田沼とタキと夏目と先生と北本。
田沼→タキ。











ひみつの部屋




 保健室のドアを開けると、そこは静寂に満ちていた。
 保健医はいない。半端に開いたカーテンの向こう、白いベッドで誰かが寝ている気配が在る。その足元には見覚えのある丸い生き物とセーラー服の女子が俯せて転がっていた。
 椅子に座って上半身だけベッドに俯せて眠るタキの腕の中で、猫が窮屈そうに眉間に皺を寄せつつぷーぷーと眠っている。ベッドの反対側、頭の方では夏目が一人と一匹に足元の空間を明け渡すようにして小さく身体を丸めて眠っていた。
 何故か全員揃って狭い空間で寄り添っている。窮屈そうにしているくせに、辛そうではなく安心したように眠る姿に田沼はほっと息をついた。
 夏目が倒れた、と北本から伝言されたのはホームルームが終わってからだ。日直で行けないから先に行ってこいと北本に促され、慌ただしく保健室に走り込むとそこは静寂が広がっていて、眠る二人と一匹に田沼こそが深く安堵した。

「タキ」

 そっと小さく声を掛けるが、タキは眼を醒まさない。すうすうと眠る彼女の腕の中で、猫がもぞもぞと尻尾を振った。腕からはみ出そうとした尻尾が頬に当たった途端、タキはくすぐったそうにしながらぎゅっと腕に力を込めて猫を強く抱き締めた。猫はぐえ、と一瞬苦しそうな声を上げて顔を歪めるが、結局は少女の腕から逃れられずにそのまま眉間に皺を寄せながら眠り続けた。
 猫とタキが身じろぎした拍子に空気が動いた。静寂の中で、獣の匂いと人の匂いが混ざって流れる。
 甘い匂いが田沼の鼻先を掠めた。女の子特有の、かわいらしいものばかりのひどく甘い匂い。
 ざわりと背に鳥肌が立ったような気がした。

「……タキ、起きないのか?」

 そっと小さな声で呟くが返事は返ってこない。
 息をつき、田沼はカーテンの中に入った。微動だにせず眠り続ける夏目の様子を窺いながら、自分もタキの脇にしゃがみこむ。
 静かに息を潜めると、二人と一匹の寝息が混ざった音がする。すうすうと安心したような音に、心臓が跳ねるのを感じた。罪悪感が滲んで、喉が乾く。
 それでも心臓が疼く。せめてもの贖罪にか、田沼は静寂を壊さないように、決して音を立てないようにしながらゆっくりと手を伸ばした。
 さらりとベッドの上に広がるタキの髪にそうっと触れても、彼女は眼を醒まさない。夏目も猫も同じように眠り続けている。穏やかな寝息が部屋中に満ちていた。
 そうっと、そうっと髪を辿って指先で上って行く。指先が頬に触れた。柔らかい感触が指に移る。
 その感触を確かめた途端、田沼は何だか泣きそうになってすぐに手を離した。

「んー……」

 眠り続ける夏目が一言唸って被っていた毛布を手繰り寄せた。安堵したような穏やかな寝息がまた響いて、田沼は強く手を握った。
 三人と一匹の秘密を知っている人はここには居ない。少なくとも、学校の中の世界で抱えている秘密は三人だけのものだった。それはとても特別なもので、それをなくしてしまうなんて田沼には耐えられない。
 ずっと解ってくれる友達が欲しかった。やっと得た、自分の特異さを理解してくれる友達をなくしたくなんてない。
 そう思っているのに、どうして好きなんだろう。誰かが誰かを特別に好きになってしまったらこんな脆い関係は一気に崩れてしまうに決まっているのに、どうして自らそれを壊そうとしているんだろう。
 だけど、なくそうとしているのかもしれない。自分自身のせいで。
 せめぎ合う感情で胸が痛んでいる。
 ぱたりと腕を下ろした途端、廊下を走る音が聞こえて田沼は静かに立ち上がった。

「おーい、田沼ー」

 部屋の前で音が止まる。北本がからりとドアを開けて、一応小声で田沼を呼んだ。

「おつかれ、もう終わったのか?」
「おう、西村はなんかやってたから置いてきた。平気そうか」
「うん、寝てるし……あ、起きたか?」

 小声の二人の会話に眼を醒ましたのか、夏目がぼんやりと眼を開けた。部屋を見渡し、猫と友人たちの姿を眼に留めて、寝惚けたような顔をしながら少し笑う。
 欠伸をした夏目が身じろぐと、タキもまた呆けたようにしながら眼を開けた。腕から解放された猫もまた眉間に皺を寄せたまま短い腕を伸ばす。
 ほっと息をつき、田沼と北本も笑った。保健室に夕暮れの陽が差し込む。


 オレンジの光に紛れたちいさな秘密がひとつ、部屋のどこかに溶けて消えた。




2009/09/04