひたすらじっと見てくる視線がいたたまれず、的場はわざと口を尖らせた。

「名前」
「え?」
「人に名前聞いといて、自分は名乗らないの?」

 ぶっきらぼうにそう問うと、その子は慌ててがしがしと服の袖で目元を拭った。黒い服の裾が涙に濡れて色を強める。

「周一だよ。名取周一」
「ふうん。名取家か」
「知ってるんだ」
「知ってるよ。祓い屋なんて、そうたくさんはいないんだから」
「そうなの?」
「そうだよ。君、最近名取の当主の所に来たんだっけ? だから知らないの?」
「うん、そう。よく知ってるね、そんなこと」

 きょとんとした顔で見上げたその子の、名取の仕草がどこか幼い。自分よりずっと子どもらしい表情に、的場は自身より少しだけ背の高い彼の歳が気になった。

「君、いくつ?」
「あ、ええと……この前、昨日、十歳になった」

 覚束ない、戸惑ったような言葉でそう告げた名取は到底歳相応には見えなかった。十歳ってこんなに子どもっぽいのかな、と九歳の的場にそう思わせるほどには。

「僕もこの前九歳になったよ」
「そうなんだ。いつ?」
「十一月一日」
「ぼくは十二日。近いね」

 そう言うと、名取は崩れた笑顔で笑う。そうすると、途端に彼の鮮やかさが増して的場は驚くが、次の瞬間に彼の眼から零れ落ちた涙でまた言葉を失った。

「……ごめんね」
「……別に。でも」
「ん?」
「何で、泣くの」

 いきなり泣き出したことを謝罪する名取の、その声に我に返るがろくな反応は出来なかった。ただふてくされたような口調でそう問う的場の前で、名取はまた涙を拭う。

「お葬式、嫌いで」
「何で?」
「母さんが、死んじゃったときのこと、思い出すんだ」

 途切れ途切れの声でそう言った名取はまた泣き出した。ぽたぽたと零れた涙が廊下の板張りの床に落ちる。それは木の中に吸い込まれることもなく、ただ床に落ちて光を反射していた。

「お母さん、死んじゃったの」
「……うん」
「そう」
「……ごめん、ね」
「謝ることない。僕も親はもういないよ……泣かないでよ、ほら」

 ぽつりと呟いて、的場はポケットから皺になったハンカチを取り出して名取の顔に当てた。優しく拭き取るなんて真似は出来なくて、がしがしと力いっぱい頬を擦る。
 擦られた名取の目許と頬が赤くなっていた。その表情でさえもひどく鮮やかで、眼を引かれる。真っ黒の的場と、鮮やかな色を持った彼との間に引かれた境界が滲んだような気がした。

「あ、ありがと」
「いいよ。だから泣かないでよ」
「うん……ごめんね、今度返す」

 律儀に返答する名取の前で手を振ると、的場はハンカチをぐしゃりと押し付けた。

「いい。それ、あげる」
「え、でも」
「いいから、返さなくていい」
「何で?」
「いいから、貰っておきなよ。誕生日だったんだろ」

 ぶすったれたような顔でそう告げた的場と反対に、名取は一瞬きょとんとしてからまた笑った。その黒い服の端に光が当る。
 半窓の隙間から陽が射して、光が床に落ちた。涙で出来た小さな水溜りに射した光が小さな虹を作り出していた。鮮やかな色のそれが暗く閉め切られた的場家の内に光を落としている。
 その僅かな光よりも、もっとずっと鮮やかなものをその時見ていた。
 ただ鮮やかなだけで何の役にも立たないものがいつまでも記憶に残ってしまうなんて、その時は知りもせず。




2009/11/12