花の白




 それは花弁に見えるそうだ。
 少し前に名取が言っていた事を、夏目は今になって唐突に思い出す。
 どうしてそれを思い出したのか。きっと、見下ろした名取の手に紙人形が何枚も握られていたからだ。

「なつめー」

 夏目の下敷きになっている人が悲惨な声を上げる。
 名取の上に馬乗りになって、夏目は彼を見下ろしていた。ひどく困惑したまま、じっと眼を見開いて名取の首に手を伸ばしている。
 何でこんな事をしているのか、自分でもよく解らない。解らないまま、夏目は時間が止まったように固まっていた。

「ええと、大丈夫?」

 伸びてきた名取の手が夏目の頬を撫でるが、夏目は動けない。
 何だっけ。何で、どうして、こうなったんだっけ。何で名取さんの上に乗っかっているんだろう。何をしていてこうなってるんだっけ。
 真っ白になってしまった頭で、夏目は何とか記憶を掘り起こす。
 さっきまで名取と言い争いをしていた。内容まではよく思い出せないがそれだけは憶えている。でも、言い争いと言ってもとても一方的なもので、ただ夏目は名取の行動に異を唱えて言葉をぶつけていて、名取はと言えば困ったようにそれを受け止めてするりと流していただけだ。
 夏目は必死だったのに、まるで真剣に受け止めていない表情にひどく腹が立って、とても珍しく感情が爆発してしまったのだと思う。
 薄ぼんやりと憶えている途切れ途切れの記憶を合わせれば、それだけのこと。
 でも、どうしたってそこから先、名取を押し倒して首に手を伸ばしているところまでの間が思い出せない。
 何をしてしまったんだろう。危うい行動の破片が脳をよぎり、顔から血の気が引いて行くのが解る。真っ青になって更に固まった夏目に、名取もまた困った顔で夏目の髪を掬った。

「別に痛くないから大丈夫だよ。どける? だめ?」

 結果的に夏目が名取に暴力を振るってしまったことになったせいでショックを受けていると思ったのか、名取は子どもを宥めるような声で優しく夏目を諭す。
 けれど夏目はやっぱり動けない。ぐるぐる回るばかりの思考に捕まって身動きが取れない。

「うーん……ああ、そうだ」

 名取がふと何か思いついたように、空いた手に掴んだままの紙人形を見て笑った。小さな声で聴いたことのない呪文が詠唱されている。短い呟きが終わると、紙人形が名取の手からふわりと舞い上がって行った。

「なつめ、上見てごらん」

 名取の声に従い、夏目はぎくしゃくと強張った首を持ち上げて上を見た。
 ふわふわと舞い上がった紙人形が一瞬光を帯び、次の瞬間ぱちんとはじけた。ちぎれた紙が空を舞っている。

「ほらね、花みたいだろう?」

 前に言っただろう? と優しく告げる声が耳に響く。
 ふわふわと舞う紙人形の破片はまるで淡い花弁だ。それは確かに美しい。
 普通の人にはこう見えているのかと、そう思うと酷く混乱した気持ちが霧散して消え失せるようだ。
 息をつき、夏目はやっと身体の力を抜く。名取の首に伸ばしていた手を引いた。




2009/03/09